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    (2)魔都・賭博館の娘 2


 階下の構造は支邦式と西洋式との折衷式に造られて居る。表の扉を押して這入つて來る人は、其處に大きな紫檀の衝立があつて内部の光景を遮って居るのを見るだらう。其の奥が直ぐ店になって居て、片方の玻璃窓の方を寄せて賭博臺が幾臺も据えてある。

 反對の側の壁の方にはテーブルが二、三脚置いてあつて、こちらは主に食べたり茶を飲んだり手のすいて居る時雑談をしたりする場所になって居る。ストーブの中では石炭の紅い火が勢よく燃えて居る。例の「瓢箪口」の額は、魔雀をやって居るお客達の頭の上の處に掛つて居る。


 十二、三人の客が其の室に集まって居た。老人も居れば若い男も居るが、皆常連ばかりだ。其處へ、向うの隅の螺旋階段をコトコトと輕く鳴らして、シガレツトを一寸伊達な手つきで吸ひ乍ら青兒が二階から降りて來た。

「皆さん、お早う」と彼女はほんたうに優しい聲を遠くから投げた。
「ヨウヨウ、お待ち兼ねお待ち兼ね、佳人の顔が見えないので駒の音がちつとも冴えなかつたよ」

 王さんといふ家作持ちの肥った男が言つた。

「あら、王さんが又うまい事ばつかり」
「何ほんとだよ、彼處に居る李さんなぞは、お前の顔が見えないので先刻から勝負もしないで起つたり座つたり焦れて居たんだよ。それにしても遲すぎるぢやないか」
「いゝえ、是れでもいつもと同じ時間よ」
「何、一時間位は遲いやうだ、ねぇ、青兒、いゝ夢が惜しくて起きられなかつたらう」
「いゝ夢つてどんな夢?」
「さうだなあ、お前のやうに美しい娘といへば大概極つて居るなあ、美男子で優しいお婿さんが來た夢でも見て居たんだらう」
「いやな王さん」

 青兒は小さな絹のハンカチーフで王さんの顔を打つた。お客達はみんな愉快さうに笑つて居る。全く誰でも青兒の姿が見えると、部屋中の空氣が急に感じられるのだった。


「王先生、僕ばかりを攻撃なさるから、一つ復讐に勝負を願ひませうか」と、李といふ實業家の息子が茶を飲んで居たのを止めて立ち上がつて言つた。
「よき敵、望む處だ」と王さんは答へた。

 青兒は其の側へ腰を掛けて勝負を見物して居た。眞晝の強い光線が薄いカーテンを透して青兒の顔へまともに輝いて居る。うす紅味のさして居る白い皮膚に柔らかなうぶ毛が見える。前髪を斬つて房々と垂れて居る。其の一本並べの前髪の透き間から、丁度簾越しに物を見るやうに、細く長い眉と眞つ白な額とが透けて見える。其の下に、是れも細くて長い美しい眼がジーツと動かずに据わつて盤の上に注がれて居る。紅く燃えて居る耳朶の下で、翡翠の耳飾が冷たく光つて居る。

 其の時、表の扉を押して一人の客が這入って來た。青兒が一寸振り返つてみるとそれは見なれない若い男だつた。支邦服を着て新型の中折帽を冠つて、馬に乗つて來たと見えて手に鞭を持つて居つたが、それを帽子と一緒に壁に掛けた。

 「いらつしやいまし、さあ何卒こちらへ」
 青兒はにつこりと自然の愛嬌を見せて席を起つて行つて、向うのテーブルの方へ客を招じた。客は大様な態度で椅子に腰掛けた。まだ廿か廿一位の眉目秀麗の青年で金の掛つた立派な服装と云ひ、其の氣品のある様子と云ひ、どうでも何處か身分の高い家の貴公子か、でなければ少し田舎の物持ちの息子か何かに違いなかつた。

「僕は張といふ者です、初めてお宅へ來ました。そうかお心易く」
「まあ申し遲れて恐れ入ります。妾は青兒と申しまして當家の主で御座います。どうか何分御贔屓に」

  青兒はさう云つて頭を下げた。
「貴女の店は大層繁昌するさうですね」
「ハイ、お陰様で皆さんが贔屓にして下さいますので」

  客はボーイが運んで來た茶を一寸一口吸つて下へ置いた。

「時に、青兒さん、貴女は大變勝負がお上手ださうですね」
「いゝえ、まるで駄目ですの」
「いや確かにさういふ話を聞きました。處で、僕は貴女と一勝負しようと思つて來たのですが」

「おやまあ、そんな醉興はお止し遊ばせ、他にいゝお相手を御紹介致しますから」

「いや是非共、貴女と勝負がして見たいのです」と若者は熱を込めて言つた。


(何といふ世間知らずのお坊ちやんだらう)と青兒は思つた。
(此の人は幾らお金を持って來て居るのか知らないけれど、わたしと勝負したら持つてるだけは吐き出さなければならないんだのにー)


 青兒は負かしても氣の毒に思ふので返事をしなかつた。彼女は父の林に劣らない賭博の手腕を有つていた。此處へ來る程の客ならそれを知らない者はいなかつた。

 「青兒さん、折角お客様のお望みなんだからお相手したらいゝぢやあないか」
 と向ふで其の問答を聞いて居た王さんが一寸手を休めて言つて、癖になるから負かして遣れといふやうな眼付きをして見せた。すると青兒もそんな氣になつた。見れば相當物持ちの息子でもあるらしいからちつと位負かして遣つたところで差支えはあるまいといふやうな氣持になつた。

 「ではお相手を致しませう」と言つて青兒は一番奥のテーブルへ若者を案内して對き合つて座つた。王さんを初めみんな自分達の勝負を中止して、此の物好きな若者が負かされるところを見物しやうと思つて其の周りに集まつて來た。

 其の時若者は上衣の下から一つの包みを取り出して、テーブルの上で解きだした。中から書類だの帳面のやうな種類の物を出して、
「青兒さん、これは僕の全財産で、祖先傳來の地券と、銀行の預金帳です。どうか調べてください。時価にして五萬弗はあります。是れ丈を僕は賭けませう」と若者は落ちつき拂つて言つた。周圍の者は皆吃驚して顔を見合わせた。青兒も驚いて顔の色を變へた。


「そんな無茶な事をなさるものではありません。お止しなさい」と青兒はキツパリ言つた。
「いや、どうせ貴女と勝負をするなら是れだけ一度に賭けませう」
「でも貴郎はいまに後悔いなさるでせう」

「いや、斷じて後悔しない」

「併し、貴郎が五万弗賭けると仰しやつても、妾にはそんな財産は到底有りません。一万弗も六か敷う御座いますわ」

「それはさうでせう、だが貴女には金を賭けなくてもいゝのです」

「お金を賭けなかつたら何を賭けるんです」

「貴女の體を賭けて下さい。早く云ふと、若し貴女が負けたら、貴女は僕の妻になるといふ契約をしてー」と若者は言つた。


 青兒は其の美しい頬をぽツと紅く染めた。けれども彼女は同時に少し腹が立つた。今迄男にはいろんな事を言はれたこともある。だが併し初對面の男からこんなに露骨な事を云はれたことはない。いやに落ちついて居る若者の容子が小面憎く見えて來た。構はないから五万弗巻き上げて泣き面を掻かせて遣らうといふ残酷な氣持も手傳つて來た。

 「宜しう御座います。承知致しました」と彼女は答へた。見物して居る人達も餘り意外な若者の出様に驚いたが、半ば面白半分に「それでは後で苦情の無いやうに公正証書を作製して置くがいゝ」と兩人に注意したので、直ぐに近くの公証人を連れて來て其の場で契約書を作製した。それから兩人は勝負を始めた。青兒も若者も兩方とも蒼ざめた顔をして居た。

 若者も流石になかなか強かつた。が、矢張り青兒の敵ではなかった。三番の勝負に三番ともいつも際どい處で若者は負かされてしまつた。最後の勝負が決すると、若者は「あゝ!」と大きな息を吐いた。彼の顔には一滴の血も殘つて居ないやうに蒼ざめてしまつて、手はブルブルと戦いて居た。青兒も「ほツ」と息をした。併し彼女も勝負に勝つた愉快な氣持ちにはなれなかった。反對に重苦しい氣分になつて居た。

 「では、是れはお渡しゝます、僕は直ぐ歸ります」若者はヨロヨロよろめき乍ら起ち上がって歸り掛けた。青兒は自分としてどう言つていゝのか判らないので黙つて其の後へ随いて送つて行った。若者は帽子と鞭を取つて扉のハンドルを握り乍ら背後を振り向いて、「青兒さん、左様なら」と云って片方の手を差しのべた。「左様ならー」蒼兒もさう言って相手の手を握った。どちらの手も氷のやうに冷たかった。

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