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    (1)魔都・賭博館の娘 1


 最初に紹介するのは、「魔都・賭博館の娘」、この作品は、短編集「魔都(大正十三年6月(AD1924)、小西書店)」に収録された日本初の麻雀小説である。本書の題名「魔都」は,日本ではそのまま上海の代名詞ともなった。

 著者の村松梢風は明治23(1889)年、静岡県に生まれた。大正12(1923)年、上海を旅遊して以来その魅力にとりつかれた。以後、毎年のように訪中し、大陸を舞台にした小説を数多く発表した。戦後は「近世名勝負物語」、など名勝負物で人気を集めた。昭和35(1961)年没。


 賭博館の瓢箪口(ひょうたんぐち)は今日も相變わらずお客で繁盛して居る。二階でも階下でも、幾組も勝負が始まって居る。それは「魔雀」という博奕だ。お客達は二人でやって居る組みもあれば、一つの盤へ四人で對きあつてやつて居る組もある。紫檀のテーブルの上へ盤を置いて、象牙の駒を指で抓(つま)んでは「カチーン、カチーン」と打つて居る。各々の前に銀貨が堆く積んで並べてある。大洋の一弗(ドル)、小洋の廿錢(にじゅっせん)と十錢、それを一弗は一弗、廿錢は廿錢で別々に綺麗に積み上げてある。ガチャガチャガチャと銀貨を數える音。廣い部屋中一杯に煙草の煙が滿ちて居る。

 其の煙草の煙の中から、階下の部屋の眞正面の壁に「瓢箪口」と太く達筆に書かれて居る額の字が霞んで讀まれる。それは此の賭博館の屋號だ。併し瓢箪口とは屋號にしてはあんまりな屋號ではないかと、お客の中でも不思議がって尋ねたりする人も偶にはある。けれどそれは聞いてみれば、他愛のないはなしだ。

 瓢箪口といふのは、今から三月ばかり前にふとした病気が原因で死んでしまった此の賭博館の主人だった林といふ男の綽名だった。林はもういゝ齢だった。其の林が一人の可愛らしい娘を伴れて此の廣東(カントン)へ流浪して來たのは今から六七年も前の事だった。

 彼は此處へ來る前は福州に住んで居て堅氣な商賣を營んで居たと言ったり、そして生まれは浙江せっこうだと言ったりもしたが、何しろ誰も確かな事を知ってる人はない。青島(チンタオ)だの天津(テンシン)邊(へん)の事も知って居て、兎に角世間の廣い、さうして事件の多い生涯を送って來たらしい男であることは、其の老いては居てもなかなか鋭い氣質や引締まった容貌などでも直ぐに想像することがでいた。

 處(ところ)で、林は廣東へ來て何に依って生活を立てて居たかといふと賭博が本職だった。彼は「魔雀」の名人だった。どんな人が掛つて行っても大概(たいがい)彼には歯が立たなかった。其の時分は現今のやうに官許賭博館といふ物は無かったけれど、支邦の他の土地と同じやうに有らゆる勝負事は公然の秘密で行はれて居た。

 林は博奕さへ打つて居れば可成りいい商賣(しょうばい)になって樂に生活が出來るのだった。林は獨身者だけれども、前にも云った通り一人の娘を育つていた。娘の名前は青兒(せいじ)と云って居た。青兒が父に連れられて初めて廣東へ來た時は漸(ようよ)う十二位の齢だった。其の時分から青兒は目鼻立ちの優れた色白の美しい子供だった。林は何處(どこ)へも伴れて歩いた。親父が博奕打つて居る側で青兒は大人しく遊んで居た。

 さうして幾年か此の土地で暮らして居るうちに、偶然にも林に取っては非常に幸運な機會が到來したといふ譯わけは、近年廣東省では財政が窮乏の極に達してどうする事も出來ない處から、賭博を公許して賭博税を徴収して財源に充てることになった。そこで公然の賭博館といふ營業が官許に依って營まれることになった。林は早速賭博館を開業した。すると彼の店は大變繁昌した。

 林には以前から「瓢箪口」といふ綽名(あだな)が付いていた。其の綽名はどういふ意味なのかそして誰が云ひ始めたのかはつきり知って居る者は少なかったが、兎に角蔭で人が「瓢箪口、瓢箪口」と言って居たくらいだから無論いゝ意味の綽名でないことは明らかだった。處が、如才のない林は、賭博館を開業すると同時に、或る書家を頼んで時分の綽名を額に書いて貰って、それを戸口の看板にまで出して、屋號にしてしまった。そんな彼の策略が圖(づ)に中(あた)つたのだった。

 「瓢箪口」の由來はざっと右の通りだが、併し此の家にはまだ一つ他に繁昌しなければならない重大な原因がある。それは看板娘の青兒の力が大いに與かって居る。父の林が亡くなった後は、今年十八歳の青兒がたった一人で此の店を經營して居るのだ。

 青兒は、今朝も十二時過ぎ頃に漸ようよう起きてそれから鏡に向つて自分で髪を結(ゆ)つて、着物を着替へてしまふと其處(そこ)へ年取った下婢(かひ)が麻の御飯を持って來たので、たつた獨りでテーブルに向かつて寂しそうに御飯を食べた。父が生きて居る時分には必ず親子揃つて朝飯を食べた。先に起きた父が時間を見計らつて青兒を起しに來た。

 「青兒や、青兒や、もう起きないと朝飯が遲くなるよ。お客様も入らしつてるんだよ」林は娘の寢臺の帷(とばり)を引き明けて、額まで蒲團を着てよく睡って居る娘の顔の側へ口を寄せて呼び起こすのが毎朝の慣(なら)ひになつて居た。

 併し起こして呉れる父が亡くなって後は、青兒は其の時間が來ると屹度(きっと)ひとりで眼を醒ました。さうして獨りでテーブルに向つて麻の御飯を食べなければならなかつた。青兒にはそれが寂しくて溜まらなかった。居りもしない父親の姿をテーブルの向うに描いて見たりした。誰でもさういう場合に感じるやうに、彼女もまだ父がほんたうに死んでしまつたのだといふ氣持ちがしなかった。 さうかと云つて死んだ事は自分も最後の病床に附いて居て目撃した動かすことの出来ない事實である。が、一旦死んでしまった父が矢張り何處かに生きて居て、自分の眼の前にヒヨツコリ現はれてでも來さうなやうな氣持ちがした。さういふ不自然な氣持ちがちつとも不自然でなしに感じられた。生と死との間が、ハツキリとした一線でなしに、其處に煙のやうな朦朧(もうろう)とした場面があつて、彼女の父が其のどつち付かずの處をさ迷って居るかのやうな氣持ちのするのが、現在の彼女の氣持ちだった。

 青兒は、食事のあとで刻み煙草を二三ぷく吸つた。煙草を吸ふ事を覚えたのも近頃のことだ。獨りでぼんやりして居る時、父が使って居た煙草の道具を取り出して吸って見たりして居るうちに、此の頃ではほんたうに好きになってしまった。其の部屋は、一間半に二間位の廣さで、其の餘り廣くない部屋の中に、寢臺、箪笥、化粧臺、テーブル、椅子ーそんな道具がキチンと片附けて置いてある。壁には死んだ林の引きのばし寫真が額に入れて掛けてある。紫檀類の紫色の光澤、銀金具の白い光。其の部屋を、優しい女の持ちなれた人形や、蔵かや、それから桃色の絹の寢臺の帷や、それらが、此の部屋の住み手にふさわしい色彩や情調を漂(ただよ)はせて居る。

 「お客が待って居るだろう」と青兒はぼんやり考へた。其の日其の日の自分の商賣に對してさう強い興味も感じては居ないが、惰性的に毎日同じ事を繰り返して居ることがさう厭(いや)でもなく倦(あ)きもしなかった。

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