Mahjan talk 雀話
 
   (40)絶対雀痴


 「雀のお宿」の「創語」に、「絶対雀感」というコラムがある。コラムの末尾に「いつもどおりのオチャラケ」とあるが、とんでもない。まことに読み応えのある名コラム。

 その絶対雀感の持ち主について、「驚くべきことに彼らは麻雀を覚え始めた頃から、『勝ち組』であった」とか、「荒牌時には相手三人の手牌の十枚以上を言い当てることができる」とある。とてもじゃないが、逆立ちしてもかなわん。

 σ(-_-)がいちおう勝ち組みと云われるようになったのは、少なくとも麻雀を覚え、かつ一所懸命やってン年後。相手の手牌だって、ゲーム中こそ多少考えているが、その局が終わった瞬間に意識は飛んでる。。。。そんなσ(-_-)でも、いちおう勝ち組の仲間に入れたのは、ただただ修練のたまもの....

 その「絶対雀感」の中に、「練習した結果、確かに身に付いたモノはあったが、それはKが考えるに絶対雀感とは別物らしい。絶対雀感を持つ打ち手はこんな努力とは無縁の存在なのだと思えている」とある。ふむう、なるほろ。

 音感を修練で高めることはできる。しかし絶対音感は修練で高めるというより、持って生まれた才能らしい。とするならば、σ(-_-)には逆立ちどころか、でんぐり返っても無いものは無い。(号泣)

 しかしここに一つの救いがある。あちこちで話を聞くと、絶対音感の持ち主=名歌手、あるいは名作曲家でもないらしい。さらに云えば、なぜか唄がヘタ、あるいは作曲の才能はないという人だっているらしい。ということはだ、絶対雀感の持ち主=麻雀がうまいとは限らない。おお、なんだか希望が湧いてきた。(笑)

 そんなヨタはともかく、では絶対雀感とはなんだろう。絶対音感のチェックなら、話は簡単だ。音感の有無は、歌の才能とか作曲の才能とは別問題ということは分かった。 そこで別に唄ってみせることも作曲させてみる必要もない。たぶんいろいろ音を聞かせて当てさせたり、いま聞いた音曲を再現させてみせればOKだ。なら絶対雀感のチェックはどうするのか。う〜ん、こいつぁ難問だ。。。。

 残念ながら絶対雀感の適切なチェック法は、いま頭に浮かばない。しかし絶対雀感の要素に、センスの有無は大きく関係しているような気がする。場況は刻々と変化する。もちろんその変化は、「あの人がアレを打ってきた」、「この人がコレをチーポンした」ということで生じる。そこで戦術書などには、「こういう捨て牌の場合、相手の手はこういう状態になっている。そこでこの場合はこう打つ」とか、「こういう鳴きは、これこれと考える」いう感じで書いてある。

 その分析はきっと正しいんだろう。しかしそれはよくある野球漫画とおんなじ話。野球漫画では、ピッチャーが投球すると、バッターはその球を打つまでに10コマくらいしゃべる。(笑)

「投げた瞬間、ピッチャーの腕が微妙に変化した。きっとこれはカーブだろう」
「なにぃ!、球が途中でホップした。ま、まさか、これはストレートか!」
「いや、ストレートにしては球が遅い。これはカーブのスッポ抜けだ」

 投げられたボールは、速球ならコンマ何秒でホームに届く。とてもこんな講釈を垂れているヒマはない。となればこれは大ウソかといえば、そうでもない。一流バッターともなれば、そのコンマ秒ほどの間に脊髄反射で以上のことを考えるらしい。

 麻雀だって同じこと。戦術書に書いてあることはその通りでも、東家の打牌から南家の打牌までわずか数秒。摸打が1巡するのも10秒くらい。そんな間に特定のプレーヤーの手に対して、「こういう場合、この人の手は・・・」などと10コマアかけて理屈をコネているヒマはない。経験から培われた反射神経で対処する。しかしいくら反射しても方向がトンチンカンだったり鏡が曇っていてはどうしようもない。ひょっとしたらこの方向性の正確さが麻雀センスかもしれない。

 σ(-_-)はゴルフも結構やっているが、いっこうに上達しない。そこで周りからは運痴大王と呼ばれている。言葉を換えれば、運動センスが無いと云われているんだろう。逆に運動センスがある某尾崎は、σ(-_-)より3年もあとにゴルフを始めたのに、1年も経たないうちにσ(-_-)よりうまくなった。いまじゃ世界のジャンボだとかジェットとか呼ばれてるらしい...

 それとおんなじで、麻雀センスが豊かな人なら短期間で上達し、いわゆる勝ち組プレーヤーとなる。逆にセンスが低ければ、たぶんなかなかうまくならない。はっきり言えば、いつまで経っても負け組だ。運動センスが低いのが運痴ならば、こっちは雀痴。センスゼロなら絶対雀痴か。。。。

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