麻雀が日本に伝来してから約80年。伝来当時と現在では、ルールは大幅に異なる。σ(-_-)が麻雀を覚えたのは40年くらい前。その40年の間にも、いろいろ変わっっている。
分かりやすいところでいえば、 赤牌はもとより裏ドラ・一発も無かった。カンドラは一応あったが、とうぜんアリという状況ではなかった。ゲーム前に、「アリかナシか」、アリなら、「現物かネッキストか」という打ち合わせが必要だった。
持ち点にしても、現在は2万5千/3万返しが普通なようだが、当時は2万8千/3万返し点が普通だった。とうぜんトップ賞は8千点。しばらく経って2万7千/3万返しでやるようになったとき、(ずいぶんインフレだなぁ)と思ったものだ。これはそんなルール過渡期の学生時代の思いで。
大学4年のとき、花村(仮名)の下宿で徹マンした。そのとき、橋場(仮名)がとをポン。「おおっ」と云ってるうちに田尾(仮名)が打。それを橋場がポンっ。思わずσ(-_-)と花村が「わぁっ!」
そしたら花村が「おい、浅見。これはどうなるんだっ」
これはもちろん、「どういうふうに責任払いになるんだ」と言う意味。
現在では確定役満をアガられた場合、ツモアガリなら責任牌を出したプレーヤーの1人払い。ロンアガリなら放銃者との折半払いというのが、まぁ一般的。しかし昔は、ツモアガリだろうがロンアガリだろうが、責任牌を出したプレーヤー1人払いというルールがメジャーだった。
で当時はどうだったかというと、まぁ、ロンアガリは放銃者との折半払いというのがメジャーになりつつある状況だった。とはいうものの、しょっちゅう発生する状況ではない。そこでなにがどこまでどうなっているか、そんなとこまでは何ともいえない。
いずれにしても急に聞かれたので少し泡をくった。泡はくったけど、放銃して折半払いなどしたくもない。そこでとっさに「そんなもん、誰が放銃しても田尾の責任払いに決まっとるわさ」と答えた....(_ _;
そしたら田尾が、「なにっ、それはホントかっ」
花村が「ということだ」(キッパリ)
そしたら田尾が、「どうせ俺の責任払いになるんだったら、他のやつには放銃させん」と言い出した。何をワケの分からんことを言い出すんだと思っていたら、自分の手牌からアタリそうな牌を抜き出しては、「あたれ〜や」、「あたれ〜や」と云いながら切り出し始めた。
こっちはいくら支払いには関係なくても、放銃なんぞしたくない。そこでハラハラしながらベタ降りしていると、3巡くらい経って田尾が放銃した。
支払いが済んだあと、「無理に打つことはないじゃないか」というと、「どうせオレの責任払いだから、おんなじじゃないか」という。
そこで「橋場がアガるとは限らんだろが。第一、流れるかもしれんし....」
すると田尾が「あっ、そうかっ!」
やがて次局が始まったが(ヨンマで「箱テン終了」というルールはなかった)、その局の間中、田尾は「♪わたしバカよね〜、おバカさんよね〜♪」という、当時はやりの歌謡曲を唄っていた。(-_-;
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