いまから約25年ほど前(11,980年頃)、岐阜県の中津川市で友人と麻雀したとき
このルールを知った。どうやらその地方では、普通に行われていたよう。
ルールはしごく簡単。山を積み終わって最初のゲームを始める前、4人のうちの何となくリーダー的な人間が
牌山のどこかの上段牌を1枚 適当にめくる。それで上向きになった牌が、その日一日
ずっとドラになる。これは現物なので、仮にが上向きになれば その日一日 がずっとドラになる。このドラを「本日の芸者」と称する。
通常のドラもあるので、ドラは常に2種類存在する。本日の芸者と通常のドラが重なれば、もちろんダブドラとなる。云うなら本日の芸者は、現在の赤五筒みたいなもの。それはいいが、遊びに行くたびに芸者が異なるのも面倒くさい。またうっかりすると”本日の芸者”が何だったか忘れてしまう。しかしこれがなら、赤五筒からの連想で まず忘れない。
そこであるとき、「めんどうだから、最初からを“本日の芸者”にしないか」と提案した。そしたら 「毎日、違う芸者が出てきた方が新鮮でいい」と却下された。(^-^;
ところでドラを芸者と呼ぶのは古い麻雀俗語。いまはほとんど使われない。せっかくなので、どうしてむかしドラ が芸者と呼ばれたのかという話なんぞ。
“つま”は、物事の先端を表す和語。そこで指の先端は“つまさき”ともいう。”つまさき”は”爪先”と書くが、そもそも“爪”を“つめ”と発音するのも和語(“爪”は指の先端についているので)。話の先端が合わないことは、「つじつまが合わない」という。「詰」を“つめ”と発音するのも同類項。そこで袋小路は“行き詰まり”。将棋の駒がにっちもさっちも行かなくなれば詰みとなる。
「褄(つま)」は“つま”に音を表す「妻」を当て、それに衣類を表す「衣」をドッキングさせ、着物のつま(着物の先端)であることを示した国字(日本でできた漢字)。そこで「褄」は着物の裾の意味となる。
着物の裾は足首まであるので歩きにくい。しかし褄を取る(左手で着物の裾をちょいとめくる)と歩きやすい。おまけに赤い蹴出し(下着)もチラチラ見えて色っぽい。そこで芸者は座敷に向かうとき、左手で褄を取って歩いた。
しかしいくら歩きやすくても、普通の女性はそんなことをしない。普通の女性が裾をめくって下着をチラチラ見せて歩いていたら、男を誘惑しているのかと思われる。つまり褄を取って歩く=芸者ということになった(芸者になることを「左褄を取る」とも云った)。
現在では、ドラは王牌の裾から数えて3敦目の上段牌をめくる。しかしドラが登場した頃は、王牌の裾の上段牌(現在の第1嶺上牌)をめくっていた。この王牌の裾の上段牌をめくるのが、芸者が裾をめくることを連想させた。そこで“ドラ=芸者”という俗語が生まれた。
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