この1巡(同巡)問題は、麻雀が日本に伝来したのち、振り聴牌との関連で生じた。
中国麻雀に振り聴ルールはない。そこで自分がいま捨てたばかりの牌でも下家が同じ牌を捨てれば栄和できた。とうぜん「1巡(同巡)」という問題はまったく発生しない。
捨て牌が出されるところを河(ホー)という。中国では河に打ち出された捨て牌はすべて浮屍牌(フースーパイ。日本流に言うと、土左衛門牌)となり、誰が捨てたなんてことはいっさい関係なくなる。
誰が何を捨てたかいっさい関係ないから、捨て牌もキチンと並べられず、河の中央に適当に放り出される。
σ(-_-)は見たことはないが、あるところでは籠(かご)の中に捨てるところもあるそうだ。
もちろんチーポンカンがある場合があるので、捨てる寸前に牌をチラッと見せる。見せながら「紅中(ホンツォン)」とか、「東風(トンフォン)」とか呼称しながらポイッと捨てる。その牌が欲しいプレーヤーは「チーッ」とか声をかけながら、その牌を拾ってくる。
捨てられた直後はともかく、時間が経つと誰が何を捨てたのか分からなくなってしまう。しかし捨てられた牌は基本的、捨てたプレーヤーが不要な牌。それを記憶しておけば、自ずからそのプレーヤーが欲しい牌=危険牌も推測できることになる。
仮りに相手が万子の混一なら、索子や筒子ばかり捨ててくるだけなので、記憶といっても話は簡単。しかし相手が一般の手のときは、かなりしっかり記憶している必要がある。最初は(こりゃ大変だ)と思ったが、慣れとは不思議なもの。自然に誰が何を捨てたかかなり記憶できるようになった。
余談はさておき、麻雀はこんな状態で日本に伝来した。しかし日本人の国民性か、日本では「適当にポイッと捨てる」ということはしなかった。もちろんいまほどキチンと並べられた訳ではない。
当時の写真をみると、各自が左から右までズラズラズラ〜。ときには捨て牌の後尾が下家の列と交じりあい、どちらの捨て牌かでトラブルも起きたという。
いずれにせよ誰の捨て牌か分かりやすい状態となると、いま上家が捨てた牌と同じ牌を下家が捨ててロンされると、気分がよろしくない。そこでまず「振り聴での栄和は自己の捨て牌と同一牌では不可」というルールができた。
捨て牌と同一牌だけがダメというのであるから、筒待ちの時、自分がなにかの理由でを捨てたとたん、下家がを捨てたのであればロンできる。そして昭和初期に結成された日本麻雀連盟では、現在でもこのルールでプレーされている。
しかし一般麻雀では、振り聴規則がどんどん変化し、現在の振り聴全責任ルールに至った。そして手牌そのものが振り聴ではなくとも、「1巡内(同巡内)では最初の和了見送り牌と同一牌では栄和不可」というルールも成立した。
こうなると「なにが1巡(同巡)か」ということが大問題となる。そして当初は、「ポンカンでツモ番が抜かされた場合は、次巡に入る」という解釈が一般的であった。そこで上家が切った4筒を見逃したとき、それを下家がポンしてをきれば、そのでロンできた。
しかし上家が切ったを対面がポンしてを切ったという場合は、「ツモ番が抜かされた」のではなく、「ツモ番が逆戻りしただけ=ツモ番が抜かされたのではない」という解釈がなされ、対面の切ったではロンできなかった。
実はこれは「ツモ番が逆戻りした」のではなく、「北家と東家が同時にツモ番を抜かされた」のである。しかしツモ番が前進ではなく後退した様なイメージがあるため、こういう解釈がなされた。
しかしこのルールでやっていると、次のような疑義が生じた。たとえば東家と西家が二人ともでないと栄和できない手での聴牌だったとする。
ここへ北家が打、南家がこれをポンして打というとき、座順ではアガリ牌に最も近い西家は「ツモ番が抜かされていない」という理由でアガれず、座位順で遠い東家が「ツモ番が抜かされた」という理由でアガリが認められる事になる。
「アガリは上家優先といいながら、これではおかしい」というので、やがて同巡は「ツモ番が何回抜かされても、自分が次のツモを行うまでは自己にとって同巡内」という事になった。堅苦しく言うと、「自己の取牌から次回の自己の取牌までの間」ということになる。
そして現在では、このルールがメジャーに採用されている。すなわち摸打の1巡は4人一様ではなく、各プレーヤーに対して個別に巡るのである。
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