どんなゲーム/スポーツにもルールがある。ルールは守って当たり前。そこでルールを守らないとさまざまなペナルティが課される。しかし中にはルールには書き切れないこともある。しかし「いけないと書いてない=やってもいい」ということではない。たとえば麻雀のルールに「ぶっこ抜き、つばめ返しをしてはいけません」と書いてなくても、やってはいけないことなのだ。(笑)
さて多くのゲーム/スポーツは得点によって勝敗が争われる。この得点がゲーム中にプレーヤーの恣意で変更されるとしたら、それは明らかにまともなゲームではない。というより世の中にそんなゲームがあったら教えて貰いたい(笑)
そこでσ(-_-)が野球で2塁打を打ったとしても、「珍しく俺が打ったんだから、3塁打ということにしておけ」なんて事も無ければ、「一生懸命投げてるピッチャーが可哀想。シングルヒットでいいよ」なんてことも無い。
麻雀だって同様で、「俺がアガったんだから、ピンフのみで4万8千点」ということもなければ、大三元をロンアガリして、「可哀想だから白發中の三翻のアガリという事にしてやろう」ということもない。
ひょっとして麻雀の場合、アガったプレーヤーが、「俺がいいと云ってるのだから、いいじゃないか」なんて云い出すことがあるかも知れない。また放銃したプレーヤーも、内心「そうしてもらえたら・・・」なんて思うかもしれない。うん、当事者同士がそれでいいというなら、そうしてもいいような気がしないでもない。
しかしこの「当事者同士」というのは大きな錯覚。「当事者」は、和了者と放銃者だけではなく、そのゲームに参加している全員である。とうぜん正しい点数が授受されれば、他のプレーヤーがトップになるかも知れない。たとえ順位に変動が無くても、正しい点数(麻雀の場合は高点法)を授受するのが当然のルールである。とまぁ、ここまでは分かり切った話。
麻雀は囲碁・将棋とよく比較される。その中で囲碁・将棋と大きく異なるのが、宣言による行為が存在するという点。そしてすべての宣言は、対局者によって確認/承認されつつゲームが進行してゆく。
日本の一般麻雀のルールに流局時のノーテン料精算というルールがある。そこで流局時にはテンパイ/ノーテンのいずれかの宣言がなされる。宣言がなされた以上、その正否は対局者によって確認され、ノーテン料は正しく精算されなければならない。
しかしテンパイの正否は対局者によって必ず確認されるるが、ノーテンについては確認が省略されている。これは、自分の不利益になるようなことをわざと宣言するプレーヤーはいないだろう、という暗黙の認識があるためだ。
麻雀のプレーヤーは同時に審判でもある。宣言/行為に疑義があると思えば、どの対局者も確認を要請することができる。なんの要請もなければ、その宣言/行為は審判全員によって暗黙のうちに承認されたことになる。そしてノーテンについては、この暗黙の承認という形で正否の確認が省略され進行している。
しかし人間のやることである以上、本人がノーテンと思っていても実はテンパイということもある。そこで普段は省略されているとしても、対局者から確認が求められた場合には宣言者は応じるのがルールの前提。
万一そこに疑義が発見されれば、当然正しい点数が精算されることになる。その結果、順位に変動が生じる場合も生じない場合もある。もちろんそれは正しいルールを適用した結果に過ぎない。
チーポンの4副露で裸単騎となった場合、テンパイとするというルール(ポンの単騎でも可)と、テンパイにならないというルール(ポンの単騎などは不可)がある。
そこで前者のルールならともかく、後者のルールの場合、「裸単騎でもノーテンがあり得る以上、本人がノーテンと云えば見せる必要はない」という論がある。前述したように、これは大きな錯覚。
前者と後者、どちらのルールであろうと、宣言の正否は確認されるべき事項であることに変わりはない。もちろん確認の結果、ノーテンとの宣言が間違い(実はテンパイ)であることが確認されれば、それに従って正しい点数が精算されなければならない。それが得点で勝敗を争うゲームの基本である。
にもかかわらず要請を拒否したり、あるいは前者のルールにおいてノーテンをゴリ押しするのは、「俺が○○だと云っているんだから○○だ。おまえが確認する必要はない。文句があるなら表へ出ろ」と云ってるのと同じである。
ああ、もちろん、前者のルールであっても、「形テンを認めていないルールの場合はどうだ」とか、「途中でミスチーなどしてる場合はテンパイになるわけは無いので見せなくても」という論があるかも知れない。しかしそんなことは関係ない。なにがどうであろうとも、見せろと云われたらサッサと見せればことは済む。
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