裏筋は危険度がかなり高い、つまり放銃となる可能性が強いといえる筋。たとえば手牌に13とあるとき、4を引けば特別の事情がない限り1が捨てられる。残った面子は34であるから、待ちは25となる。つまり1が捨てられている場合、2・5の牌は放銃となる可能性が高いと言うことになる。
同様に24とあるとき5を引けば、特別の事情がない限り2が捨てられる。すると待ちは36となる。つまり2が捨てられている場合、3・6の牌は危険度が非常に高いと言うことになる。
以下同様に考えると、捨て牌3に対しては47、4に対しては58、5に対して14と69、6に対して25、7に対して36、8に対して47、9に対して58という筋は常に危険度が高いということになる。
※5捨ての場合、裏筋が2本(14・69)ある代わりに疝気筋(後述)が無い。
前項で述べたように表筋は基本的に安全牌といえる筋。しかしこちらは表向けに捨てられた牌の裏に隠れた放銃危険度の高い筋。そこでこれを安全牌の筋である表筋に対して裏筋(うらすじ)と呼び、危険牌推測のよりどころとする。
で、ついでながら筋の話をちょいと。
麻雀がいまの形になったとき、自然的に147/258/369という筋が発生した。しかし中国麻雀には振り聴という概念は無く、現物(自分が捨てている牌)でも栄和できた(現在の中国麻将でも、発想概念は基本的には同じ)。おまけに放銃したって常に3人払いであったから、現物を捨てても栄和された。おまけに放銃したって常に3人払いとなれば安全牌もへったくれもない。そこで147とか369が筋だとはいっても、“それがどうした”という感じで重視されていなかった。
しかし日本に伝来してから振り聴ルールが誕生、普及した。となれば放銃したくないプレーヤーは安全な筋を頼りに打ち回すことになる。そこで中国麻雀では単に“筋というものがある”という程度の認識だったものが、日本麻雀では戦術上の重要なファクターとなった。しかしこの時点では、まだ筋の世界の第一歩。すなわち“なにが安全牌か” ということを考える依り拠に過ぎなかった。
やがて日本麻雀において戦術/戦法が深められていく過程で、“なにが危険牌か” ということが強く考えられるようになった。そのなかで発見されたのが、危険牌を推測するこの裏筋という概念。
しかしこの概念、巧者がゲームの中で自然に会得し認識されていたが、“裏筋”というハッキリした形で表現されていなかった。ではこれが危険牌推測の重要ポイント“裏筋”としてハッキリした形で表現されるようになったのは、いつ頃のことであるか。
残念ながらこれについては、断言できるほどの材料がない。昔から麻雀の本はイヤというほど目を通してきたが、初めて「裏筋」なる表現に接したとき、「おお、あれを裏筋と表現したのは、この著者が日本で(世界で)最初だろう」なんて事はチラとも思わなかったからだ・・・・
だから最初にこの表現に接したのが雑誌であったのか単行本であったのか、はたまた著者が誰であったのか、ぜ〜んぜん記憶なし。それに仮に記憶していたとしても、σ(-_-)が見たのが日本で最初に使われた書籍であるという保証もない。
そこでホントに曖昧な記憶で申し訳ないが、この裏筋という表現がメディア上で使われだしたのは“昭和40年代半ばだったような感じ”と言うしかない。
ともあれこの裏筋という表現が普及するにつれ、それまで安全牌の筋として単に「筋」と呼ばれていたものが、裏(裏筋)に対して表(表筋)と呼ばれるようになった。
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