青兒は其の後か若者の事が氣になつて仕方がなかつた。五萬弗の財産が殖えた事を考へても何だか嬉しい氣持ちになれなかつた。
「あの人は財産を失くしてしまつてどうして居るだらう?」とそれが氣にかゝつた。
「馬鹿な奴があつたものだ」
其の話が出ると誰でもさう言つて、青兒の前でも何でも構はず若者の愚かさを嘲り笑つた。併し青兒は笑ふどころではなかつた。成る程若者の行為は愚かな行為かも知れない、が、其の愚かな行為の中に、彼女としては笑ふことの出来ない何物かゞあるやうに感じられた。
彼女は人を頼んでそれとなく若者の在家を探してみたが、何處へ行つたか行方が知れなかつた。それから三月ばかり經つた。すると或る。日一人の常連のお客がやつて來て、青兒に向つて、
「青兒、俺は或る處で面白い人間に遇つたよ」と言つた。
「誰にお遇ひになつたの?」
「奇遇なんだよ、實は昨日用事があつて佛山迄行つて來たんだが、佛山でネ、ほら、いつか此處でお前に負かされて五萬弗取られたあの青年と遇つたんだよ」
「え、ほんたうですか?」
「ほんたうだとも、それでネ、實際有りつたけの財産を賭けたもんだと見えて、今では零落して まるで乞食さ、見られた態ぢやなかつたよ」
かう言つて其の人は若者に遇つた時の模様を詳しく話した。青兒は直ぐ家僕を佛山に遣つて、あの若者を探して若し居たら直ぐに伴れて歸つて來るやうにと命げた。彼は主人から命ぜられた通りに若者を伴れて來た。
青兒は二階の自分の部屋へ若者を伴れて來させた。若者はよごれた木綿の着物を着て、そして破れた靴を履いて居た。あの贅澤な着物を着て鞭を持つてはいつて來た時の貴公子らしい名殘りは何處にも無かつた。
「暫く暫く、よう入らして下さいました。さあ何卒お掛けなすつて」
青兒は椅子を若者の側へ寄せて其の側へ自分も腰を掛けた。
「あの時は大變お氣の毒な事を致しました。其の後さつぱりお見えがないからどうなすつたかと思つて居りました」
「僕も、伺つてよいものなら來たかも知れなかつたが、何しろあの為にこんな態にはなるしーー」
「妾も實はそれをお案じ申して居りましたの。だが併し、いつたい貴郎は何んであんな無茶な事をなさつたんです?」
「それだけは許して下さい」
「どうか仰しやつて下さい、貴郎の氣持ちを正直に」
「では言いませう、實は僕は貴女に人知れず戀をして居たのでした。それで、慾も得も考へなかつた。が、あゝして自分の全財産を賭けて勝負をしたら屹度負けつこないといふ自信があつたのです。處が運悪く負けてしまつた。さうしてこんな境涯になつた。それは考へると殘念だけれど、自分のちからが足りなかつたのだから仕方がない。僕はすつかり諦めています。今では後悔も何もしていない。戀の為めに自分の力で出来る限りの事をしたといふ寧ろ滿足な氣持ちさへあるのです」
青兒は感激してハラハラツと泪をこぼした。彼女は咄嗟に此の若者に對して燃ゆるやうな愛を感じた。そして若者の手を確りと握りしめた。それはいつぞやの別れ際に扉の前で握手をした時のあの冷たい手ではなく、どちらの手も火のやうに熱かつた。若者の望みは遂げられたのであつた。彼等は間も無く正式の結婚をした。そして廣東の街ぢうに、珍しいローマンスだと云はれて噂の種を撒き散らした。
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