Rule 規則

    (27)ダブロン/トリロン


 アガリは1局に1人というのがノーマルなルール。そこで1打牌で複数のプレーヤーがロンしても、肩ハネで上家のみのアガリとなる。別に放銃者を救済するために、そうなっているわけではない。(笑)

 四角四面な話からすると、「ロン牌を加えて14枚で和了」という原理的な問題がある。その原理にしたがって、ツモアガリと同様、「ロンアガリのときもアガリ牌を手牌に加えた14枚を明示する」とすれば、上家と下家、どちらを優先とするかに関係なく、1プレーヤーしか14枚型を明示できないことになる。そして、そもそも中国古典麻雀では“ロン牌を手牌に加えて14枚型を明示”していたと思われる。

※現在の中共では「麻将」と表記するが、むかしは「麻雀」。台湾・香港では、いまでも「麻雀」。いまのところ「麻将」は中共だけ。もっとも8年前くらいから麻雀連合(MU)が麻将連合と名称変更したので、日本でも多少はなじみが増えたよう。

 それはいいけど、月刊プロ麻雀の「将も雀も」というコラムで、「麻将は賭けないマージャンのこと。麻雀は賭けるマージャンのこと」というような区分けをしていたのが気になった。

 中共の麻将で賭けないでゲームしているのは、中国公式ルール大会に参加してる人たちくらいなもの。あとの11億9千9百9十9万9千ン百人は、賭け麻将では....


余談はさておき、清(シン)代の古典小説「九尾亀」に、こんな一節がある。
混一色・対々和・白風・東風の和りで四翻、また満貫なのだ。媛媛が有頂天になっていると、秋谷は場にまだ晒されたままの東風を黙って取り上げてしまう。そうして徐(おもむろ)に自分の手牌を倒した

 アガリ牌を取るとなれば、物理的に1プレーヤーしか和了できない。となれば摸打順からいっても「上家」とするのが常識的。といっても清(シン)代の通俗小説に、「まだ晒されたままの東風を黙って取り上げ」と書いてあるから、それを論拠に「中国古典麻将では“ロン牌を手牌に加えて14枚型を明示”していた」としたんでは、いくらなんでも乱暴な論拠。(笑)。

 中国古典麻雀では、いうまでもなく精算法。精算法とは、極論すれば2符の争奪戦。その2符を取得させないために、高点法ならぬ低点法によって、どのような待ちをどの牌でアガったかを厳しくチェックする必要があった。そのために常に行われていたのでは無いにしても、アガリ牌を手牌に加えて検討することが行われていたと思われる。

 しかし現在の日本麻雀には、ダブロントリロンを認めるルールがある。「アガリ牌を手牌に加えて」という原理的な問題は措いといて、テクニカルな面での問題はどうであろうか。

ダブロン賛成のテクニカル的要素といえば、
1)危険と思われる周辺を抑えた結果のアガリが、下家という理由で無効になるのはどうか
2)複数のプレーヤーへの放銃牌など、より咎められてしかるべきでは。

てなところ。

 ダブロン否定のテクニカル的要素としては、支那のことわざにも、下馬殺賊(シャーマーシャーゼー)「下家を殺せ」とか、承上抑下(チョンシャンイーシャ)「上家の動きに留意し、下家を抑えよ」とあるように、“下家を抑える”ということ。これがもっとも大きい。九尾亀のこのシーンも、主人公の章秋谷が下家の満貫(当時の役満貫)を安い手で頭ハネするということがメインテーマになっている。

 当時の中国麻将は、たとえばAが3万点の手ををあがれば、ロンアガリ・ツモアガリに関係なく他の3人はそれぞれ1万ゼニーズの支払い。それが頭ハネで1ゼニーの支払いとなれば、万々歳。もしダブロンありなら、上家の3ゼニーズのアガリはほとんど意味がなくなる。

 そう言えば、24才のとき、こんなことがあった。
 東場のある局、σ(-_-)は南家。中盤過ぎ、南と或る牌のシャンポンでテンパイ。当時は裏ドラなんか無かったし、リーチしても安めだとリーチのみなのでヤミテンにしてた。

 そこへ東家が打南。どうでもよかったのでロンの声をゆっくり発声しようとしていたら、北家からもロンの声。みると国士無双の南待ち。思わず東家がギャー。そいでσ(-_-)が、「オレもロンだよ」とゆっくり手を開けたら、今度は北家がギャー。(笑)

※その続き。
 北家の柴田が、「おい、ほんとにアガリなのか?」と残念そうに言うので、「じゃあ、アガるのを止めてやろうか」と云いながら、開けた手牌をクルリと回して伏せたら、「そうだろう、そんな事、あるわけないもんな
 そいで「いや、ホントに南でアガリなんだよ」ともっぺん手を開けた。そしたら、「ウソだろ、お前。悪い冗談はやめろよ」と、σ(-_-)の手をみても信用しない。こっちもだんだん焦って、「いや、ホントなんだってば、ホント

 これには伏線がある。当時σ(-_-)はけっこうイタズラをしていた。いや、ほんとに友達同士の間での単なるイタズラ。イカサマではなく驚かすだけのものだから、スリカエなんかも、その局が終わってからしかしなかった。
#なんだか言い訳がましくなってきたな....(-_-;

 局が終わってからスリカエなんかしてどうするんだと思うかも知れないが、これが結構おもしろい。誰かが、特に下家がロンアガリすると、その人を振りテンにしたり少牌にしたり多牌にしたり、あるいはσ(-_-)の肩ハネ状態にしたり....

 誰でも一瞬、「エッ」とか「アッ」とおどろく。そこでこんなとき、σ(-_-)が一所懸命「狼が来たぁ」と叫んでも、柴田も簡単には信用してくれなかったわけ。(-_-;

 とまぁ、またしても余談はさておき
 章秋谷にしてもσ(-_-)にしても、頭ハネできなかったらゲームの帰趨はほぼ決まっていた。つまり安くてもアガリそのものに意味がある(もちろん下家のアガリが、必ずしも上家より大きいとは限らないが)。

 すなわち下家(とは限らないので、「他家」としよう)を抑えこみ、たとえ安くなっても他家のアガリを阻止しつつ、自分のアガリを取るというのは守備型ルール、病牌を徹底的に咎める(複数への放銃牌など、或る意味、病牌に決まっているよな(笑))と云うのは攻撃型ルールである。

 野球でいえばダブロンなしは相手を押さえ込むピッチャー(もっともσ(-_-)の場合、北家の柴田が国士をやってるのは知らなかったけど....)、ダブロンありは甘い球を満塁ホームランするバッターと言える。そしてバッテイングにしてもピッチングにしても、それぞれにテクはある。

 そこで現状は、「アガリは1局1人」というルールが主流ではあるが、未来永劫にわたり主流であり続けるかどうか判らないというところだ。

※ついでながら、未来永劫の「劫」とは、年月の単位。どれくらいの年月かと云うと、千m四方くらいの岩があり、3年に1回、天女が空から降りてきて羽衣の裾でその岩を軽く一なで。そして天界へ帰ってゆく。繰り返すうちに、岩がすり減っていつか無くなる。その完全に無くなるのに要する時間が1劫だそうだ。
てなこと云われても、じっさいどれだけの年月かワケワカメ。(笑)

#と、あるところでくっちゃべったら、「こんな説もあるよ」と或る人が教えてくれた。


http://web.kyoto-inet.or.jp/people/katakori/u/ugokurak.html

以前へ  以降へ  目次へ