Mahjan talk 雀話

    (115)ウワサの真相


 月刊・プロ麻雀に「麻雀界・ウワサの真相」というコーナーがある。その今月号(2004年2月号)の記事。

 「ある大会の決勝で某選手が、確かに首位者からはかなり離れた位置にはいたものの、何とかこれを逆転しようとする姿勢を見せずに、自ら2着のままゴールインした。
 この行為に対して、くだんの対局を観戦していたファンと思われる人物から団体のネット掲示板に批判が投稿され、これがきっかけとなって悪意に満ちたようなものを含めてさまざまな書き込みが相次ぎ、一時は収拾つかなくなりました」

 この行為の是非について、「一般的にプロ競技者はどう考えているのかが知りたいのですが...」という質問が読者(と思うが)からあり、「業界専門誌として、ある程度は本件に対してコメントする必要があると判断」し、取り上げたという。

 う〜ん、そんなことがあったのか。あんまり楽しそうな話題じゃないけど、σ(-_-)の好きな麻雀界での出来事となれば、やはり気になる....

 で どんな風に取り上げてあるのかと思って興味深く目を通した。すると十人十色という一般論が羅列してあるだけだった。そして最後に「麻雀、やっぱり捨てたもんじゃないという思いを強くしました」とマトメてあった。なんじゃこりゃ....

 なんだか「一般的にプロ競技者はどう考えているのか”というご質問がありましたので、一般的な意見を紹介してみました」と云う感じで、とてもウワサの真相に迫るような内容ではなかった。

「“ある程度”と断ってある通り、“ある程度”なんだ」と云いいたいのかもしれない。また雑誌社はこの問題について白黒はっきりさせなければならない立場でもない。そんなことは分かっている。

 しかし一時は収拾がつかなくなったほどの熱い議論に敬意を感じ、業界専門誌としてコメントする必要があると判断したというなら、そんなファンに対して、案の定でしかない一般論の羅列で済ませるのでなく、もう少し真剣な対応をして欲しかった。その真剣な対応と云えば、やはり当該プレーヤーの自戦記の掲載ではないだろうか。

 「プロ」が単なるアガリっこの競争をしているわけがない。ましてや優勝決定戦ともなれば、一摸一打、「思い」をこめて打っていた筈。しかし形としては、「首位者からはかなり離れた位置にはいたものの、何とかこれを逆転しようとする姿勢を見せずに、自ら2着のままゴールインしてしまった

 となれば一般ファンは、そのウチ回しがどういう「思い」によるものであったか知りたいと思い、一時は収拾がつかなくなるほどの書き込みにつながった(のだと思われ)。じっさい「悪意に満ちたような」という投稿にしても、そういう自戦記がどこにも発表されなかったため、行われたのかも知れない。

 もちろん世の中には十人十色。どれだけ思いを吐露しても分かってもらえないことは幾らでもある。また優勝を放棄したような打ち回しをした以上、どう説明しても「納得できん」という反論はあるだろう。だからといって「プロ」が信念を持って打ち回した思いを説明できないのでは、一歩も前進しないのではないかいな。というのが、この記事を読んだσ(-_-)の感想
 最後に十人十色であったというプロの数々の意見のうち、ちと気になった意見について。

>打ち方はあくまで自由。第三者がとやかく云うべきではない。


 思わず “ ごもっとも ” と云いそうになる。しかしちょっと待っておくれ。これがわれわれシロートの遊び麻雀での事なら、たしかにその通り。しかし「プロ」の本場所である競技会での出来事ともなれば、話しは異なる。

 たとえば本場所でダブ南のドラでのロンアガリを見送ったり、あるいはツモアガってもアガらず、結果的に他家の流し満貫を完成させたりすることがあったりすれば、一般ファンから説明を求められて当然となる。

 もしプロの多くが、「どう打とうと個人の勝っ手。どんなに疑問に思うことであっても、第三者(一般ファン?)がとやかく云うな」と思っているとすれば、そっちの方が問題と思う。

>プロたるもの、常に観ているファンを納得させねばならない。

 なんだか極端な意見に思えるが、それくらいの迫力は頼もしい。

>賞金に差がある以上、2着(あるいは3着)確保は、むしろプロであるからこそ、ある意味当然の行為。

 たしかに2位(5万円)と3位(3万円)では2万円の差がある。しかしこのプロの意見は、なんか矛盾してるような気がする。

 2位と3位では2万円の差でも、1位(50万円)と2位では45万円の差。「むしろプロであるからこそ(賞金額の差にこだわるのは)当然の行為」というなら、可能性は低くても5万円より50万円にこだわるのがプロとして当然では、と思うのだが。

 第一、1位(50万)、2位(5万)、3,4位(3万)という賞金配分を見ると、この大会では優勝のみが評価対象で、残りの2,3,4位はほとんどその他大勢という感じ。その “ その他大勢 ” である2,3,4位で賞金額が2位>3位=4位となっているのは、順位の問題ではなく、たぶんプラスマイナスの問題。

 通常、麻雀は2位はプラス、3,4位はマイナスで終了することが多い。マイナスよりプラスの方が、いちおう良い成績と云える。そこで本来は2=3=4であるけれど、プラスであろう2位には少し色がつけてあるという程度のことだろう。

 もちろん金銭の価値は人によって異なる。しかしプロの本場所、それも優勝決定戦で2万円の賞金差のために実質3,4位と同評価の2位確保に走ったのだとしたら、ゲームの本質を見失っていることになる。まさかこのコメントをしたプロは、当該プレーヤーはそうだったとでも云いたいのか....

>印象的だったのは、「否定はしない。ただおそらく自分はやらないと思うが....」という意見。裏を返せば“自分はやりたくないが、現実に自分がその立場に立たされればやるかも知れない”とも取れるからです」

 青字は雑誌社のコメントだが、なんだか「根底から否定する意見の持ち主だって、その立場になってみればやるかも知れない。である以上、人のことをとやかく云うな」とでも云いたいみたい。

 これじゃあ雑誌社が敬意を感じたという一般ファンの熱い思いに答えるため、当該団体や当該プレーヤーに自戦記執筆の要望をだすなんてことは、とてもなさそうだ。それでもひょっとして自戦記の掲載があるとすれば、行為の発端らしい南の2局0本場から重点的に書いてもらいたい。

 う〜ん、新年そうそう、あんまり楽しくない話題だった。どうせなら、もっと楽しい話題からスタートしたかったなぁ....


 昨夜、上記のコラムについてメールを頂いた。それによれば、すでに昨年、オーラスの状況について当該団体のHPに自戦記といえるものがupされているという。なるほど。通りすがりさん、ありがとう。

 で、オーラスで逆転優勝するためには、ハネ満直撃や役満ツモが条件であったという。これはさすがに厳しい状況。しかし今回の書き込みのアレコレは、オーラス時のアガリだけに対しての事だけではなかったとも聞く。だからこそオーラスの自戦記だけでは、問題が収束しなかったと思われる。

 親なら連荘という手がある。そこでどんな手でアガリにかけようと問題はない。となれば問題は、親番の無くなった南の2局0本場からオーラスまで、いかなる思いで戦ったのかということがファンの一番しりたいところ、と言うことになる。団体掲示板への多くの書き込みも、その部分の話しがないため行われたのではないかと思う次第。

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