昨日 ラジオである男の仰天な人生を聞いた。残念ながら記憶力が弱いので年号など細かい点を覚えていないが、おおよそ次のような話。
明治初期、長崎に渡辺かい(ラジオ放送なので、「かい」という漢字が分からない)という男がいた。父親は元 島津藩の侍だったとか。
明治10年ころ、地元の学校を卒業して某銀行へ勤めた。ところが20才くらいになったとき遊郭へ通いだした。しかし月給は5円(現在の貨幣価値で5万円くらい?)くらいなので、とても通いつづけることはできない。そこで勤め先の会社の金に手を付けた(20円横領)。すぐ捕まって無期懲役の判決。
いくら明治時代でも20円の横領で無期懲役はヒドイと思うが、渡辺かいもそう思ったらしい。そこで刑務所にブチ込まれても反抗的な態度ばかりとった。それで三池炭坑送りとなった。こうなったら一生、炭坑で重労働。それで脱獄した。脱獄して すぐ父親と連絡を取った。
この父親は 維新後 地元の裁判所に職員として勤務していたが、息子の不祥事の責任を取って辞職していた。その父親に相談したところ、「名前を変えて人生をやり直せ」ということになった。そこで戸籍を偽造して辻村某という架空の人間になった。この戸籍の偽造には父親のノウハウがあったかもしれない。
それで これも父親のアドバイス?かも知れないが、法律で身を立てることにした。そこで上京し、東京法律学校(東大法学部の前身)へ入学した。学費や生活資金は親が出していたと思われるが、試験を受ければ誰でも入れるわけではない。やはり頭も良かったんだろう。
一所懸命勉強して無事卒業、どっかの裁判所の職員となった。そこでも努力して順次昇進、明治20年くらいにみごと裁判官(判事)となった。縁があって結婚もした。このまま行けばめでたし めでたし?だが、ここからオドロキの展開。
なんと判事になった最初の赴任先が長崎県!。さぞかし驚くとともに断りたかっただろうに。どうしてそんなことになったか分からないが、ひょっとしたら辻村某としての出身地を長崎としてあったのかもしれない。
当時、新しい判事は赴任すると最初の内に検事局だか警察に顔出しすることになっていた。しかしこれはさすがに病気を理由にして行かなかったという。そのまま地元の裁判所へ勤め、2年間で数10件の裁判に関与した。勤務態度もすごくマジメで
朝は一番に出勤、ひたすら仕事に励んでいた。生活も安定したので、大分県に住んでいた父親と弟も呼び寄せた。
しかしやがて警察関係者の間で「おい あの裁判官、脱獄囚の渡辺かい にそっくり」という話が広まった。最初は「いくらなんでも....」だったらしいが、昔 渡辺かい を取り調べた刑事が本格的に調べることになった。それでついに秘密がバレて逮捕された。無期懲役状態で脱獄したので 普通は最低でも もう一度 無期懲役になると思うが いずれも時効で免責(?-?)、戸籍偽造罪だけで懲役6年の判決。
今度はなにごともなく刑期を終えて出所した。とはいえ まさか裁判官には戻れない。しかしここ10年間、字ばかり書いていたので字がうまい。それを生かして代書屋
兼 ハンコ屋となり、そのまま人生をまっとうしたという。なんだか当然の報いと云うより褒めてやりたくなるような人生...
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