Pillers tone 柱石 

    (14)ノータイムで打つ理由



 むかしσ(-_-)の使っていたPCは、いまから思うと、ホントに能力が低かった。たしかハードディスクが600メガくらい。いまはそれが30ギガもある。先日、その話を知人にしたら、「あさみさん、いまは60ギガ、100ギガの時代です」と云われて愕然とした。(笑)

 いうまでもなくこのメガとギガの違いは、情報処理の能力の違い。たとえば或る局面で、ABCの3枚、何を切るのがベターな選択かというとき、ベテランが東場か南場か、場況や持ち点などさまざまな状況をもとに瞬時に選択できるのに対し、初級者は迷いがち。もちろん能力が低くても時間をかければ同じ選択に至ることが出来る。

 そこでベテランの友人との親睦麻雀で、「ちょっと待って」、「ちとタンマ」とやっていれば、初中級者でもベテランとどっこいどっこいの成績を上げることが可能である。あの野村サッチーでも名人になることが可能となる。

 しかしベテランと同じ土俵=ノータイムでプレーするようにすると、ゲームにならない。遅れないように切るのが精一杯で、場況どころの騒ぎではない。ヘタすると「ココはどこ?、ワタシはだれ?」状態になりかねない。

 ゲームの世界では、麻雀は不完全情報ゲームという範疇に分類されるそうである。なるほど、互いの手牌は判らないし、次に何をツモするかも判らない。そこで不完全な情報をもとに偶然性に左右される割合が大きいゲームとなっている。

 しかしそんな不十分な情報でも、ベテランは初心者にくらべて、より正確な判断をくだす。しかしは与えられた情報からAとBが同じ判断をくだし、ともにそれが順当な判断だったとする。しかしこの判断を下すのに、Aはノータイム、Bは10秒かかったとすれば、これが雀力の差である。

 これは麻雀に限ったことではない。囲碁・将棋に多面打ちというものがある。プロが複数のアマチュアを相手に同時に対局するものだ。5人や10人のアマチュアと同時に対局しても、プロが負けることはない。しかもただ負けないというだけではない。

 序盤段階であればプロでもアマチュアでも、同じようにサクサク打つ。しかし局面が緊迫してくると、アマチュアはウ〜ン、ウ〜ンと考え込む。しかしプロが10人を相手に同じようにウ〜ン、ウ〜ンとやっていたのでは、時間がかかってしょうがない。

 しかしプロは盤面を一目見ただけで1手打つ。アマチュアでも結果的に同じ着手を選択できたとしても、選択に時間がかかるのは情報処理能力にそれだけ差があると言うこと。これが棋力の差である。

 大量の情報をダウンロードするのに、電話回線では5分かかるところをADSLなら1分、光ファイバーなら10秒ですむ。同じ情報量であっても、情報処理能力が高ければ結果が出るのも早くなる。いうならプロは光ファイバーで、アマチュアは電話回線だ。

 麻雀でもいかに短時間で情報を処理することが出来るか。これが雀力の差である。そこで純麻雀では、真の雀力を培う一環として、常にノータイムで打つようにしている。

 「ノータイムはいいけれど、切り間違いが増えるのではないか」、という疑問がある。結論から云えば、切り間違い、あるいはミスタッチは当然増える。単純に云って、その力がないままにプロlと同じことをしようというのだから、ミスが増えて当然である。しかし増えたって構わない。それでミスを多発するとすれば、それが自分の雀力というだけの話。それが悔しければ、ノータイムでもミスが出ないように努力するしかない。

 そこで次回は、どんな努力が有効だろうか、という話を。

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