御母衣ダムは昭和27年に着工され、昭和35年に完成した。とうぜんいくつかの村が水没した。その中の中野地区に光輪寺、昭蓮寺というお寺があり、それぞれに樹齢4百年ほどの東彼岸(あずまひがん)桜の巨木があった。
時の電源開発総裁・高橋達之助氏が、これを水没させてはならないというので、電源開発の費用で、移植させることになった。しかしなんといっても、それぞれが重さ40トン。それを横へ600M、高さ50M移動させなければならない。横もさることながら、高さ50Mというのはビルの17,8階に相当する。
昭和35年、入念な計画の元、クレーンも用意されたが、かなりの部分は人力に頼り、40日かけて40トンの重さのモノをそこまで持ち上げた。当時としてはまことに世紀の大事業。昭和41年12月13日には岐阜県の文化財にも指定され、この地区の記念物となっている。桜は3本有るように見える。たしかに3本あるが、一番奥にあるのは、手前の2本の子孫。右隅に半分写っているのは、σ(-_-)の母ちゃん。(^-^;
こうやって見ても、桜の大きさが実感できないと思ふ。あまりに大きいので離れて写さねばならず、そうするとそれほど大きさを感じにくくなる。そこで全体が写らないのを承知で、近寄って写したのがこれ。↓ これが桜とは信じられないほどの胴回り!
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