Mahjan talk 雀話

    (98)赤牌麻雀


 もともとσ(-_-)はフリー雀荘へ足を運ぶことは少なかった。足を運ばなかったもっとも大きな理由は、よく打ってた昭和40年代から50年代、或るサークルに属していて、打ちたいときにいつでも打てた環境にあったから。

 古いビルではあったが一室をサークルで借りてゲーム場所としていた。さまざまな層の会員がいた。そこで毎日、朝10時から夜10時まで、そのサークルへ顔を出せばいつでも打てた。そこでフリー雀荘に足を運ぶ必要性が薄かったわけである。

 それでも多少はあちこちのフリー雀荘へ顔は出していた。昭和50年代に入った頃、関西のブー麻雀では赤五筒なるものが入っていると聞いた。
赤五筒は、1970(s45)年、大阪で万国博覧会が開催されたとき、シンボルマークである桜の花をもじって考案され、関西のブー麻雀で使用され始めたという。
日本万国博シンボルマーク





 (ふ〜ん)とは思っていたが、そのころでもサイコロの目でドラを増やす最初からドラ表示牌を2枚めくる(両懸(りゃんけん)という)、「本日のドラ」をめくるなどのインフレ麻雀はあった。そこで賭け麻雀に新種のドラが登場したくらいの印象で、大した興味はなかった。

※本日のドラ
最初のゲームの親が決まったとき、親が壁牌から適当な1枚をめくる。めくられた牌が「本日のドラ」となり、その日のゲーム中、固定ドラとなる。


 そうこうするうちにいろいろ忙しくて、しばらく麻雀から遠ざかっていた。その間に赤五筒赤は言うに及ばず、赤五萬 赤五索 、さらには赤三萬 赤三索 赤三筒 赤七萬 赤7索、赤7筒まで普及してきたことを聞いてはいたが、いずれにしてもまったく興味がなかった。

 先日、事情があって某フリー店で客として打った。それこそ20年振りくらいに足を踏み入れた店だ。20年ぶりなのでどんなルールかと思ったら、やっぱり赤五筒 赤五萬 赤五索が各1枚づつ入っていた。う〜ん、むかしはマトモな店だったのにって今の世の中じゃ、これがマトモか....

 そして赤五筒 赤五萬 赤五索を全部使ってアガると八翻扱いだという。そんなルールは初めて聞いたが、赤牌麻雀ではよくあるルールなのかいな。といっても赤牌のみではアガれないので、タンヤオとか何か他の役をつけなければならない。

 で、ゲームは始まったが、赤牌がくると目の敵にして切ったので(笑)せっせと負けた。
※正直に言うと、始まって5分もしないうちにプレーヤーのマナーのレベルに、やる気も失せていた....ああ、言い訳ができてよかった、よかった。(笑)

 そうこうするうちに、ある手でリーチをした。赤五筒もあり、いちおう高めで跳ね満まである手。そして目出たく高めをツモアガったが、得点の他にチップが5枚オールほど来た。

 どうやら赤五筒のチップの他に、跳ね満とか裏ドラのチップがプラスされたらしい。しかしいまだに何でチップがこいだけ来たのかよく分からん。(笑)

 いずれにしても、これで点数やらチップはかなり回復。と、その数回あとの局。ある人が赤牌入りのクイタンサンシキをやっていた。

 三索四索赤五索 四萬三萬赤五萬と2副露したあと、突然、「ツモッ!」っと叫び、アガリ牌を卓に叩きつけた。なにが起こったのかと思ったら、二索 五索待ちで赤五索をツモっていた。これでクイタンサンシキ赤3で倍満のアガリ。もちろん得点の他にチップもワンサカ。

 アガったプレーヤーは興奮で顔を真っ赤にしていたが、σ(-_-)は「やっぱりくだらん麻雀だ」と思った。あ、別に親っかぶりしたから言ってるんじゃないからね。(笑)

 もちろんそこでゲームしている人の多くは、たぶん麻雀というより、ジャンブルをしている(と思ふ)。それでσ(-_-)とは感覚が違っても、別に不思議じゃないけれど。

 そんな調子で、その日のゲームは終了したが、その店、現在ではのほかに、赤2万、赤2索、赤2筒も入っている。三索四索とあれば、赤待ちのダブルチャンスだ。当然、赤牌チップが以前にまして飛び交っているとか。まぁ、それでお客さんが喜んでいるならそれでいいけど、やっぱり赤牌麻雀はσ(-_-)にはなじめないな...

 ところで赤牌といえば、357の奇数牌が一般的。それが偶数牌なのは、もちろん赤5の筋に対応したんだろう。しかしここまで来たんなら、いっそのこと赤8も入れたらいいのにと思った。どうせインフレ麻雀なんだしさ....

 しかしやっぱり2種類だけというなら、むかし広島で打った赤3赤7入り(3と7が1枚づつ)のほうが気が利いているよな....

ほいだけ....

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