上がるのが当たり前の物価の中で、優等生と言えば庭鳥(にわとり=鶏)の卵。なんとここ数十年、ほとんど変化が無いそうだ。そこで卵は物価の優等生なんて呼ばれる。しかし実は我が麻雀界の中にも物価の優等生が存在する。それは俗に風速と呼ばれるモノ。
いま世の中ではギャル雀とかコンパニオン雀?とか、とにかく明るく楽しいフリー荘が大流行。別にギャル雀じゃなくたって、いま街のフリー荘では風速0.5mが主流と思う。
昭和40年代前半、学生だったσ(-_-)が友人同士で盛んに打っていたのが、この0.5。親からの仕送りだけでほそぼそ生活している貧乏学生。4年生になってピンということもあったが、やはり主流は0.5m。
当時、友人と語らって、根城であった水道橋のアイウエオから早稲田のある高田馬場や法政の飯田橋へよく遠征に出かけた。出かけるときは必ず二人連れ。こっちが3人だと、相手が1人となる。これでは相手がのってこない。かと云って1人で出かけるのはさすがに心細い(笑)。
なぐり込みだ遠征だといっても、別にイカサマをして稼ごうなんて話ではない。腕試しとか肝試しというレベルの話。それでも敵?のたまり場の雀荘になぐり込むのだから、まず一発かます必要がある。(笑)
そこで雀荘の扉を明けるやいなや、まず「さぁピンで打とかっ、ピンで!」と大きな声を出す。声を出す役目は、同窓会麻雀でも紹介した橋場(仮名)だった(笑)。
その一言でなんとなく雀荘内が緊張する。学生のたまり場のような雀荘では、何卓かのうちに立ち見しているのが必ず数人はいる(立って見ているという意味ではない)。そのうち、その中から「よし、俺が」というのが出てきてゲームが始まる、と言う感じ。で、実際にピンで打つこともあったが、あくまで最初の一言は一発かませるためのもので、実際はほとんど0.5mで打っていた。
で、話を本題に戻すと、このころの大卒の初任給が約3万円。30年ほどたった現在は約20万円くらいか。しかしフリー荘のメインは現在も風速0.5m。それどころか、最近は風速ゼロなんてのも耳にする。ほとほと感心するとともに、大いに結構な話。こんな物価の優等生がなぜ物価白書に載らないのか、ぜひ通産省に聞いてみたい。(笑)。
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