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          (51)神無月


 昔風の言い方で11月を神無月(かんなづき)という。これは10月に日本中の神様が出雲大社へ集まって会議を開く。出雲以外の土地には神様が留守となる。そこで10月を神無月(かみなしづき=かんなづき)と云う、というのが一般的な説明。逆に出雲では、日本中の神様が集まるので、神有月(かみありづき)と云うことになる。しかしこの「神様が出雲へ集まってしまうので、出雲以外は神無月(かみなしづき)」という話は、どうやら眉唾ものらしい。

 かなり以前の話なので著者はもとより本の題も忘れてしまったけど、とにかく国語関係の本だった。その本によると、神無月の「無」は、日本語の助詞「の」の当て字だということだった。つまり神無月は「かみなしづき」ではなくて「神の月」ということと。

 つまり10月は、出雲に神様が集まるので「神無(の)月」。ところが「無」という字に引っ張られて「神の居ない月」と解釈されてしまったのが間違いの元。そこで「の」が「乃」で表記してあれば、こんな勘違いは生じなかった、というのがその本の話だった。

 それで思い出したが、大火砕流によって多くの人命が失われた雲仙普賢岳、あの麓(ふもと)に「水無川」という川がある。現在は「みずなしがわ」と呼ばれているが、これも「水の無い川」ではなくて、本来は「水の川(水量が豊富な川)」だったんだろう。

 そういえば、福井県だか石川県だかの山奥に(といっても国道沿い)、雷電為右衛門の出身地がある。その町の神社には立派な雷電の石像が造られているが、町の近くには豊かな水量の川がある。その川の名前も「水無川」だ。

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