一般の立直麻雀では、自分のツモが残っていなければリーチはかけられないというルールがメジャー。しかし第2次大戦後、途中立直が普及し始めた頃では、このような制限はなかった。やろうと思えば河底牌でも立直宣言できたのである。とはいえさすがに河底牌で宣言する人はいなかったであろうが、その一つや二つ前の段階ならけっこう宣言されていた。
「そんな土壇場で立直してどうする」と思うかも知れないが、その前に他家の立直があった場合、「こんな待ち牌、立直者以外振る奴はいない。よし、あいつが河底で振ることを期待して立直だ!」というような事で行われていた。
当初は「おお!、なんとガメツイ奴だ..」という程度の感じだったであろうが、実際に先立直が後立直に放銃する状況があったとき、「なんだ、面白くない。あいつのは放銃の危険無しの掛け得じゃないか」という不満が出てきた。“それもそうだ”というので、やがて自分のツモ順が無い状況での立直を禁止する風潮が生じてきた。
昭和27年、報知新聞の肝いりで日本最初の途中立直ルールが成文化され、発表された。途中立直は、この頃にはもうかなり普及していたが、この時点ではまだツモ番無し立直禁止の記述はなかった。
しかし一般麻雀では禁止するルールがメジャーとなっていった。そこで後日の改訂版では禁止が明記され、以後、「ツモ番無しの立直は不可」というルールが定着して今日に至っている。
現在、仮にツモ番ナシの立直をOKとしても、そのような土壇場で立直宣言されることは非常に希と思われる。そこでσ(-_-)としてはあっても無くてもどっちでもいいが、ルール的には盲腸みたいなルール(存在することに大して意味がない)と思う次第。
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