過日、某所で新年会があった。ありがたいことに同窓会麻雀のときのような漁師のおかみさんではなく、チャームガールズというピチピチギャルがコンパニオンできた。(笑)
「おうおう、ちょっとおいで、オジサンが手相を観てやらう」
思いっきり鼻の下を長くして手を握り、
「うんうん、チミは生命線が長いね。死ぬまで長生きするよ」
「オジサン、その手は、もう古いわよね」
「いやいや、チミの手は新品だよ」などととヤニ下がっているうちにきんさん ぎんさんの話になった。
「そういえば きんさんは残念だったね。もう1年生きていれば、姉妹揃って茶寿(ちゃじゅ)のお祝いが出来たのに」と云うと、
「オジサン、茶寿ってなに?」
「なに?茶寿をしらんのか。教えてやるから、もっとこっちにおいで」
「・・・・」
で、分かりやすくと思って、まず喜寿(きじゅ)の話から始めた。
「あのな、77才を喜寿、80才を傘寿(さんじゅ)っていうだろ」
「知らな〜い」
「・・・・」
気を取り直して「喜ぶという字の略字は七を3つ書く。傘の略字は、八に十。それで77才を喜寿、80才を傘寿と言ってお祝いするんだよ」
「ふ〜ん」
「それで米という字は八十八と書くから米寿、99才は百才に一つ足りないから白寿、108才は茶寿というんだよ」
「ふ〜ん、でも108がどうして茶寿?」
「草冠が十が二つで20、その下の八と十で80、最後の八で合計108」
「へえ〜、じゃぁその上もある?」
「あるさ。111が王寿で、118が天寿だ」
「どうして」
「王という字は一十一と書く。天は一一八と書くだろ」
「ふ〜ん、じゃぁその上は?」
「いや、もう無い。第一、それ以上はちと無理だろう。ところで今晩空いてるかい?」
「ふん、このエロタコ!」
というところで話は終わった。ところが先日 ラジオを聞いていたら、コーカサスのどこかには130才余の男性が。カリブ海に浮かぶドミニカ共和国には、イスラエルさんという126才の女性がみえるそうな。
特にドミニカのイスラエルさんは、生まれたときに教会で洗礼を受けたので、ちゃんと教会に記録が残っているという。う〜ん、天寿よりも上があるとは・・・・たぶん天和より難しい....(@。@)しかしここまでゆくと、いったいなんと呼んだらいいのだろう。
ついでながらその他の呼称は20歳が若冠(じゃっかん=元服前という意味なので、厳密には15,6歳の意)。その他は以下の通り。
30歳が而立(じりつ=精神的に自立する年、というほどの意味)。
40歳が不惑(ふわく=物事に惑(まど)わなくなる年、というほどの意味)。
50歳が耳順(じじゅん=聞いたことに素直に従える年、というほどの意味)。
60歳が知命(ちめい=運命を知る、というほどの意味)、または還暦(かんれき=暦が一巡りするから)ともいう。
70歳が古希(こき=古来、希(まれ)な年齢、という意)。
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