現在、麻雀を楽しんでいる人の半数は点数計算ができないという。もちろんそんな統計が取られたことはないだろうから根拠はない。しかしかなりのレベルで、「出来ない」という人がいるのは確かなようである。
どうして出来ないかと云えば、一言で云えばマスターするのが大変ということ。ゲームを楽しみたいのに、勝負の判定基準である点数計算が難しく、初心者ばかりでは楽しめないと言うのではゲームとしては不親切きわまりない。
そこで以前から、現行方式の改善を提唱している。とはいうものの、とりあえず現実には3900だ5200だなんてシステムでゲームが行われている。だとしたら覚えなければケンカにならないというのも確か。
多くの人が似たような経験していると思うが、中学校の古文の時間、先生から「来週までに平家物語の一の段を暗記してきなさい。暗記できた人は今度のテスト百点」と云われた。平家物語の一の段、つまり「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり....」というあの有名な部分だ。これが結構の量がある。「とてもできないや」と思った。しかし百点が欲しい一心で夢中になって暗記した。そしたら出来た(もう忘れちゃったけど(^0^; )。
点数計算だって同じこと。これはあくまで自分の経験だが、きちんと覚えようと思ったのは大学1年の時(それまでの高校麻雀ではいい加減にやっていた)。そう決めてから、まず入門書を買ってきた。刻子/槓子など符の基本を覚え、あとはひたすら暗記した。もうヒマさえあればニイヨン・ヨンパア・クンロク....、イチロク・サブニイ・ロクヨン.... 平家物語の時のように時間を限られていたわけではない。そこで丸暗記にどれくらいかかったか覚えていない。しかし平家物語の半分の量もない。それほど時間はかからなかったことだけはたしかだ。結局は意欲ということだろう。
さて点数計算をマスターといってもいろいろ段階がある。σ(-_-)にしても、やはり相手の手を一目見ただけでパッという最終段階に至るには、点数を丸暗記してからも多少の時間はかかった。
では「計算ができる」というのは、どのレベルのことを云うのだろうか。一般的にはテンパイしてからアガリになるまで少しは時間がある。そこで自分の手であれば、その間に計算をするのに多少の余裕がある。そこでテンパイしたあと、数巡後にアガリになったのであれば、アガリ表明のあと、すぐ点数が申告できなければおかしい。そのためにはテンパったあと、頭の中はフル回転だ。自分の手であるにも拘わらず、アガリを表明してからウ〜ンウ〜ンと唸っているようでは実用的でない。
そこで「計算ができる」ということをこの実用性に当てはめると、「アガリ表明のあと、数秒で点数申告ができる」という段階と云うことになるだろう。もちろん一口にアガリといってもツモアガリ/ロンアガリ、高め安めなどがある。最初のうちはそんなんで一瞬モタついても仕方はない。しかしおりおり間違い申告を訂正されたりしても、頑張ってある程度の迅速さで申告するようにしていると自然に慣れてくる。
一番いけないのは間違い申告を恥ずかしいと思ったり、訂正されることを不愉快に思ったりして逡巡すること。誰でも最初から完璧に計算できたわけではない。恥ずかしいことなど全然ない。
「不愉快に思う」というのは、「恥ずかしく思う」とはちと事情が違うようだ。「訂正されることが不愉快」なのではなく、「訂正のされ方で、不愉快な思いをすることがある」ということだろう。たしかにそんな状況はありがちだ。しかしこれはそれぞれの人間性の問題。「こいつはこんなことに優越性を感じる程度の人間なんだ」と割り切って無視すればいい。
そうしていれば後は慣れ。計算スピードがあがるとともに、だんだん他人の手についても計算できるようになる。これが身につくと、他人の「ロン、**点」という申告を聞いただけで、手をみなくても相手のアガリ役が想像できるようになる。もちろんパッと他人の手を見せられただけの場合でも、見てから数秒で計算できるようになる。努々(ゆめゆめ)疑うことなかれ。(-_-)
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