別冊近代麻雀の2号に、むかしの11pmの対局記事があった(1970年頃のテレビ対局)。
ドラ
これが親の配牌という。何場とか何位とかは、書いてないので分からない。
ここで何切るという設定で、「ゲストの阿佐田哲也と古川凱章が“将来のマチに備えて切り”を主張したのに対し、司会の大橋巨泉が切りに固執して一歩も引かず、TV史に残る白熱のバトルになった」とあった。
もちろんテレビでは、そんな言い合いの部分は放映されなかった。放映されたのは、牌姿が示された図板の前で「ここは切りが順当」と力説する巨泉の後ろに、ぶぜんとした顔で座っている阿佐田哲也の姿。
σ(-_-)もそのような言い合いがあったことを後で雑誌で知っただけ。そのときは何とも思わなかった。もちろんそのときの牌姿も覚えていない。今回、35年ぶりにそのときの牌姿をみて、(ふ〜ん、言い合いになるのも当然だろな)と思った。
ダブル搭子があったとき、将来の受けを考えて1メンツを落とすことはよくある。しかしこの手では、を落としてもを残せば辺が必要となる。辺を引いた上でなおかつが必要というのでは、の二度受けと同じ事。
それならからの二度受けの方が気が利いている。もちろんそんな二度受けは眼中になく、将来、索子の真ん中あたりを引いての456のサンシキも視野に入れているということかもしれない。そのときはも落として行くと云う事になるんだろうが、どのみち切るつもりのなら、いま切ったっておかしくはない。
当時、ロン牌を引き出すための迷彩切りなんてのがはやっていた。落としという選択も、そんな迷彩切りの意図からかもしれない。
たしかに河にとならべば、マチには超迷彩。しかしテンパイがマチになるとは限らないし、親でこの手からオトシとするのは、いくらなんでも奇をてらいすぎ。
今回、改めてそのときの牌姿をみて、「う〜ん、これはやっぱり大橋巨泉の言い分が順当だろう」と思った。
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