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    (9)謡曲「雀院」


昭和4年、日本麻雀学の祖、榛原茂樹が日本雀院という麻雀サークルを結成した。その榛原氏をたたえて麻生雀仙が作曲した謡曲。

「日本雀院首創者 榛原茂樹君に餞(はなむけ)す」  麻生雀仙(雀孫合作)
ワキ 旅の僧。 シテ 雀仙。 ツレ 雀孫。

ワキ次第
「東都(とうと)に集(つど)ふ麻すずめ、唐国(からくに)ぶりを眺めむ」


ワキ詞
「これは陸奥(みちのく)より出でたる僧にて候。此頃みやこに麻雀(まじゃく)なるもの流行致候趣(はやりいたしそうろうおもむき)聞き及び、立ち越え見せばやと存候(ぞんじそうろう)」


ワキ道行
「日もはるばるの旅衣(たびごろも)。明し暮れして今日は早や、東の都しろがね座、紀伊國橋(きのくにばし)に着きにけり」


ワキ詞
「われ橋畔(はしたもと)に立ちて眺むる所に、吃ポンの聲(こえ)、理牌(りハイ)の響き、高らかに聞こえ來り候。いかさまこれぞ名高き日本雀院とこそ存候へ。まづまづ立ち越え案内を乞はばやと存候」


ワキ詞
「いかに申候(もうしそうろう)。これは陸奥より出でたる僧にて候が、一手の御指南に預かりたく、わざわざ罷(まか)り出でて候」


ツレ詞
「さてさてそれは奇特の御事、まづまづ之れへ御入り候へ。始めに座位を定むべく候ほどに、此の骰子(さいつ)を御振り候へ」。


シテツレ
「そもそも骰子と云へば、魏の曹植(そうしょく)の剏(はじ)めるところ。これを投じて其色を見る。故に投子(とうつ)と云ひ、又色子(しょくす)と稱す。唐に於ては玄宗皇帝、貴姫と之を弄(もてあそ)んで、朱三朱四の目を賜ひ、わが朝にては後一条院、五位のくらゐを授けられる。かかる尊きいはれをば、心にとめて忘るなよ」

シテ
「さて又打法の秘訣には開門
(カイメン)に和せず、頭牌(トーパイ)を吃せず、清平(チンピン)には老頭(ろうとう)を忌(い)み、對副(たいふく)には對死(たいし)を惧(おそ)れ、又連荘(れんそう)には打東(だとう)せず、双ポンは一嵌(イーかん)に如(し)かずとや。それ三元には状元(じょうげん)を最とし、四喜には洞房華燭(どうぼうかしょく)の夜。金鶏(きんけい)の奪食(だっしょく)は嶺上(れいじょう)に花を開き、無双の國士(こくし)は海底(ハイテー)に月を撈(すなど)る。すべて此れ等のいましめを、心して聞けすずめ人」

ワキ
「さてさて之は有り難き、かずの教へを受けつつも、げに面白き一日をば、過ごしけるこそうれしけれ」


「いでや訓
(おし)へを身に膺(う)けて四方(よも)の國々めぐりつつ、すずめの宿をたづねんと、いとま申して出でにけり。げにや此の道はわが日の本に傳(つた)わりて、まだ年月(としつき)を經(へ)ざれども、昭和の御世と諸共に、榮へ行くこそ目出度けれ」

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