Rule 規則

    (3)満貫八一二(ぱいちにぃ)


 古川緑波(ふるかわろっぱ)といえば往年の名喜劇俳優。みんな軽い気持ちでロッパ、ロッパというけれど、実は世が世なら華族様。

 本名を古川郁郎(ふるかわいくお)といい、浜尾四郎子爵(戦前、推理小説作家としても有名)の実弟として明治36年8月13日に生まれた。早大英文科に入学したが中退。以後、「女性」という婦人雑誌の編集に携わった。昭和8年、喜劇団「笑いの王国」を旗揚げ、戦前を代表する名喜劇俳優となった。

 麻雀も大好きで、すでにプランタン時代からのメンバー。相手が大物手をアガったりすると、「このガメクリめ!」などと怒っていた。

 相手が「ナンジャ、それ?」と聞くと、古川氏の出身地、越後の方言で「おでき」という意味。そちらでは「このアホ」というような意味で使われているという。「これは面白い」とみんなが使いだしたので、アッというまに日本中に広まった。

 昭和4年に創立された日本麻雀連盟という団体がある(S4年創立という点については、異論はある)。この日雀連、現在でも大きな組織であるが、その影響力もかなりのもの。麻雀大好き人間の古川氏も日雀連にも参加していた。

 その日雀連で、昭和7年、新ルールのための会議が開かれた。そしてそれまでルールによってマチマチであった満貫を何点にするか大問題となった。競技麻雀派?は3百点を主張し、歴史学派は4百点、インフレ派は5百点を主張した。

※満貫は符底の20倍というのが基本。20符底×20=4百点なので、歴史学派は4百点。しかしそれ以前の麻雀は10符底であったから、競技麻雀派?は10符底×20=2百点。しかしそれでは現状から考えても小さ過ぎるからと3百を主張。インフレ派はもちろん「大きい事はいい事だ」というので5百点を主張。

 侃々諤々の議論はあったが、やっぱり議論となると歴史学派は強い。どうやら4百点と決まりかけた時、古川氏があの大きな目をギョロリとむいて、「そんなケチ臭い議論はよそう。僕は断然5百だ!」と大見えをきったという。なにせ兄の浜尾子爵は第2代日雀連総裁という人だから強い。理屈も何も吹っ飛んで、結局5百点に落ち着いたという。

 ここで満貫が5百点に決まったといわれても、ピンと来ないかも知れない。実はこれは子供1人分の点数。子供がツモアガリすると、子供は5百点づつ、親はその倍額の千点を支払う。すると合計は2千点となる。結果的にこれが子供の満貫点となる。親はこの5割増しになるから合計3千点。日雀連では、現在でもこのルールでやっている。
 
 しかし立直麻雀となると様子が少し変わってくる。両ゾロ、すなわちバンバン・チャカチャカ・テケテケ・ベキバキなどと呼ばれるものがある。そこでこの2千点/3千点をペキバキすると、子満貫は八千点、親満貫は一万二千点となる。これが現在の満貫の点数。

 もしあのときの会合で満貫が4百点に決まっていたら、現在の満貫点も、子6千4百点/親9千6百点となっていた。つまり現在の8千/1万2千という満貫点は、古川ロッパ氏が決めたも同然というわけだ。

 この文章を読んだあなた。これから満貫をアガったら、心の中で「ロッパさん、アリガトウ」と感謝の祈りを捧げよう。そのかわり満貫を放銃したら「このガメクリめ!」....(^0^; 。

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