ツモ ドラ
これは、麻雀新聞(H14.2.10・319号)に掲載されていた問題(出題・阿部レッスンプロ)。
状況は東の1局、西家の10巡目。234か678のサンシキが見えるタンピン系。手格好として文句のつけようがない。なのに、ここで翻牌のドラを掴まされたんではさすがにギャフンだ。さてどうすべぇということになるが、回答は切りとなっている。
うん、別に切りでも構わない。それはいいけど、回答には一言、「切り」とあるだけで、何のコメントもない。スペースの都合もあるんだろうけど、これじゃあ、回答であって回答じゃない。やっぱり「何切る」は「これこれ、こういう理由で」という出題者のコメントが欲しい。
σ(-_-)の感覚では、これは典型的な手仕舞いの型。一見良さそうに見えても、道中の半ばを過ぎてまだ三上聴。仮に234のサンシキに的を絞って、このあと5,6巡で有効牌を引きまくっても、聴牌するのは15,6巡め。
たとえこんな聴牌になっても、残り1,2回の摸打しかない状態で、は打てんだろう。そこでをツモった段階で、思い浮かべるのはこんな聴牌。
要は最後にドラ単騎にでもなって、なんとかノー聴罰でも貰えれば儲けものという感じ。そこで先に4面子を完成させるため、たぶんσ(-_-)はでも切る。ひょっとして、もう1枚でも引けば少し色気も出て手筋も変わってくるけれど、まぁ、それはなりゆきの話。いずれにしたって、最初にをツモった時点で、ほとんどアガリは見込めない。そこで自ずから手仕舞いとなる、というのがこんな手に対するσ(-_-)の発想。
もちろん闘い方は人それぞれ。をツモ切りしてしてもいいし、15巡目にタンピン三色を聴張ってから切るのもいい。それはそれでいいけれど、とにかくそういうプレーヤーの意志がコメントされていないと、何切る問題としては消化不良だ。
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