Rule 規則

     (11)空白の一日


 一口にルール論といっても、幅は広い。σ(-_-)関係の著作で言えば、「日本麻雀の特質と展望」のようにルールの全体な観点からの論考、同じ全体的な観点でも、「麻雀点数論」のようにテーマを絞った論考、あるいは個々の問題点にスポットを当てた論考までさまざまである。

 しかしここで重要なことは、ルール論とはルールを論理的に考えることであって、なにか結論が出たとしても、その結論の採用を主張するものではないということである。

 たとえば今でもときどき話題になるピンフツモの問題。関西式ではまったく採用されていないが、関東式ではごくノーマルなルールである。これに関しては或る意味、両方正しい。一言で言えば、関西式では点数ルールをミクロな観点から論じ、関東式ではマクロな観点から論じている。

 いうなら木を見るか森を見るかの違いである。そしてσ(-_-)は森を見る。その観点からは関東式に理がある。しかし、だからといってσ(-_-)が大阪でゲームするとき、ピンフツモありを主張しようとは思わない。

 麻雀大会などで、A卓とB卓でルールが決まっていなければ、それはちと困る。しかし貸し卓専用雀荘であれば、隣の卓が異なるルールでゲームされていても、いっこうに差し支えない。どんなにおかしいと思われるルールであっても、プレーヤーが合意さえしていれば問題ないからである。

 「ルールの心」をUPしてから、その中のノーテン宣言に関して「なるほろ」というものから、「それでも自分は手牌をみせたくない」という主旨のものまで、思いがけず、何人もの方からメールを頂いた。

 そのメールの中の或る1通のメールへの返信という形で、「ルールの心」の補足説明をしておきたい。※メールを引用させて頂くことは、了承済みです。

> 「ルールの心」読ませていただきました。
>しかしながらリーチ後に見逃し(和了選択)が認められている現行の一般ルール>では聴牌宣言の選択も認められてもいいと思います。
>これはたとえ手牌が13枚だろうが1枚だろうが同じことだと思います。


 麻雀にはたくさんのローカルルールがある。たとえば例にあげられたリーチにしても、見逃し(和了選択)OK、見逃し不可などいろいろなルールがある。

 もちろんどんなルールであっても事前に合意さえしておれば、それがどんなルールであっても問題ない。しかしあまりにもたくさんのローカルルールがあるので、すべてを事前に打ち合わせしておくことは困難である。

 1978年11月、プロ野球で「空白の一日事件」というのが起きた。これはドラフト会議の前日、どうしても江川卓選手が欲しかった巨人が、江川選手と随意契約してしまったという事件。

 当時のプロ野球協定は事務手続き上の問題で、ドラフトの拘束は「翌年のドラフト前々日」に失効することになっていた。巨人はそこをついて、前年にクラウンライター(現・西部)に指名されていた江川選手とドラフト前日に随意契約を締結した。

 巨人は「言及がない以上、何をしても自由」と主張した。しかしもちろん「言及されてない以上、ぶっこ抜きでも握り込みでもOK」なんて話になるわけがない。結局、「その日は、そういう意味で空けてあるのではない」という当然の判断がくだされ、随意契約は無効となった(その後、江川選手は阪神にドラフト指名された後、巨人にトレードされた)。
 現在は改正されて空白の一日は存在しないが、ルール表現に不備があると、こういう主張をする輩がいるという分かりやすいお手本である。
法の表現の不備をつき、法の精神を無視した論陣を展開する輩を中国では法匪(ほうひ)という。極論を云うと、罰金さえ払えば、スピード違反をしてもいいという発想に繋がる。

 そこで、たとえばリーチ後の見逃しについても、和了選択OK/ダメという打ち合わせなしにゲームを始めたところ、子のAが高めツモに賭けて、安めの見逃しをしたとする。その結果、ツモあがっても流局してもどちらでもいいのであるが、いちおう高めをツモあがったことにする。

 このとき、簡単に「あ、打ち合わせしてなかったね。じゃぁ、これからは見逃しOKにしましょう」とでも一致すれば問題はない。しかしひょっとして親っかぶりしたBが「見逃しはチョンボに決まっている」なんて言い出したりするとトラブルとなる。

 うまくいったと思っているAは譲らないだろう。親のBも4000点が出るか入るかの境目、こちらも簡単には引き下がらない。実際にはどちらかが譲って決着がつくとは思う。しかし万が一、OK派とダメ派が2対2で対立すれば喧嘩沙汰にもなりかねない。

 もし対立してしまうと、何時間言い合っても決着はつかない。そんなとき判断のよすがとなるのが、「本来、リーチとはどういうものであるのか」という論理的な考え方、それが「リーチの心」である。

> これはたとえ手牌が13枚だろうが1枚だろうが同じことだと思います。


 もちろん、手牌が13枚だろうが1枚だろうが同じこと。そして前述したようにどのようなルールでゲームしようとプレーヤーの自由である。そこで聴牌であろうが無かろうが、或いは手牌が13枚であろうが1枚であろうが、「ノー聴宣言は常に有効」とでも合意していれば、当然それはそのグループでは有効なルールとなる。

 しかしたまたま何の打ち合わせも無してゲームが始まり、Aプレーヤーが何らかの事情、たとえば自分はトップ目の親なので、ノー聴でゲームセットにしてしまいたい。あるいはテンパイ宣言するとBプレーヤーが飛んでしまい、Cのトップと自分の2位が確定してしまうなどでノー聴宣言をしたとする。

 ここで他のプレーヤーが手牌の公開を求め、Aプレーヤーが拒否すれば、それなりのトラブルとなる。もちろん互いに譲らなければ、リーチ後の見逃しのケースと同じで、喧嘩沙汰になりかねない。

 こんな事前の打ち合わせが無かった事に起因するトラブルが発生したとき、判断のよすがとなるのが「ルールの心」で述べた「麻雀における宣言の持つ精神/意味」である。

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