Free talk 雑談

    (247)くそジイ


 車で走っているときは、ラジオを聞いている。先日、そのラジオの投稿番組で、言葉の使い方について面白い投稿が続けてあった。

ある主婦の投稿
 幼稚園に上がる娘に数の数え方を教えようと思った。
 そこでリンゴを5つ用意し、
“いち、にい、さん、しい、ご”と教えはじめた。

 すると娘が、「
ちゃんと知ってるよ」といった。
 「
じゃあ云ってごらんなさい」と言うと、「いっこ、にこ、さんこ、しっこ

 ラジオの司会者たちは大笑い。σ(-_-)も思わず笑った。それはいいけど、続いて「子供だから....」みたいなことを云っていた。な〜に云ってるだ。アン○○タン。大人は毎日の生活の中で、4個を「よんこ」と表現する。子供はそれを自然に覚え、なんの疑問も持たず大人になって、自分も「よんこ」と表現する。しかしこれは基本的に、“しっこ”が正しい。

 “いち、にい、さん、しい、ご”は、もともと中国語。しかしそれでは“しっこ”になってしまう。そこで“個”という助数詞をつけて表現するときは、“”のときだけ大和言葉に言い換えて“よんこ”と表現する。そんな日常会話における日本語と中国語の言い換えテクニックが、幼稚園に上がるまえの子供に分かるわけがないじゃん。#大和言葉は“ひい、ふう、みい、よう

 と思っていたら、翌日、またこんな話が。
「自分は六十路(むそじ)の男性です。このまま行くと七十路(ななそじ)、八十路(やそじ)。そのあとは九十路(くそじ)になるのでしょうか」#六十路(むそじ)は、“60代”という意味。

 この話も大いに笑った。
 もちろん“くそジイ”なんて誤解を招くような表現はない。“十路(そじ)”という助数詞に連動する数詞は“ひい、ふう、みい、よう”という大和言葉。そこで三十路(みそじ)、四十路(よそじ)、五十路(いそじ)となる。

 で、“なな(7)、やあ(8)、この(9)、とう(10)”なので、八十路(やそじ)の次は九十路(ここのそじ)。それを“九十路(くそじ)”と表現するのは、“しっこよんこ”の逆バージョン。(-_-) 正しく“しっこ”と表現した幼稚園に上がる前の子供の勝ちのような気がした。(^-^;


 今日、車に乗っていて、珍しくNHK第2放送を聞いていた。すると非常に興味深い話が。

読者から「1階、2階、3階、4階と言うとき、どうして3階だけ“さんがい”と発音するのでしょう」という投稿があったという。それに対してNHKの放送研究所(だったかな?)の所員という人がこのように答えていた。

日本語では“”の次の発音は濁音になりやすい。そこで3階は“さんがい”と発音される。ではどうして4階は“よんがい”にならないかといえば、実は300年くらい前までは“しかい”と発音されていた。

3百年ほど前、ポルトガルの宣教師が布教のために作成した日葡辞典みたいなものがある。その辞典には“
四階=SIKAI”とある。すなわち300年ほど前、日本人は四階を“しかい”と発音していた。しかし“”が“”に通じるので、やがては“よん”と言い換えられるようになった。しかし“KAI“はそのままだったので、“よんがい”ではなく、“よんかい”となった。

そして現在、3階だけが“
がい”と発音されるが、他がすべて“かい”なので、3階も“さんかい”と発音されることが多くなった。しかし日本全体では、まだ7割くらいが“さんがい”と発音されている。しかし今後、“さんかい”と発音されることが多くなる可能性がある」という話だった。

 ついでながら“三百”が“さんびゃく”なのも、「”の次の発音は濁音になりやすいという理由から。しかし“四百”が“よんびゃく”ではなく“よんひゃく”なのも、もとは“しひゃく”だったが、“”を嫌ったという同じ理由によるらしい。

 となれば上記コラムの、“四個(しっこ)”が“よんこ”と発音されるようになったのも、“しっこ”が尿をイメージさせるからではなく、“死”を嫌うという同じ理由からきたんだろなと思った。(H17.5.30)

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