(72)台湾話<8>地震)
今晩、NHKのプロジェクトXで霞ヶ関ビル建築のドキュメントをやっていた。大変面白かった。それまで日本で高層ビルが建設されなかったのは、日本が地震国だったせいだ。それを見ていて、2年前の台湾大地震のことを思い出した。実はそのとき、仕事で台湾におり、その大地震に遭遇したのだ。今回は、そのドキュメントだ。(-_-;
9/20、新竹(震源地から約70kmほどの工業都市)における昼間の仕事は予想外にうまくいった。とうぜんみんな上機嫌。台北に戻ってから、子供も呼び出し(日本の大学を卒業してから、台湾の大学へ留学してる)、台湾の関係者とともに、夜の繁華街(士林(シーリン))へ繰り出した。
みんな中国料理をたらふくいただいたが、これでは足らないと2次会へ。素敵な小姐のいる店で、数時間ドンチャンチャン!。深夜12時頃、子供とも分かれ、全員ホテルへ戻った。
疲れてはいたが、明日は朝10出発だから余裕はある。ま、本でも読みまそと、ベッドに仰向けになって持参した本を読み始めた。1時間ほどで寝るつもりだったが、面白かったのでついつい読みふけった(グレンミード「ブランデンブルグの誓約」)。
と、午前2時頃、部屋の電気がフッと消えた。「ン?」と思って何となく辺りを見回していると、数秒後にグラグラッと来た。「オロッ」と思いながら、半身を起こした。しかし揺れは激しくなるばかり。(これはただ事ではない)とベッドから降りて歩き出そうとした。今から考えると、どこへ行こうと思ったわけでない。何となく廊下へ出ようと思っただけだ。ところがベッドから下りて歩き出そうとしたとたん、足を取られてすってんどうっ・・・。とても歩くどころの騒ぎではない。真っ暗の中で、そのまま床に這いつくばった。
なんだか床がグラグラして立ち上がることもできない。それでもまず電気が消えてめくらましをくらったうえ、急激な揺れが予兆もなくドーンと来たので、地震なのかビル爆発なのかワケワカメ。。。。。とにかくベッドの下にでも潜り込もうと思ったが、そのホテルのベッドは、下部に空間がない!。(℃°なんともしょうがないので、ベッドに這い上がることにした(いまから思えば、部屋の備えられている机の下に潜り込めば良かったんだが、その時はそこまで思いつかなかった。(~0~;
なんとかベッドの上に這い上がったが、だからといってやる事はない。ベッドに揺られながら、揺れが収まるまで(ここで天井が落ちてきたら死ぬかな)と思いながらジッとしていた。後から聞くと最初の揺れは1分強ぐらいだったらしいが、自分の感覚では5分くらい続いた感じだった。
ようやく揺れが収まってホッと一息。やれやれと思いながら、ぼんやりしていると、次の揺れが来た。(おっとぉ、これは余震か本震か?、さっきののが前振れで、これが本番ならゼッテー助からんな)と思いながらジッとしていると、これもやがて収まった。
(ふ〜む、どうやら余震だったらしい。となればもうこれで収まるだろう。ここでジタバタしても仕方ないし、電気もつかん。本も読めないから、もうこのまま寝てしまおう)と思っていたら、またグラグラァ〜。
さすがに辛抱たまらんと、暗い中をふらふらしながら玄関まで行ってドアを開けたら、各部屋のドアがあいて、みんな顔を出していた。すると筋向かいの部屋から顔を出していた男性が日本語で、「いまのは何でしょう?」
すると、やはりドアから顔を出していた私の知人が(私の隣室)、「たぶん地震でしょう」
すると更に向こうの方の部屋の男性が「それにしても激しかったですね〜」
#みんな気が動転してバカなことをいってる(笑)
それにしても、このホテルというか、この階(10階)の宿泊客は日本人ばっかしだった(笑)
そんな立ち話しをしていても仕方ないし、自家発電による非常灯も点いたので、知人の部屋に集まった。机の上からぶち落ちたテレビを台に置き直したりしながら、「テレビ代や、割れたウイスキー代を払え弁償しろと云っても払わんぞ」などとヨタをいいながら「どうすべえ」と話していた。しかし別に智恵なんかあるわけない。また細かい余震も断続的に続いている。そこで身支度してホテルの外に出ることにした。
#いまだから笑っているが、友人もやっぱり「ここで死ぬのか」と思いながらベッドにしがみついていたそうだ。(笑)
10階から非常階段を降りてロビーにゆくと、既にロビーには大勢の宿泊客が不安そうな表情でいた(ビルが崩壊した時のことを考えたら、ロビーが一番危険だが、そのときは何とも思わなかった。
「ロビーは人でいっぱいだから、外へ出まそ」というので、外へ出た。街頭も人で一杯だった。闇の中をパトカーや消防車がひっきりなしに走り回っていた。1時間ほど外にいたが、何も状況は変わらない。どうしようもないから、結局部屋に戻る事にした。ヒイヒイ云いながら、10階まで戻った。とりあえず電話器を取りあげたら、なんとツーという通話音がして、まだ通じる状態。
友人が「台湾側のエージェントや日本に電話しようか」と云ったが、「相手も大変だろうし、日本だってこんな深夜だし。ま、朝になれば電気もついて、状況も分かるだろうし、」と返事して、そのまま部屋に分かれて就寝した。
朝、8時頃、目が覚めた。しかし外は明るいが、まだ電気がきていない。おまけに電話しようとしても、もう通じていなかった。友人は「あのとき電話しておけばよかった。お前のせいだ」と怒った。おひ、こんなところで内輪モメをしているときか。
みんなでホテル内のレストランへ行ってみたが、やってなかった。フロントで状況を聞いてみたが、「震源地は南の方」というだけで、詳しいことは分からない。9時頃、台湾側のエージェントが来た。そこでようやく詳しいことが分かった(彼はトランジスタラジオで情報を得ていた)。
どこかで店がやってないかと通りをあるいて云ったら、ところどころ電気が復旧して、営業している喫茶店があった。そこで朝食を取り、ホテルへ戻った。12時頃、ホテルも電気が復旧した。テレビは「集集大震(チーチーターシン)」の報道一色だった。エージェントに「集集(チーチー)ってなんだ」と聞いたら、
「震源地が集集鎮(チーチーチン)という町なので、今回の地震はこう呼ばれている」
といった。
友人Aはその日の夕方帰国することになっていたし、飛行機は正常に飛んでいるということなので(空港は被害無し)、彼だけチェックアウトすることになった。ところがホテルのコンピュータが動かないので、精算がスムーズにゆかない。なんとか手作業で精算を終了した。このあと、飛行場へ向かったが、高速度道路は信じられないくらいのガラガラだった。
この飛行機で知人Aは一足早く帰国したが、こちらは台湾に用事があったので残留した。しかし地震のため、結局残りの用事は全部キャンセルとなった。これでは仕方ないので、次の日、こちらも帰国する事にした。
フロントでチェックアウトしていると、フロント係りの女性が、「たしか前日、チェックアウトした**さんのお連れさんですよね」という(もちろん中国語)。「対(トイ=はい)」と答えると、「**さんの精算が済んでいませんので、代わりにお願いできますか?」という。
「ン?、彼はたしか精算を済ませた筈だが」というと、
「はい、そうなんですが、実はコンピュータが故障してたので手作業で計算し、正しくない数字で精算してしまいました。先ほど復旧したので改めて計算し直し、間違いに気が付いたのです」だって! お〜い、知人A、\10,000−返せ〜
このあと、飛行場へ向かったところ、高速度道路は先日とはうって変わって大渋滞だった。なんとか空港まで辿り着いて飛行機に乗った。
ああ、やれやれ、いろいろあったけれど何とか無事に日本へ帰れる、と思っていたら、機長からのアナウンス。
「これから気流の悪いところを通過しますので、シートベルトをおつけ下さい」
どっちみちσ(-_-)は、着席しているときはいつもシートベルトをしている(急にエアポケットに落ちることがあるので)。そこで、ただフ〜ンと思っていたら、いきなりドッス〜ンと200Mほど急降下して身体もフワ〜ッと浮き上がった。
「おお!」と思ったら、今度はグググと急上昇。
「うへ〜っ」と思うまもなく、またグ〜ンと急降下して身体がフワ〜〜。
(げ〜、陸では何とか生き延びたが、空で死ぬのか」と思った。。。。
※あとで聞いたら、沖縄の辺りに台風18号が居座っていたので迂回コースを通ったが、大型だったので影響を受けたとの事だった。
それでも無事、日本へ着いたが、何も電話しなかったので(というか、最初のうちは通jなかったし、通じるようになってからでも、回線はパンク状態でどうしようもなかった)、日本では大騒ぎだった。
翌月、仕事でまた台湾へ出掛けた。
今回はホテルの部屋に入ったとたん、潜り込むための机の位置を確認した(笑)。部屋をよく見回していたら、前回は無かった懐中電灯が「非常灯」というラベルをつけて壁にかかっていた。
とはいうものの、内心「もう地震はないだろう」と思っていたが、またかなり大きな地震(マグニチュード6.5前後)に遭遇してしまった。これも世界ネットで流れたくらいの地震であったが、震源地が滞在地の台北から300kmくらい離れていた(前回は150kmくらい)、前回より規模が小さかったため(前回はマグニチュード7.7こと)。そしてたまたまσ(-_-)は大型ビルの地下にいたため、ほとんど揺れを感じなかった。しかし地上に上がってみたら、回りは「いまのはすごかったなぁ」と大騒ぎしていた。
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