章秋谷の戦法 1
東尚仁(とうしょうじん)という芸姑屋だった。章秋谷(しょうしゅうこく)は今日も陳海秋(ちんかいしゅう)と一緒に氾彩霞(はんさいか)という姑(おんな)を相手に無駄口を叩いていたが、落着くところは麻雀だった。
生憎(あいにく)相手がなかったので、陶伯瑰(とうはくかい)と辛修甫(しんしゅうほ)を呼びにやった。牌は象牙に黒檀、彫りもいい。蘇州人の秋谷でさえ立派と褒(ほ)めたくらいだ。原注:当時、蘇州は麻雀牌の製造では中国一であった。
やはり芸姑(げいこ)がいなくちゃという事で、辛修甫は龍蟾珠(りゅうせんじゅ)を、陶伯瑰は胡玉蘭(こぎょくらん)を、陳海秋は林媛媛(りんえんえん)を、章秋谷はおきまりの梁緑珠(りょうりょくしゅ)と陸麗娟(りくれいけん)とを呼んだ。幾回りか済んだ時、姑達は皆やってきた。はじめの両圏は平々凡々、誰にも大きな手はいかなかった。
しかし海秋が媛媛に変わってやらせた所から状況は一変した。 彼女が荘家(親)で、最初から中風(ツォンフォン=)が4枚、東風(トンフォン=)が対子である。中風()を暗槓にして開いた後、伯瑰が乱暴にも東風()を打つ。媛媛がポン。それから幾回りかして、媛媛が一万()を打った。
秋谷が「荘家は万子一色だからみんな用心せにゃあいかんよ」と言う間もなく伯瑰が發風 (ファフォン=)を打ち出した。媛媛が得たりと牌を倒す。文句無しの倒勒(トーロー=満貫)だ。みんながブツブツ言いながら払ったあと、修甫が伯瑰に「どうしてあんな乱暴な牌を打ったんだ」となじった。浅見注:中国麻雀では摸和でも栄和でも3人払い。したがって満貫を打ち込んだ伯瑰に他の二人が文句を言った。
しかし伯瑰は「和ろうと思ったから打ったんだよ」と平気なものだ。秋谷も何か言ってやろうと思ったが、伯瑰とはあまり懇意ではないし、素人に忠告しても無駄だと考えたので微苦笑に紛らした。
ところがこれが媛媛のツキ始めで牌風(パイフォン=勢い)が俄かに盛んになり、連荘を何回か重ねた。やがてかろうじて媛媛の荘家(チョワンチャ=親)が落ちたが、続いて修甫が両翻の索子清一色に成功し、四圏(スーチュァン=一荘)終わらない内に秋谷は一五〇符ほど負けてしまった。
原注:索子清一色なら当時のルールでも三翻の筈であるが、原文では両翻になっている。あるいは一種の翻牌を含む特殊な索子清一色かも知れない。浅見注:翻牌を含む特殊な索子清一色であれば、その翻牌は紅中と思われる。
陸麗娟がこれを見て秋谷に代わってやったが、また両圏の間にだいぶん負けが込んだ。秋谷、これではならじと麗娟に変わったが、牌風ますます悪く、総計三百元ほど負けてしまった。氾彩霞はスッカリ歯痒くなって秋谷の後ろに立って何かと指図する。みると秋谷の牌はメチャメチャで好牌は一つもない。
上家の伯瑰が二索()を打ってきたので彩霞は「吃(チー)」と声を掛けたが、秋谷は知らぬ顔で摸牌(モーパイ=牌をツモる)する。彩霞は不平でならない。その次に伯瑰が九万()を発してきた(打ちだしてきた)。彩霞はまた「ポン」と叫んだが、秋谷はやはり知らぬ顔をしている。ところが対家の修甫が七万()を打ってくると、秋谷はそれをポンして八万()を捨てる。サァ彩霞が承知しない。
「あんないい二索()を吃せず、九万()もポンしないで今ごろ七万()をポンするのはどう言う理由なの。イケ好かない」と、一思いに秋谷の傍(かたわ)らを離れ、緑珠と麗娟をつかまえてクドクド言っている。それでもまだ気になるのか、また秋谷の後ろで見ていると、ちょうど秋谷が荘家で安く和り、続いて七十二和(七十二点)の筒子清一色で和った所だった。
しかし次に修甫に落され、今度は媛媛の荘家。秋谷の手を見るとあまり良くない。そこへ上家の伯瑰が五索()を発してきたので彩霞が袖を引っ張ったが、またも秋谷は吃しなかった。そのまま摸すると東風(トンフォン=)がきたので、これを抑えて四索()を打つ。その次に三万()を引いて三四五万()の一搭(イーター=順子)とし、六索()を打つ。
修甫が「四索六索を析く(落とす)くらいなら五索()を吃した方が良かったんじゃないか」と言ったが、秋谷は「五索()を吃したんでは平胡(ピンフー=平和)にしかならない」と取り合わない。一回りして修甫から出た南風()を秋谷がポンして九索()を打つ。この時、媛媛は白風(パイフォン=)をポンしている。そこへ伯瑰が不用意にも東風()を打つ。媛媛は大喜びで牌を倒す。見ると東風()と一索()の双ポンで七索八索()が暗刻である。
ポン
浅見注:中国麻将には振り聴が無いので、を出した人を示すツケ牌はしない。
混一色・対々和・白風・東風の和りで四翻、また満貫なのだ。媛媛が有頂天になっていると、秋谷は場にまだ晒されたままの東風()を黙って取り上げてしまう。そうして徐(おもむろ)に自分の手牌を倒した。
ポン
東風単騎の安い和りである。これを見た修甫と彩霞の喜び様といったらない。それにひきかえ媛媛の消気(しょげ)たこと。東風()をほうり出した当人の伯瑰だけがポカンとしているのも一興だった。浅見注:栄和でも3人払いである為、安い和了であれば修甫と彩霞の出費が少なくて済む。
そこで秋谷が彩霞をつかまえて講釈を始めた。
「これで少し分かったろう。さっき二索()を吃せず九万()をポンしないのを間違いだといったが、そう一概に言えたもんじゃない。およそ上家の牌風が盛んな時は、吃する必要のない牌でも吃して上家の牌が自分の手に落ちるようにするのだ。下家の牌風が盛んなときは、吃すべき牌でも吃しないで下家の牌を自分の手に引き寄せるのだ」*浅見注:「吊ポン対家(チャオポントイチャ)という戦術論。
彩霞が「そんなに上手くゆくものなの」と口をはさむ。
「若しさっき二索()を吃すれば三六万()の等張(トンチャン=聴牌)になるけど、その代わりこの東風()が媛媛に入って媛媛はとっくに和っていたわけじゃないか。対家の七万()をポンしたのは、今日の牌勢がいいのは媛媛と対家だからだ。そこで自分の八万九万()を析いても対家の七万()をポンし、対家の好牌を引き寄せる。これが敗を返して勝とする法というものだ」
修甫と伯瑰が成程といった顔つきで傾聴しているので、それに勢いを得た秋谷は、滔々として彼のいわゆる牌経(パイチン=戦術論)の講義をはじめた。
「第一には下家にあまり吃させないことが必要だ。一つぐらい吃させたって何でもないようにみえる。和らせたって十和や二十和なら何でもないかも知れない。しかし一度和りグセがつき、二〜三回続けて和るとその人の牌風は俄然良くなる。いきおい破竹の如くになる。その時になって慌てて抑えてみたって抑え切れるものじゃない」
「素人はよく大負けに負けて損をしてから『どうも今日は牌風が良くない』と言うが、では他の人の牌風はどうして良くなったのか。みんな素人が良くしたんじゃないか。麻雀をやる人は自分の手の中だけ見ないで“みんなの牌風はどうか”ということを見なければならない」
「大抵みんなが等張となっていると思う頃には注意して卓上を見、それと自分の手の中とを照らし合わせておれば、他人の等張が何であるか自(おのずか)ら分かるものだ。とにかく自分の牌風の好し悪しに拘らず、生牌(ションパイ)をあまり出さず大砲を打たなかったなら、そうメチャ負けする事もないだろう」*浅見注:不開大砲=大物手に打ち込まない。
「どんな牌を打ちだすか、上手下手はこれによって分かれるのだ。自分の牌風が悪いときにメチャな牌を打つべきでないことは誰でも知っているが、牌風がいいときでも慎重に打たなければならない。大きな和りを逃したら、そのアトは牌風が悪くなるものと覚悟しなければならない」
ようやく秋谷の長講釈が済んだのでまた戦い出したが、八圏終った所で計算してみたら陶伯瑰が百三十符あまりの負け、辛修甫も五十何符の負け、一時はあれだけ勝っていた陳海秋の代打、林媛媛も僅かに二十数符の勝ちで終り、章秋谷は負けを取り返しただけでなく百六十何符かの勝ちになっていた。
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