Other stone 他山石 

     (27)むかしの何切る


 別冊近代麻雀の2号に、むかしの11pmの対局記事があった(1970年頃のテレビ対局)。

北北北一索二索三索四萬五萬五筒五筒六筒六筒八筒九筒 ドラ六索

 これが親の配牌という。何場とか何位とかは、書いてないので分からない。
 ここで何切るという設定で、「ゲストの阿佐田哲也と古川凱章が“将来の四筒七筒マチに備えて五筒切り”を主張したのに対し、司会の大橋巨泉が九筒切りに固執して一歩も引かず、TV史に残る白熱のバトルになった」とあった。

 もちろんテレビでは、そんな言い合いの部分は放映されなかった。放映されたのは、牌姿が示された図板の前で「ここは九筒切りが順当」と力説する巨泉の後ろに、ぶぜんとした顔で座っている阿佐田哲也の姿。

 σ(-_-)もそのような言い合いがあったことを後で雑誌で知っただけ。そのときは何とも思わなかった。もちろんそのときの牌姿も覚えていない。今回、35年ぶりにそのときの牌姿をみて、(ふ〜ん、言い合いになるのも当然だろな)と思った。

 ダブル搭子があったとき、将来の受けを考えて1メンツを落とすことはよくある。しかしこの手では、五筒六筒を落としても八筒九筒を残せば辺七筒が必要となる。辺七筒を引いた上でなおかつ四筒七筒が必要というのでは、四筒七筒の二度受けと同じ事。

 それなら五筒五筒六筒六筒からの四筒七筒二度受けの方が気が利いている。もちろんそんな二度受けは眼中になく、将来、索子の真ん中あたりを引いての456のサンシキも視野に入れているということかもしれない。そのときは八筒九筒も落として行くと云う事になるんだろうが、どのみち切るつもりの九筒なら、いま切ったっておかしくはない。

 当時、ロン牌を引き出すための迷彩切りなんてのがはやっていた。五筒六筒落としという選択も、そんな迷彩切りの意図からかもしれない。

 たしかに河に五筒六筒八筒九筒とならべば、四筒七筒マチには超迷彩。しかしテンパイが四筒七筒マチになるとは限らないし、親でこの手から五筒六筒八筒九筒オトシとするのは、いくらなんでも奇をてらいすぎ。

 今回、改めてそのときの牌姿をみて、「う〜ん、これはやっぱり大橋巨泉の言い分が順当だろう」と思った。

以前へ  以降へ  目次へ