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(41)水滸伝
 先月から水滸伝を読み出した。読み出したと言っても、初めて読むわけではない。昭和48年に購入した本で10年に一度くらいのペースで読み返している。これで4回目くらいか。10年に一度のペースといっても、そのときとは環境も異なる。目だってすっかり弱っている。老眼鏡をすりすりしながらであるし、かなり分厚いのでペースがちっともはかどらない。

 しかし10年も経つと、大筋のストーリーは記憶していても細かいことは忘れている。そこで結構新鮮に読める。それで今回、改めて発見したのが好漢という表現。水滸伝には、この「好漢」という表現がやたらに出てくる。というより、梁山泊に集まった豪傑は全部「好漢」ということになっている。

  σ(-_-)のイメージの中の好漢は「強きをくじき、弱きを助ける立派な漢(おとこ)」。しかし水滸伝に出てくる好漢は、ほとんどがすごいワルばっかり・・・・ そもそもが山賊だからワルは当然かもしんない。しかし強きをくじき、弱きを助ける過程で心ならずも人を殺め、仕方なしに梁山泊へ行って山賊になったというなら、まだ分かる。ところがほとんどは、自分の欲で罪を犯したのばっかり。そんなのがひと固まりになったのだから、もう大変。もう強盗から殺人まで、やりたい放題。

 いろいろもひどい話の連続だけど、ひとつ紹介すると秦明(しんめい)という武将に関するエピソード。お上の命令で梁山泊へ攻めてきた。ところが個人的には強いがイノシシ武者。作戦負けして梁山泊軍側に敗れ、捕虜になった。梁山泊側ではこれをなんと味方しようとしたが、本人は「このうえは、さっさと殺してくれ」と言って、その気無し。

 そこで「殺す気はない。しばらくしたら返してやる」といっておいて、その間に秦明のそっくりさんを仕立て、ある村を襲って皆殺しにしてしまう。その後で秦明を解放した。なんにも知らない秦明が帰ってゆくと、秦明が賊軍に寝返ったと思った城側により、城中に住んでいた秦明の家族は皆殺しにされていた。それで結局行くところがなくなって、秦明は梁山泊に入ることになったという。そりゃ、作戦成功と言えば成功だが、皆殺しにされた村人や家族はどうなるんだ。思わず、これが好漢というなら悪漢というのはどれだけすごいのかと思った次第。(~0~) 

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