Other stone 他山石 

     (25)経験則...


三萬四萬五萬六萬三筒四筒五筒七筒八筒八索九索白白 ツモ七索 ドラ白

 喫茶店で拡げた新聞に載っていた何切る。

 こういう問題、なかには問題文によって打牌選択が変わってくるモノもある。しかし一般的には中盤以降の手が問題とされていることが多い。そこで今回も、とくに問題文を読むことなく六萬切り。

 白がドラである以上、考えたってしょうがない。問題は三萬を切るか六萬を切るかだけのこと。こんな場合、中盤以降となれば六萬を切るのがσ(-_-)のパターン(別に“絶対シャカリキ、なにがなんでも”というワケじゃないけどね)。

 そいで取り敢えず六萬を切ってから問題を読んだ。すると状況はこう。
 「10巡目(だったかな?)、七索を引いた。親リーチがかかっているが、白は親の現物。親の捨て牌には九萬がある。おとなしく白を切って回す手が考えられるが、さてドースル?

 ドースルと云っても、白を切って回すワケがない。おまけに親の現物に九萬があるとなれば、たとえ序盤でも六萬を切るのが基本。

六萬九萬待ちはあり得ないワケだし、三萬六萬待ちなら、どっちを切ってもどのみち当たる。しかし三萬には辺三萬がある。そこで六萬切り。

そのあと回答をみたら、「白を切って回すのは弱気すぎる。三萬六萬、どちらかを切って勝負。となれば、この場合は六萬を切る。これは理屈ではない。経験則である」と云うようなことが書いてあった。

 しかし六萬を切るのはいいけれど、この設定で「経験則」はないだろう。
 経験則というのは、「理屈ではちゃんと説明できない。しかし今までの経験で、なぜかこうしておいた方がうまくゆく」というような主旨。

 そこでこの場合でも、特別な状況でなければ筋心牌の六萬よりも、三萬を選択するというのが一般的な考え。しかし12巡目以降、いわゆる終盤に入っている場合は、六萬を切っておいた方がより安全と云うなら経験則。しかし親の現物に九萬があるというなら、経験則を通り越して基本の一打

 朕、思へらく。きっと出題者も本来の経験則から云う六萬切りを推奨したかったんだろう。しかし経験則というやつは説得力に欠けるのが欠点。(-_-;

たとえば嵌張と双ポン、どちらを選択するかというような場合、σ(-_-)は経験則によって、双ポンの方がアガリの確率がいいと思っている。そこで双ポンを選択する方が多い。しかしどちらを選択するにしても説得力なんてゼロに等しい。

 もちろんホームページで開設者が好きなことをくっちゃべるなら、説得力があろうとあるまいと大して問題はない。しかし天下の公器、新聞コラムとなると、そうは行かない。この出題者も仕方ないから、九萬を現物で持ち出したんだろうと思う。う〜ん、気持ちは分からんでもないけれど、これじゃあせっかくの経験則もインパクトゼロ....

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