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    (61)山車祭り


  「山車」と書いて「だし」とか「だんじり」と読ませるのはご存じの通り。漠然とした印象では、「だし」と読むのは中部地方に多く、「だんじり」と読むのは関西地方で多いような気がする。

 中部地方では高山祭りに代表されるように、山車行列といった感じのおとなしい引き回しが行われている。それに較べ「だんじり」と読む関西地方では、時には負傷者も出るような激しい引き回しが行われることが多いようだ。そのためか山車祭りが盛んなのは中部より関西といったイメージがある。しかし実は保有台数や山車祭りの数では、中部は圧倒的な数なのである。

 たとえば愛知県の知多半島半田市という地方都市がある。この半田市が保有する山車だけでも30台以上ある(たしか31台くらい)。この半田市の山車祭り、例年は各地区が保有する山車が地区ごとに披露される。しかし数年に1回、30数台がうち揃ってお披露目される。高山祭りほど全国的に有名ではない半田祭りであるが、30数台がすべてが勢揃いした姿は まことに壮観

 というわけでσ(-_-)の居住する愛知県では、多くの地方都市が山車を保有している。σ(-_-)の居住する近くにも、全国的にまったく名前を知られていない(-_-;岩倉市という田舎都市がある。そこでも もちろん山車を3台 保有している。

 この岩倉市でも毎年、山車の引き回しが行われる。全部で3台といっても、江戸時代から伝来という由緒ある山車からくり人形はいろいろ種類がある。中でも、唐子人形が何の支えもないのに乱杭を渡って行くという人形は見事のひと言。

 山車は普段は分解してあり、祭りの前に組立や整備を行う。その整備を行うときに、縁あって家人が列席した(なぜか家人はσ(-_-)より顔が広い....(ノд`))

 家人が見ていると、引き棒を取り付けたり、からくりを組み立てたり結構 大変だったそうだ。やがてすべての整備が終わり、からくり人形の操作稽古が始まった。見ていると、からくり人形が乱杭を渡り終わったところでパッと巻き軸が開いた。その軸に何か漢字が数行書いてある。

 巻き軸といっても小さなものだし、山車の上の方にある。おまけに行書で書いてあるので、普通はパッと読めない。しかし家人はたまたま最前列にいた。それに位置が良かったので、なんとか字が判別できた。

 (何が書いてあるのかな〜)と思って目を凝らすと、そこには「誰家玉笛暗飛声誰(た)が家の玉笛(ぎょくてき)か、暗(あん)に声を飛ばす)」とあった。実は家人は趣味で漢詩を勉強している。そこでこれは李太白の「春夜聞落城笛(春夜、落城に笛を聞く)」の一節だとすぐ分かった。

 近隣の町のことだから、多少はその町の歴史も知っている。戦国時代、ここには岩倉城という小城があり地方豪族が居住していた。しかし戦国末期、織田信長に攻め滅ぼされた。そして「春夜聞落城笛」は、故郷を偲(しの)ぶ詩。そこで家人は、(この山車を作った当時の人は、きっとその思いを込めてこの一節を軸に記したんだろうなぁ)と思った。そこで側にいた役員の人にその感想を何気なくしたところ、役員の人がびっくりした。

 実は岩倉市では、そこに書いてあるのが李太白の漢詩の一節であることを知らなかった(らしい)。そして行書体の「」と「」がよく似ていることと、山車祭りには笛などのお囃子がつきもの。そこで書いてある文字も「誰が家の玉笛か、晴れた声(音)を飛ばす(どこかの家から澄み切った笛の音が聞こえてくる)」という、祭り囃しにふさわしい語句と思っていたという。それが「」ではなく「」であり、祭りにふさわしいというより故郷を偲ぶしんみりした詩であることを聞いてびっくりしたというわけ。

 で女房が話し終わると、役員の人から「改めてみんなに話してやってくれ」と云いだした。女房は「恥ずかしいので....」と言ったが、「どうしても」というのでとうとう話をすることになった。なんとか話終わると、今度はそれを詩吟で聞かせてくれと言われた(女房は趣味で詩吟もしている)。思わぬなりゆきに驚いたが、結局、吟じたそうな。そして先日、それが縁で祭りが終わったあとの打ち上げ式にも招待された(もちろん女房だけ(^-^;)

 どうやら今後作成される山車祭りのパンフレットには、李太白の漢詩の紹介と信長時代の話をからめたエピソードが載ることになるらしい。
 

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