KM Q&A 難問奇問 

         (14)ツモ回数と王牌
(月刊近代麻雀・昭和61年9月号)


 麻雀を覚えたとき、不思議に感じたことがあります。それは王牌(ワンパイ)のことです。
どう考えても、西家北家のツモ数が東家南家にくらべて1回少ないのはおかしいと思うのです。どうしてこういう「ことになっているのか。また競技麻雀では、いかにあるべきなのでしょう。(匿名希望・公務員)


 この東南18回、西北17回のハンデツモについては、「その局だけを見れば変則でも、全体的に見れば結局は平等」という意見もあります。しかし問題は、「1局において差のあるツモ回数が、確かな理由もなしに行われる」というところにあるわけです。そこで「結局は平等」というのは、少し観点がズレた意見ということになります。

 このハンデツモの原因となる王牌7トン(上下2枚)14枚残しに対しては、「麻雀は天帝の手牌である」とか、「王牌は皇帝の墳基を表す。14枚なのは殉死の家来が14人であることを示す」などという説がありますが、いずれもコジツケの域を出ていません。いずれにせよ王牌14枚残しが論理的理由で存在するわけではないことは間違いないようです。となれば7トン14枚という枚数にこだわる事もないことになります。

 そこで単にツモ数を公平にするだけなら、王牌を1トン(上下2枚)増減すれば良いことになります。しかし競技麻雀として考えた場合、王牌は1トン増減のどちらが良いかという問題ではないと思われます。

 現在、麻雀はゲーム人口だけを見れば、囲碁将棋に比肩する人気があります。しかしそれはゲーム人口だけの話で、知的ゲームとしての評価となるとお寂しい限り。競技麻雀を表看板にしている団体にしても、まるで金さえ賭けていなければ競技麻雀といわんばかりのものさえ見かけます。麻雀がいつまでもそのような内容のものであれば、百年たっても碁将棋に比肩するプロゲームとはなり得ないと思います。

 そこで麻雀を碁将棋と肩を並べるゲームに育てるためには、そのようなルールやシステムを競技牲豊か軋ものに改善する必要があります。それには新たに運の要素を加えないというだけでなく、古来からのルールであっても抜本的に考え直す必要があります。

 その点から王牌を考え直してみると、まず第一に牌が136枚あるならばそれが全て使用されることが前提ではないか。毎回 全体の10分の1もの牌を除外した状態でゲームを開始するというのは、常に消化不良を起こしたようなゲームとなっているのではないかという疑問が湧いてきます。

 ゲームも終盤になると場がかなり煮詰まってきます。王牌を廃しすると、その煮詰まった状態からさらに14回の摸打が行われることになります。そうなると場は煮詰りを通りこして焦げつきの状態になります。その焦げつき状態の中で行われる闘いはしっかり中身が濃いでしょうし、このような闘いの中からこそ真の競技麻雀としての評価が生まれてくると思います。

 また王構がなくなれば、ツモ数は各自21回となります。もちろん王牌の廃止は、単にツモ数を平等にするために行うのではありません。しかし結果的とはいえ、大いに望ましい結果です。

 この王牌の廃止を最初に提唱したのは、日本牌棋院の故・天野大三名人です。氏は昭和53年3月27日発表しを新報知ルールの中で、「最後の1枚までツモったほうがフェアでスマートなゲームになる」と述べています。しかし天野氏のせっかくの王牌廃止論も、大きな評価をうけることはありませんでした。

 さて王牌がなくなれば当然ドラがなくなります。もちろん競技麻雀にドラがあること自体おかしいのですから、ドラについてはまったく問題ありません。問題になるとしたらですが、実はこれも無くなっても一向に構わない、それどころか無くしたほうがどれ良いか分らない存在と考えます。

 というのは、まずがあると牌の連続取得ができるという問題が生じます。同一牌が4枚揃ったからといって、2連続、3連続のツモが行えるというのは競技的と思えません。別に槓子が存在しなくても、1雀頭メンツを構成するのに窮することはありません。4枚目の牌が使えるなら使えばいいわけですし、使えなければ打ち出せば済むことです。

 第2に暗槓子の公開という問題があります。ゲーム中、手の内の牌を見せないのは当然ですが、一般麻雀では暗槓に限って公開することになっています。もちろんこれはその槓の正当性を他プレーヤーに示すためですが、本来見せてはならない手牌を見せなければならないというのは必要悪といえます。かといって暗槓子はいっさい見せなくても良いとなると、それ自体は競技的であってもアガリ放棄さえ覚悟すれば合法的に壁牌を減らすことができるというアキレス腱も生じます。

 そこで暗槓を公開しないルールの中国麻雀では、その局が終了してから暗槓子を公開します。その時点で間違い槓が判明すれば、罰金払いとなります。賭け麻雀ならそれでもいいのでしょうが、競技麻雀という観点からは ゲームが終了したあと、得失点精算と同時に罰符を精算したりするのは疑問があります。

 第3には、嶺上牌取得順の問題があります。現在では王牌末尾トンの上段牌が第一嶺上牌ということになっています。しかし本来の第1嶺上牌は王牌末尾トンの下段牌で、上段牌は第2嶺上牌なのです(同じ要傾で、第3嶺上牌と第4嶺上牌も逆転しています)

 そこで古典麻雀では、第1嶺上牌(下段牌)を取得しやすくするために、あらかじめ第2嶺上牌(上段牌)を他の王牌の上に移動させたりしていました。しかしこの作業が面倒なので、現在は逆転状態を正しいものとして扱うようになっています。それはそれで良いとしても、取牌箇所が異なっていいのであれば、王牌ではなく壁牌から順に取得した方が良いくらいです。そうすれば王牌に触れる必要も生じません。

 このほか、一般麻雀ではリーチ後の暗槓、搶槓、四槓流れなどの問題があります。すなわち王牌の廃止は、単にツモ数が平等になるということではなく、このようなルール上の疑義もすべて一掃する効果があります。明日の競技麻雀を真剣に考えるためには、この問題を真剣に考えるべきであると思います。

以前へ  以降へ  目次へ