初めて長崎チャンポンを食べたのは、昭和40年頃。当時仕事していた名古屋の会社の近いところにできた店。チャンポン専門の店で、他のメニューは、汁の無い皿盛りとか、それをカレーで味付けしたカレー皿盛りくらい。
最初見たときは、麺の上に野菜だとかカマボコだとかがテンコ盛りになっていたので、ちとビックリ。麺もなんだかゴム紐みたい。(なんじゃ、こりゃ....)と思ったが、食べてみたらとってもおいしい。(^-^)v それからファンになって、結構通った。
10数年前、そんな長崎チャンポンの店が、σ(-_-)の住む田園調布、じゃなかった田園都市にもできた。といってもチャンポン専門の店ではない。ごく普通の中華料理店。チャンポンは、そのメニューの一つ。別にチャンポンさえ食べさせてくれれば、専門店であろうが普通の店であろうが関係ない。そこでさっそく食べに云った。ところがこれが、驚くほどおいしくなかった....
それこそ、(なんじゃ、こりゃ......) チャンポンも店によって味に大きな違いがあることを初めて知った。名古屋のあの店は、それだけでいまでも繁盛してるんだから、やっぱりオイシイんだ。
とまぁ、ここまでは前振り。メインは、そのチャンポンにまつわるヤクザ話。
25年くらい前、不動産関係の仕事をしていた。すると或る知人から、「自分の知り合いに山田(仮名)という人がいる。彼がラーメン屋をやりたいと云うんだが、世話してやってくれんかなぁ」という話があった。
一瞬迷ったが、知人の頼みなので引き受けた。迷ったのには理由がある。一口に医者だと云っても眼医者と歯医者では全然異なる。歯が痛いといって眼医者に云っても、どうしようもない。不動産も同じなんだが、一般の人にはちと分かりずらい点があるようで。
でσ(-_-)の勤務していた会社は、店舗賃貸などとは全然分野が違う。それで少し迷ったが、(まぁ、友人の店舗専門の人に助けてもらえば、なんとかなるだろう)と引き受けた。それで、知人に「では近いうちに、その山田さんにお会いしましょう」と返事した。
数日後、その山田なる人物が、会社に来た。ところがなんと、これが完璧なヤクザ。(なんじゃこりゃ....)と思ったが、今さらどうしようもない。まぁそれでもチンピラではなくて、パリッとした背広を着た幹部クラス(つきあうようになってから(おひ....)聞くと、彼は大阪の某名門やくざO一家の名古屋の責任者だった)。しかしどう見ても幹部という雰囲気の山田氏が、どうしてチャンポンの店なんかをと思ったら、別に彼がやるわけではないと云う。
話に寄れば、彼の組の若い衆二人、足を洗うことになった。この先のことを聞くと、1人が“自分は長崎育ちでチャンポンが好き。自分でも作れる。そこでラーメン屋なんかで働いて金を貯め、いずれチャンポンの店を持ちたい”と云った。そしてもう1人も一緒に行動すると云ったそうな。
そこで山田氏が、「カタギになるのはいいことだ。それなら俺が金をだしてやるから、さっさと始めることにしたらどうだ」と云い、そうする事になったという(これも後から分かったことだが、競馬のノミ行為で、しっかり稼いでいた)。それも山田氏はあくまで金を貸すだけで、経営なんかには一切タッチしないのだという。
いかに仕事はいえ、まさかヤクザをどっかの店にはめ込むわけに行かない。そこで(ああ、金を出すのはヤクザでも、実際に店をやるのはカタギか。ああ、良かった)と思った。(-_-;
そんなこんやがあって、友人の業者にも頼み、やっていたら、やがて希望に近いような店舗がみつかった。山田氏もおおいによろこび、契約も無事済んだ。やがて店舗の改装も済んで、数日後に開店ということになった。
すると山田氏から電話があり、「いよいよ○○日に開店する。前日にお祝いand試食を兼ねて店に行ってやろうと思う。あんたも一緒に来ないか」という。長崎チャンポンなら、σ(-_-)も好物。二つ返事で承諾した。
その日が来て、山田氏と待ち合わせて店に行った。外からみると、いかにも中華風のいい雰囲気にできあがっている。(おお、これは、なかなかいいじゃないか)と思いながら店に入った。しかしガラリと扉を開けて、店に入ったとたん驚いた。(なんじゃ、こりゃあ....)
そこにいた実際に店をやるという二人は、まるで口ヒゲを生やした海坊主。それ白衣をきて、ハチマキをしている。その二人が、山田氏の顔をみるなり、「おやっさん、ご苦労さんですっ」 おひ、ここはやくざの組事務所かよ....
それに山田氏が「おうっ」と軽く答え、席に座る。やがて試食用のチャンポンが二つ出てきた。山田氏とともにσ(-_-)も食べ始めたが、味はなんにも覚えていない。別に海坊主が怖かったからではない。なにせこっちは海坊主のおやっさんと一緒にいる。
σ(-_-)が食欲がなくなったのは、(この店、絶対に流行らないな)と感じたから。どうみたって、見るからにヤクザがやっているような店。お客なんか来るわかがない。(これじゃあ1ト月、持って2タ月でツブれるだろな)と思ったら、気が重くなったわけ。
で、どうなったかというと、始めのうちこそお客が来たが、二度と来なかったという(そりゃそうだろう....)。結局、二カ月で閉店となった。山田氏は、「場所が悪かったか」なんて云ってたが、なんにも分かっとらん....
海坊主というか、ヤクザそうろうの出で立ち・雰囲気。これが失敗の原因だということは、誰でも分かる。しかしもっと重要なのは、そういう雰囲気を不思議とも思わない山田氏と本人の感覚。
山田氏がカタギになろうという若い二人に、男気から金を出したのは分かる。チャンポンもオイシかったかも知れん。しかし昨日までヤクザやっていて、今日から客商売をやると云っても、そりゃ無理というもの。
せめて若い二人がラーメン店かなんかでしばらく修行したとなら、状況は変わっていたかも知れない。
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