今月号(H14/2月号)の月刊プロ麻雀に、「雀も将も」という井出洋介さんのコラムがある。内容は、“麻将プロとして今後もガンバってゆく”という主旨のもの。それはいいけれど、どうも「麻雀」の捉え方というか、扱い方がどうも気になった....
私はギャンブルを伴った「麻雀」を決して否定していません。しかしもし打ち手のプロの世界が確立されるとすれば、それは当然、非合法のギャンブルからまったく離れた頭脳スポーツとしての「麻将」の世界だと信じています。
(現在、麻将連合の何人かが)「麻将」だけで生計を建てるようになっています。それがまだできない人たちも、周囲の「麻雀」の人たちの応援を受けながら「麻将」の普及活動を...云々
「打ち手のプロの世界が確立されるとすれば、それは当然、非合法のギャンブルからまったく離れた頭脳スポーツとして」という点については、まったくその通り。現在の麻雀が少なからず金銭をともなうものであることもその通り。そこで井出さんが麻雀=ギャンブルというイメージから脱却する手段として、中国流の「麻将」という表現を用いていることもよ〜く理解している。
しかし“ギャンブルを伴った「麻雀」を決して否定していません”とか、“周囲の「麻雀」の人たちの応援”なんてコメントを見ると、なにか、麻雀=ギャンブルゲーム、麻将=頭脳ゲームと区分けされているような気がする....第一、「麻雀界」でもマインドゲームとして競技麻雀の確立に意を注いでいる人はたくさんいる。
現在、中国での表記は麻将に統一されている。そして公式ルールによる大会はもちろんノーレート。しかし一般の中国人がプレーしているのは100%、賭け麻将。誤解を恐れずに云えば、一般の中国人にとっての麻将は、イコール賭けゲームという認識。別に「麻将」という名称にケチを、なんてつもりはない。云いたいことは、名称も大事だけども中身も大事、と云うことなので、誤解の無いように。
むかし師匠が「ルールは団体の金看板」と云われたことがある。ルールを見れば、その団体がどのようなポリシーにあるか推定できるという主旨と理解している。もちろん勝敗の生じるゲームであれば、どんなゲームであっても賭けは可能だ。しかし賭けが可能=囲碁はギャンブルゲーム、ではない。やはり重要なのはゲームの中身だろう。
もしノーレートなら「麻将」というなら、サンマでもノーレートなら「麻将」ということになる。もちろん井出さんの云う「麻将」はそうではないだろう。となれば「麻将」とは、ミューのルール
and システムによるノーレート麻雀ということになる。
しかし考え方の違いと云ってしまえばそれまでだが、ミュールールは単におとなしめの一般ルール。プロ連盟のAルールと大同小異。少なくともσ(-_-)にはプロ世界を確立できるほど昇華されたものとは思えない。
プロゲームとしての昇華度から云えば、101連盟ルールand システムの方に、はるかに大きな昇華度とポリシーを感じる(少々云いたいことはあるけれど....)。
あ、いかん。筆が止まらなくなってきた....この辺にしておこうっと。。。。
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