ツモ ドラ
喫茶店で拡げた新聞に載っていた何切る。
こういう問題、なかには問題文によって打牌選択が変わってくるモノもある。しかし一般的には中盤以降の手が問題とされていることが多い。そこで今回も、とくに問題文を読むことなく切り。
がドラである以上、考えたってしょうがない。問題はを切るかを切るかだけのこと。こんな場合、中盤以降となればを切るのがσ(-_-)のパターン(別に“絶対シャカリキ、なにがなんでも”というワケじゃないけどね)。
そいで取り敢えずを切ってから問題を読んだ。すると状況はこう。
「10巡目(だったかな?)、辺を引いた。親リーチがかかっているが、は親の現物。親の捨て牌にはがある。おとなしくを切って回す手が考えられるが、さてドースル?」
ドースルと云っても、を切って回すワケがない。おまけに親の現物にがあるとなれば、たとえ序盤でもを切るのが基本。
#待ちはあり得ないワケだし、待ちなら、どっちを切ってもどのみち当たる。しかしには辺がある。そこで切り。
そのあと回答をみたら、「を切って回すのは弱気すぎる。、どちらかを切って勝負。となれば、この場合はを切る。これは理屈ではない。経験則である」と云うようなことが書いてあった。
しかしを切るのはいいけれど、この設定で「経験則」はないだろう。
経験則というのは、「理屈ではちゃんと説明できない。しかし今までの経験で、なぜかこうしておいた方がうまくゆく」というような主旨。
そこでこの場合でも、特別な状況でなければ筋心牌のよりも、を選択するというのが一般的な考え。しかし12巡目以降、いわゆる終盤に入っている場合は、を切っておいた方がより安全と云うなら経験則。しかし親の現物にがあるというなら、経験則を通り越して基本の一打。
朕、思へらく。きっと出題者も本来の経験則から云う切りを推奨したかったんだろう。しかし経験則というやつは説得力に欠けるのが欠点。(-_-;
たとえば嵌張と双、どちらを選択するかというような場合、σ(-_-)は経験則によって、双の方がアガリの確率がいいと思っている。そこで双を選択する方が多い。しかしどちらを選択するにしても説得力なんてゼロに等しい。
もちろんホームページで開設者が好きなことをくっちゃべるなら、説得力があろうとあるまいと大して問題はない。しかし天下の公器、新聞コラムとなると、そうは行かない。この出題者も仕方ないから、を現物で持ち出したんだろうと思う。う〜ん、気持ちは分からんでもないけれど、これじゃあせっかくの経験則もインパクトゼロ....
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