所用があって、名古屋の大須(おおす)へでかけた。この大須に、最近、中華街ができた。といっても、横浜のような大規模なものではない。新しくできたビルのワンフロアが、中国料理店ばかりというもの。それでも大規模なビルなので数十店舗あるらしい。
そのフロアーをぶらぶら歩いていると、赤い色紙に「福」という字を金色で書き、逆さまにして扉に張ってあるのをみつけた。
「お、福の色紙が逆さまに張ってある」と言うと、同行していた知人が「ホントだ、間違えて張っちゃってるのかな」
実はコレ、「間違えて」ではなく、わざわざそうしてある。
日本では物事を逆さまに表現すると、良くないこと、不吉なことを表したりする。たとえば着物は右前に着るのがノーマルであるが、仏さまの死に装束は左前とする。そこで商売が不調で倒産状態になると、「左前になった」と表現したりする。
むかし(明治以前)、手紙は封書紙で包んでいたが、もちろん封(ふう)は右前。しかし果たし状とか絶縁状などは、左前で封していた。この名残りで、いまでも交際お断りの手紙なんかは切っ手を逆さまに張って出す。麻雀でも牌山を逆モーションで積むと、友達との縁が切れる。(笑)
つまり日本では、逆さまは逆縁を表すことが多い。そこで日本人が逆さまに張ってある「福」の字などを見ると、(え、どうして?)ということになる。
実はこれ、中国では「逆さま」ではなく「倒」を表している。「倒」といっても「倒れる」を表しているのではない。福が倒れたら大変だ。
倒には「到」という字が含まれている。到、すなわち到着、または至るである。そこで「福」を逆さにして示すと、「福運に到着=福運に至る」という意味になる。
しかし示される状況によっては、純粋にその文字の反対の意味を表す場合もある。たとえば、「好」という字が逆さまに示されると、「好きが至る=死ぬほど好き」ではなくて「大ッキライ」(笑) くれぐれも錯覚して、抱きついたりしないように。(^-^;
もっとも中国語で「好(ハオ)」は、「好き」ではなく「良い」という意味。そこで大ッキライではなく、大変良くないと云われているのかもしれない。ま、似たようなもんか。(笑)
知人に日本人と結婚した中国女性がいた(仮にAさんと)。数年経ったとき、Aさんの家族が台湾から遊びに来た。数日過ごした後、家族は台湾へ帰ることになった。
家族が帰りの電車に乗り込んでいよいよ発車と云うとき、見送りにきたAさんが泣きながらノートにでっかく「帰」という字を書いて逆さまにして窓に押しつけた。もう家族は、泣けて泣けて....
そんなことを一瞬にして思い返しながら、
「いや、あれは間違いではない。あれは“福が来る”という意味なんだ」
「ふ〜ん、そうなんですか。でもなんでそういう意味になるのかなぁ?」
「考えてみたら」
するとしばらく考えていたが、やがて
「わかった!」
「ほう」
「福がくるっと逆さまになっているから、“福が来るっ”」
いや、久しぶりに大笑いした。
|