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)絶対視覚


 雀話No.41「絶対感覚」の中で、絶対視覚なるものにちょっと触れた。といっても絶対雀感とのからみで触れただけで、別に医学的な意味のものではなかった。ところが先般、某テレビ番組で、この絶対視覚について医学的解説をやっているのをみた。テーマがテーマだけに、ホントに目からウロコが団体で落ちた。(゚0゚)

 その番組に出演した医学博士によると、我々が対象物を見る場合、映像はまず網膜に写る。これを網膜映像といい、これが絶対視覚なんだそうな。この網膜映像を神経が脳に運び、脳内で情報処理する。この情報処理された映像を、我々は対象物の映像として認識するのだという。この情報処理された映像をなんと云うんだったかな? う〜んと...、いけね健忘症だ....(_ _; 。

 では網膜映像と情報処理された映像とどう違うのか。解説に寄れば、我々が山々を遠くから眺めたとき、「ああ、すごいなぁ。雄大な山脈だ〜」と思ったとする。そこで感激した我々は、景色を旅の思い出としてカメラにおさめる。

 帰宅してから現像した写真をみると、たしかに見た通りの景色は映っている。しかしあんなに雄大見えた山々が、なぜか遠くにチョロチョロっという感じでしかない。実はこの写真に写っている映像が網膜映像、つまり脳で情報処理される前の正しい映像なんだそうな。

 しかし人間には、山は雄大なものという認識がある。そこで脳は山を大きく情報処理して認識する。そこで網膜映像(カメラ映像)と、情報処理された映像は異なるってくる、ということであった。なーるほど、と云うのですごく感心した。

 それで思いついたことが一つ。
 古本市なんかに顔を出すと、どか〜んと古本の山。(おい、こんな中から麻雀の本を探すのかよ)と思うとげんなりする。それでも仕方ないので、山をひっくり返しながら麻雀本を探す。するとなぜか、その山の中から「麻雀」という活字が目に飛び込んでくる。ま、それをゲットするわけだが、いままでそれを「執念のたまもの」と思いこんでいた。

 しかし医学的に云うと、「麻雀本を探す」という事前認識に従って、脳が「麻雀」という活字だけに反応するように、あるいは大きく見えるように情報処理しているに違いない。

 そう云えば別のテレビ番組で、何かの針を検品する人が、目の前を流れる大量の針の川の中から、針先が少し曲がっているなどの不良品を瞬時にみつけるという番組をやっていた。(へ〜、すげぇ!)と感心するばかりであったが、きっとこれも網膜映像を情報処理してくれる脳のおかげなんだろうな。 

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