Mājan talk 雀話

    (181)ちと 思ひ出


 思ひ出 と云っても、どれくらい前の出来事だったのか分からない... なんとなく30年くらい前のことのような気がするがはっきりしない。しかし 一つ手懸かりがある。アレは日本プロ麻雀連盟という団体が発足する少し前の事だった。そこでプロ連盟をネットで検索してみた。すると「プロ連盟は1981年(s56)3月設立(プロ連盟のHP)」とあった。そうか、あの出来事は やっぱり30年くらい前のことか。

 そのころ 小島武夫さんとN太郎さんが中心となり、プロ団体の設立されようとしていた。古川凱章さんにも参加要請があったが、古川さんの返事はNO。その理由は よく知らないが、たぶん団体の方向性やら人間関係などが理由らしい。

 当時、古川さんは 年間順位戦(現在の101連盟の前身)という競技麻雀グループをつくろうとしていた。競技麻雀となれば、ルールやシステムが非常に重要となる。しかしプロ連盟は、一言で言ってしまえば「(ルールやシステムは二の次)どんなルールでも勝つのがプロ」みたいな考え方。これでは話が合いっこない。

 ちょうどそんな頃、“月刊 近代麻雀”で「古川凱章のルール対談」みたいな企画があった。これは毎月、ゲストを1人迎え、麻雀のルールやシステムに関して考えを聞くという企画。当時は「ふ~ん、面白い企画....」と思った程度。しかし今思うと、古川さんが新しいグループを立ち上げるにあたり、より良い競技ルールを求めて、多くの人の考えを聞きたいということだったようだ。その対談の最終回、σ(-_-)も出ることになった。

 当日、もう一人のゲストとともにナゴヤから上京。当時、飯田橋にあった竹書房の3階だか4階の1室で対談開始。そのときσ(-_-)は「競技ルールとなれば、要点だけを記した抜粋的なものではなく、詳しい全文ルールが必要」みたいなことを話した。そんなことを話していると、会議室のドアが“パーン”と開き、1人の男性が急いだ感じで入室してきた。σ(-_-)はドアの方を見られる席に座っていたので、(えっ!)という感じで顔を上げた。古川さんも(なに?)という感じで振り向いた。すると入ってきたのはN太郎さんだった。

 入ってきたN太郎さん、グルッと室内を見回すと すぐ古川さんを見つけ、ツカツカという感じで近寄ってきた。そして いきなり古川さんに「ちょっと話ができないか

 古川さん、ちょっと迷惑そうな感じで「いま対談中なんで....
 しかし そんな返事にお構いなく、そのまま古川さんの横に立ち、 「どうしてもダメか」 みたいなことを話しかける。これではとても対談を続けることはできない。仕方ないので古川さんも立ち上がり、少し移動した場所で立ち話を始めた。押し問答みたいなものを聞いていると(というか、否でも応でも聞こえてくる)、どうやら古川さんへの最後の説得みたいな感じできたらしい。

 それはいいが 一応σ(-_-)はゲスト(>_<)、(いくら何でも失礼ではないかい.....)なんて思っていると やがて話は終了、というか完全に物別れ。N太郎さん、来たときと同様、何も云わずに引き上げて行った。それからほどなくして、会長 小島 武夫、理事長(だったかな?) N太郎でプロ連盟が発足した。

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