ClassicTactics  古典技法論

    (11)私は不聴の清一色


 今回は、林茂光の研究論文の紹介。林茂光は本名の鈴木郭郎を「りんもこう」と音読みでモジった雀名(ペンネームのようなもの)。「東のプランタン、西の広珍園」の時代の指導者、というより日本麻雀そのものの指導者とも言える大先人。

 日本最初のベストセラー麻雀入門書の著者であり、2冊めの「麻雀競技法とその秘訣」は雀学書ベスト10の筆頭に位置する名著である。また出アガリの宣言語、「栄(ロン)」の考案者である。

私は不聴の清一色」は、昭和7年、雑誌「麻雀」1月号に発表されたもので、原文は旧仮名遣い。また言い回しもかなり古風である。そこで読者のわかりやすさを考え、漢字のみ現代表現に改めたのでご承知ください。

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 連続牌姿に於て、その両端のいずれかに一つの刻子を保有するものは、ほとんど聴牌しているものなのである。次に述べるように、四個の牌姿を除いては例外なく聴牌している。読者諸君よ、試みに卓上に一色牌を並べて此の興味ある事実性をお験しあれ。

 がんらい清一色の和了諸形の総数四万五千弱のうち、刻子を一個以上含んだものはその約3分の1なる一万三千強である。このうち対称形、相似形等を一括して1形式とするも、なお一千型に余る。

 その牌姿において刻子を両端もしくはいずれかの一端に保有するものは約三百型式を数える。しかしながら、そのうちで不聴形のものはわずかに四つのみであると知ったら、いかに暗刻子の力が偉大なるかに今更ながら一驚を喫する次第である。

 かの九蓮宝灯の純正型のものは、この偉大なる伸展力を極度に発揮したものであって、手牌四枚における2223の形、七枚における2223456、2223444の形、十枚における2223456777、2223334567等の形、十三枚における2223344556677、2223456667788のごときは、常に闘牌上の理想型として雀人が寸前も忘れることのできない公式であることは、読者諸賢の熟知せらるるところであらう。

 要するに暗刻子を一端に保持する牌姿は、すべて聴牌だとみなして敢えて大過はないのである。しかる好境に育まれながらも、そこにもやはり反逆児がいる。私は此の生まれながらの反逆児をして、善導すべき念願の下に研究してみたい。

甲 2223345556778
乙 
2223445556778
丙 
2223345567788
丁 
2223345567889

 不聴形のものはいずれも手牌13枚にのみ存在する。いま上の甲乙丙および丁を仔細に点検するに、甲乙は別に一個の刻子(ここでは5索)を持つに拘わらず、丙丁には別に一個の刻子は見あたらない。この刻子の有無が戦術上重大なる意義を持っているのであるから、刻子有るもの、刻子無きものの二つに分けて説明しよう。

別に刻子を有せざるもの

 丙および丁がそれである。まず2索なる刻子を除外してこの牌姿を見るに、丙において

一四七系 4索1枚 7索2枚 計3枚
二五八系 5索2枚 8索2枚 計4枚
三六九系 3索2枚 6索1枚 計3枚


 故に二五八系のみが1枚多い。これはこの系統内に他の系統のものほど重要な役割を演じていないものが1枚あるのだと考へるべきである。事実2枚の5索のうち1枚だけは大した重要性を持っていないのである。と云ふことは、(1)この牌姿のままで、何か同一牌を持ってきて聴牌する方法と、(2)あらかじめ5索を捨てておいて、しかる後に同一牌を持ってきて聴牌する方法との間に大した差異がないといふことを意味しておるのである。

 早分かり法として、まず枚数計算を見るに
(1)においては、23枚の同一色牌、なにが来ても聴牌になりうる。
(2)においては、2・5索以外の20枚の同一色牌なら、何が来ても聴牌になりうる。

 すなわち5索をあらかじめ捨てると云ふことは、1割5分くらいの不利を作るわけのものである。これは摸だけを考へたのであるが、翻ってあらかじめ1枚捨てたために下家・対家はもちろん、上家も注意を払ふ点においてかなり緩和されたとなると、前者の場合には極度に索子を抑へるがごとき場合でも、後者の場合には割合容易に引き出しうると考へるで」あらう。

 此の条件を考へに入れるときは、先の1割5分の劣勢は取り返して尚余剰ありと見るべきである。事実、沼崎さんの確率計算を応用して求めてみると、その間の事情がよく簡明にされている。その方法等はすでにご承知の事と思ふから詳述は避ける事として、答えだけを記してみると、前者の233に対して後者は311となり、約3割の優勢度をみるのである。

 もし下家・対家が(1)(2)共に同様の精神状態にありと仮定すれば、前者は増加して329となって後者よりややよろしい。しかし此の仮定は実戦上あまりないことだから、相当割引して考へるべきであらう。

 次に1枚先に打ったために2枚吸収しうることも往々にしてみるところであり、、しかる条件を入れるならばどうしてもこの5索はあらかじめ切って敵の注意を緩和せしめておいて、それから徐々に策をめぐらす方が賢いやり方だ。なお後になってこの5索で放銃になることもいちおう考慮せねばいけない。

 丁も同様であって

一四七系 4索1枚 7索1枚       計2枚
二五八系 5索2枚 8索2枚       計4枚
三六九系 3索2枚 6索1枚 9索1枚 計4枚


 すなわち二五八系か三六九系を切るべきであるが、この牌姿においては8索であることは一目瞭然であらう。そこで他色牌の安全牌を取ってきたら、差し支へない限りまず8索を切って相手をして注意を緩和せしめるか、より以上に先鋭ならしめるか(清一色で1枚余ったと見られて)の方法をとって最後に他種牌を打ち出すのが賢明である。

 この8索を早く打つことは、前にも一寸述べたごとく他家の8索和を予防することにもなるのである。この辺は微妙なところであるが、ともかく清一色で牌余りほど恐ろしいものは無い事はご存じであらう。

 他家の注意を先鋭ならしめることは、自己の聴牌をおくらせるが、同時に相手も或る牌を抑へたためにその進捗思はしからずして、相対的には遅れた事にならないのが一般である。かくして聴牌のときに他種牌を打って一度に三人の緊張を解いて後にアッと言はせる奇攻法となるのである。

 なお丁の牌姿においていま8索を切ったとすれば、

一四七系 2枚
二五八系 3枚
三六九系 4枚

であるから、369系における対子3索はこれをポンすることにおいて、何の無理も生じないことが分かる。此のごとき計算法も、またチーポンの参考になるべき事も述べておく。

別に刻子を有するもの

 甲および乙がそれである。この場合には比較的低価値と思はれる牌を予め切ることは、前項のごとく有利ではない。すなわち1枚犠牲にして1枚もらふことが大して重要でないのである。これは大して不要と言ふほどの牌が無いために、他力に頼るよりもむしろ自力によって相当の局面展開に期待し得る牌姿なのである。

 刻子を持っているときには、軽々に14系25系等と牌の枚数を計算することも避くべきである。と言ふのは刻子あるためにとんでもない牌が働き始めるからである。後の牌余りを恐れて切るとすれば、まず甲乙ともに7索と言ふところであるが、その代りかなり確率を悪くすることを承知の上でなければならない。以上述べた事柄も確率計算によってなお一層明確にすることができる。

 これで不聴形4個のうち、2個は別に刻子を有し、他の2個は刻子を持っていないで、したがってその刻子の有無が戦術的取り扱いにおいて多大の相違あることを賢察して頂けたと思ふ。

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