昨日の中日新聞(関東地方は東京新聞)に、日本語の乱れについての記事が載っていた。コンビニなどで「お会計のほう、○○円になります」とか「一万円からお預かりします」なんて表現に違和感を感じる人が多いという記事。σ(-_-)もいい年なので、違和感を感じる一人ではある。
σ(-_-)は子供の時から本が好きだった。そんなこともあってか、日本語・漢字・ことわざに強いほう。大学の入学試験でも国語は95点だった(と、本人は勝っ手に思ってる)。
#文法が弱いので、1問か2問、間違えたかも知れないので95点。
小学校の時には、漢字博士とか物知り博士なんて呼ばれていたこともあった。もちろん“5才で神童”のクチで、いまじゃ“ただの人”。(笑) 小三くらいのときには「妊娠」という字も書けたし、意味もわかっていた(あ、別にこういう字だけを集中して覚えたワケじゃないよ、といちおう云っておこう....まぁ、興味津々だったことは否定しないけど....)。
そいで近所のタバコ and 駄菓子屋さんの娘が結婚して半年くらい経った頃、店先で何か赤い表紙の本を一所懸命、読んでいた。通りすがりに見かけて、(なにを読んでいるのかな)と思って題名をみると「妊娠と出産」。
(ふ〜ん、このお姉さん、妊娠したんだ)と思ってボーっと見つめていると、突然「坊や、この本の題、読めるのっ!」と云われた。
反射的に「うん」と答えると、驚いた顔つきで、「じゃあ、意味も分かるのっ!?」
とっさに(“うん”と答えるとなにかマズイ)と思って、「ううん、ボクチャン、ゼンゼンワカラナイ」と答えた。(笑) そしたらお姉さん、なにか安心したような顔になったので、(ふう、やれやれ)と思った。σ(-_-)はこんな小さい頃から、周囲には気を配っていたのだ....
余談はさておき。
日本語の乱れについては以前から感じていることではあるけれど、云ってもしょうがないと思うことと、それが言葉の変遷と思っていることもあるので、(仕方がないかも」とも思っている。
一口に乱れと言っても、(a)間違った使用、(b)意味を取り違えた使用、(c)間違った発音、(d)間違った表記、(e)字も発音も間違えているもの、など、種類はさまざま。
新聞に載った「お勘定のほう」とか、「1万円から」なんてのは、このうち(a)に該当するんだろう。
(b)に該当するのが、「流れに棹さす」や「役不足」。
「断然良い」とか「断然素晴らしい」を、「全然良い」とか「全然素晴らしい」、「幸先が良い」を「幸先が悪い」なんて云うのも、このクチ。
「全然」は否定に掛かる表現なので、「全然良くない」とか「全然素晴らしくない」ことはあっても、「全然良い」とか「全然素晴らしい」なんてことはあり得ない。
「幸先」にしても、幸いの先が悪いことなどあり得ない。
#場を白けさせることを「盛り下げる」などと表現することがある。間違った使用といえばその通りであるが、これは承知の上で表現していることなので別問題。
(c)は、単純に間違った発音。しかしこれにも種類がある。
たとえばまだ多くの人に「正しくない」と認識されているので、漢字のテストなどではペケになるけれど一般には通用しているものに、「重複(○ちょうふく・Xじゅうふく)」や捲土重来(○けんどちょうらい・Xけんどじゅうらい)、順風満帆(○じゅんぷうまんぱん・Xじゅんぷうまんぽ)などがある。
多くの人が間違って認識しているもが、一部の人には正しい発音が認識されているものが、捏造(○でつぞう。Xねつぞう)、胃洗滌(○いせんでき・Xいせんじょう。「いせんじょう」は、胃洗浄と書く)など。このレベルまでは、間違った発音を書くと、大学の入試ではペケになる。
一部の人にも正しい発音が忘れ去られており、大学の入試でも正しい発音を書くとペケ、間違った発音を書くと○をくれるレベルが、消耗品(○しょうこうひん・Xしょうもうひん)、明かりが煌々(○きょうきょう・Xこうこう)、憧憬(○しょうけい、Xどうけい)など。
(d)間違った表記、で最近見かけたのが、家賃を屋賃(笑)。「確信犯」的に間違えているのが卵を玉子、醤油を正油。間違い表記が転用されて正しい日本語になってしまったのが「○当然(とうぜん)・X当前(とうぜん)→○当たり前」。
(e)字も発音も間違えているもの が、○独擅場(どくせんじょう)・X独壇場(どくだんじょう)。○病膏肓(やまいこうこう)・X病膏盲(やまいこうもう)など。
X独壇場(どくだんじょう)は、独擅場(どくせんじょう)と土壇場(どたんば)が日本語の「一人舞台」のイメージとごっちゃになってできたもの。
土壇場(どたんば)は昔の首切り場のことだが、なんで舞台の上で独りで首を切られなければならんのだ。(笑)
#擅は振るうと言う意味。独擅場(どくせんじょう)は、我が物顔に振る舞うという意味。
X病膏盲(やまいこうもう)は、「肓(こう)」と「盲(もう)」が字が似ているので間違えてしまったもの。目の見えなくなる病気とは何の関係もない。
昔の中国で、或るエライ人が大病を患った。名医に診て貰ったところ、「人間にはヘソの辺りに“膏”と“肓”という二つの幕がある。病気の虫がここへ潜り込んだら、どんな名医でも退治することが出来ない。ご主人の病の虫が、わが輩の来ることを知って、この膏と肓の間に逃げ込んでしまった。そこで、残念じゃがもうご主人は助からん」と云った。そこから、立ち直る見込みのないことを、「病膏肓に入る」と云うようになった。
まぁ、いずれにしたって、(a)から(e)まで間違いの例はまだまだ山ほどある。しかし嘆いたってはじまらない。蝶々(ちょうちょう)だって、昔は「てふてふ」。言葉は時代とともに変わると割り切るより仕方がない。
とは云うものの、近所の携帯電話屋の娘さん。
名前などの記入を頼むとき、
「お名前のほう、書いていただいてもよろしいですか」
「免許証のほう、見せていただいてもよろしいですか」
「代金のほう、いただいてもよろしいですか」
「お釣りのほう、払わさせていただいてもよろしいですか」
というのは勘弁しちくれ....
なんだか「お名前のあほう」、「免許証のあほう」と云われているような気がする....
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