ある会合でパチンコの歴史に関する講演を拝聴した。講演者はパチンコの歴史の研究者(女性)。非常におもしろかったので、内容をかいつまんでご紹介する。
みなさんも聞いたことがあると思うけれど、近代パチンコ発祥の地は名古屋。その理由は、パチンコ台の規格が名古屋で誕生した事にある。大正時代、イギリスからバガテルという縦型のスマートボールみたいなゲームが流入してきた。それが日本のパチンコの元。日本で改良されたこのゲーム機は、最初 ガチャンコとかパチンと呼ばれていたそうな。
このバガテル、コインを入れると盤面内に玉が出てくる仕組みだった。そこで日本製のガチャンも、1銭銅貨を挿入する方式で造られた。ところが警察から「天皇陛下のお顔が刻印されているお金を、賭博まがいの遊戯機で使用するとはケシカラン」とお咎めがあった。そこでお金の代わりにメダルを使用することになった(これをメダル式という)。と ここまではパチンコは名古屋にも麻雀にも関係ない。
ところが昭和12年頃、名古屋の藤井文一という人が鋼球式という方法を考案した。これはメダルではなく球を入れる方式で、現在のパチンコは この鋼球式が基本となっている。これは規格ではなく方式の問題であるが、現在のパチンコの基本方式が まず名古屋で生まれたことに注目。
藤井氏はこの新製品を造るために、ベニヤ板や盤面のガラスなどの材料を求めた。これが縁というものか、当時 名古屋はベニヤ板の主産地だった。これも名古屋がパチンコの主産地になった一理由とか。いずれにしてもベニヤ板の入手はOK。次は盤面用のガラスがいる。そこであるガラス商のとこへ行った。そのガラス屋の親父が近代パチンコ生みの親、正村竹一(まさむら たけいち)氏。といっても、まだその時は、ただのガラス屋の親父さん。
当時 パチンコ台の大きさ、規格などはメーカーによってまちまちだった。大きなガラスを新しく切って特注品を造るのは金がかかる。何か適当な既製品はないかと検討したところ、温室用のガラスがあった。
温室用のガラスは大中小とあったが、横幅はすべて同じで高さだけが違っていた。そのなかの「中」が縦横の大きさが手頃だろうと言うので、これになった。厚さは2mmと3mmとあったが、鋼球が当たるから丈夫な方がいいというので3mm厚が選ばれた。今日のパチンコガラスの規格は、ここで決まった。
この中サイズ3mm厚のガラスは45枚セットで販売されていた(大サイズは38枚セット、小サイズは50枚セットの売り)。そこでパチンコ台職人の間ではこの45枚セットを「よんごぅ」と呼んだ。今日でもパチンコガラスのことを「よんごぅ」と通称するのはこの為である。
この藤井氏との出会いが縁で、正村氏もパチンコ屋を開業した。しかしやがて第2次大戦のため、パチンコ産業も壊滅した。
大戦中、名古屋の都心も空襲で焼け野原となった。しかし奇跡的に正村氏の店の回り5軒だけが焼け残った。そこでいちはやくパチンコ屋を再開したら大流行した。台が足りないので正村氏も自分で製造に乗り出した。
戦前のパチンコ台は盤面いっぱいに釘が等間隔で打たれていた。玉はその釘の間をポトポトという感じで流れ落ちるものだった。しかし正村氏は、釘を独特の配列にすることによって、ある場所では流麗に、ある場所では風車に撥ねられ、ある場所ではポテポテという感じになるなど、球が変化のある動きをするような考案をした。天釘・命釘・ハカマなどはこのとき生まれた。これが今日のパチンコの基礎となっている正村ゲージである。
正村ゲージのパチンコは爆発的に売れた。そこでみんな正村ゲージの台を1台買ってきて、その真似をした台を造った。模倣台は正村台を買ってきて釘を全部抜き、釘穴を写し取ったベースをつくる。そのベースを下敷きにして釘穴の位置に釘を打ってゆくので、本物とまったく同じものが出来る。模倣台は1台\3500−で売られた。正村台の本物は¥7000−で売られていたので、模倣台も結構売れた。ところがやがてイミテーションは売れなくなり、¥7000−でも正村台の方がよく売れた。それはお客が「模倣台は球の動きが面白くない」といって納得しなかったからである。模倣台のメーカーは「まったく同じに造っているのに」と不思議がった。
実は正村ゲージには釘の配列以外の秘密が3つあった。正村氏はガラス商を営む前に大工の経験があった。その時、正村氏は「釘は斜めに打つべし」ということを覚えていた。
秘密の1>斜め打ち
模倣台は盤面に垂直に打たれていたが、正村台は目には分からぬ程度に盤面に対して場所によって前後左右から斜めに打たれていた。釘を抜いた後の釘穴だけ見て そこへ釘を打っている模倣台の職人には、それがわからなかった。
秘密の2>釘の長さ
パチンコ釘の長さは1寸(33mm)。他メーカーはそれを盤板に17mm打ち込んでいた(盤上に出ている部分は16mm)。しかし正村台は打ち込みが15mmで、盤上に出ている部分は18mmであった。そのため球が釘上で踊り跳ねる範囲が広くなり、盤ガラスにカチカチと当たって模倣台よりにぎやかで面白い動きをした。これも釘穴だけみてそこへ釘を打っているだけの職人にはわからなかった。
秘密の3>5分寝かせ
釘の根本が、他の台より微妙に甘かった(0.05mm)。これだけのことなら模倣により造った釘穴に釘を正確に打ち込むことで真似できる。しかし釘が甘ければ、単純にいって
よく入ってしまう。下手するとパチンコホールが大損する。そこで模倣メーカーの釘は正村台より妙に厳しくなっていた。とうぜん全体的に球が入る率が悪くなるので、お客に不満が出る。しかし正村台は釘が甘いにもかかわらず球の出が良くなったり悪くなったり適度にバランスが保たれ面白かった。この球の出が良くなったり悪くなったりすることをスランプという。
ではどうして甘い釘なのにスランプを演出することができたか。それは他メーカーより台の設置が立っていたからである(他メ−カーは4分5厘寝かせ、正村台は5分寝かせ)。盤全体が立っているから釘が甘くてもその分、球が踊る。踊るから面白い動きをする。これも台の製造だけを真似している模倣メーカーには分からなかった秘密。そんなこんやで、正村ゲージはパチンコの標準仕様となったのである。
と ここまではパチンコオンリー、これから多少麻雀と関係のある話。
昔の機械は一つの穴に球が連続して入ると、最初の球だけしか有効にならなかった。そこで正村氏は、連続して入った球を判別する装置も考案した。これを連チャン整理機という。この装置をパチンコに取り付けるには警察の許可がいる。そこで「連チャン整理機」という名称で申請したら、警察から「この名称はダメだ」と拒否された。
「我々はこのように通称している。どうしてダメなんだ」と聞くと「“連チャン”という表現がダメだ」という。どうしてダメなのか意味が分からなかったが、結局「ダブル球防止装置」という名称で登録したという。
そこでこの話をしてくれた研究者にσ(-_-)は「連チャンのチャンは、どういう字ですか」と質問した。すると「実は職人さんに聞いても『なんとなく最初からそう呼んでいる』というだけで、字は分からない」という。
そこで「それは麻雀用語の『連荘』から来ているのでは。警察が連チャンという表現をNGとしたのは、麻雀にギャンブルのイメージがあるので パチンコにそのイメージが持ち込まれるのを懸念したせいっかもしれない」と云った。すると「また一つパチンコの歴史が解明できた」と云って大いに喜ばれた。(^-^)V
パチンコミュージアムは、名古屋市西区城西4−19−6、正村会館の3Fにある(入場無料)。古いパチンコ台などがズラリと並べられているので、古典ファンには一見の価値があると思うじょ。
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