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     (31)百雀荘綺談3

 
 名古屋の錦三(きんさん)にあるソシアルビルのイレブンハウス。地下には百雀荘という雀荘がある。ある日 常連の倉田さんが前を通りかかると、年輩の男性が数人 入ってゆくのを見かけた。その中の一人が、なんだか見覚えのある顔。

 「どっかで見た顔だが...」と思ってからハッと思い出した。なんと愛読マガジン「麻雀世界」の先月号に写真が載っていた人。たしか○×麻雀連盟の理事長だった。不思議に思った倉田さん、百雀荘に顔を出したとき 店のマドンナで珍さんの孫娘、玉娘さんに聞いてみた。

先日、○×麻雀連盟の人たちが尋ねて来なかった?」と訊ねると、
「ええ、龍門じいちゃんに会いに来たのよ」という返事。
へぇ、なんで....
「じつはオジイチャン、むかし中国の麻雀界のエライ人だったの。それで いろんな麻雀団体の人たちがアイサツなんかにみえるの」
へぇ、エライ人って、どんな風に?
「ジイチャンの“珍”というのはニックネームみたいなもので、本当は“陳”だというのは倉田さんも知ってるでしょ。それで今の麻雀は150年くらい前に完成したんだけど、それを作ったのが陳 魚門という人。それがウチのひいひいひい...じいちゃん」
へぇ....(゚0゚)
「そういっても新しいゲームを作ったというわけじゃないのよ。そのころの麻雀って、花牌がとても多かったの。そこで牌やルールを改良して今の形にしたの」
へぇ、そうなのか....
「それで陳家麻雀門(チンカ マージャンモン)という組織も作ったのよ。ウチのジイチャンは、その陳家麻雀門の6代目宗家」
....しかしそんな人がどうして日本に?
「ほら、中国では長いこと戦争があったでしょ。それが終わったと思ったら麻雀禁止になって。それで上海から香港へ移ったの。そしたら香港で弟子になった日本人が帰国するとき、“老師、日本では麻雀が非常に盛んです。一緒に日本へゆきませんか”って」
でも玉娘さんは どうして....
「オジイチャンだけっていうわけにゆかないでしょ。そこでわたしの父の玉竜が跡目をついだの。いまは父が陳家麻雀門の7代目」
じゃあ、お父さんは今も香港に?
「それが香港返還とかいろいろあって、いまは台湾」
ふ〜ん....それで玉娘さんは陳ジイサンと二人だけで日本にきたのか
「二人だけじゃないわよ。門弟最高位の三元竜の一人 白竜(パイロン)さん、幺頭連(ヤオトーレン)の毛一丁、毛沢山の兄弟も一緒。ほら、“白(はく)”っていう日本のマンガがあるでしょ。あれは白竜さんがモデルなのよ」
「(゚0゚)...三元竜とか幺頭連って?」
「陳家麻雀門の門弟の位。三元竜は門弟最高位で白竜のほかに紅竜、青竜があるの。ほら、英語で三元牌をホワイト ドラゴンとかレッド ドラゴンと云うでしょ。あれは、ここから来てるのよ。その次の位が四神獣さん、以下順番に幺頭連、尖張連、要張連とあって最後が百雀連。百雀連といっても百人という意味じゃなくって、多くの雀士っていう意味よ」
へぇ....でも どうして名古屋へくることになったわけ?
「じつは珍ジイチャンは、むかし名古屋に来たことがあったの」
そうなのか...
「そのとき名古屋のC新聞の社長と麻雀することになって。そのとき記念に色紙を頼まれたので竜の絵を描いたの。そのころC新聞でプロ野球のチームを作ることになっていたんだけど、その色紙を見て社長がハッと思いつきドラゴンズという愛称にすることに決めたの。その縁で オジイチャンが日本へくることになったとき、聞きつけたC新聞が“ぜひ名古屋へ”って云うので ここへ来ることになったの」
って、いくらなんでもほんとかい....
「あら、その色紙はいまでもC新聞の社長室に飾ってあるそうよ」

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