Classic story 古今小説 .

    
(14)雀戯 5


(十五)

 うち解けたやうな解けないやうな、長ひやうな短ひやうな変な時間が経った。聖姫はこの森の中で二人きりとなって、いきなり男の厚い胸に飛び込んで泣きたかった。あんまり弱い自分の話少なひのが相手に気の毒であった。

 しかしへたな話しをするより、話したいことを包んでこのまま帰る方が自分に勝ったやうにも思はれた。さう思ふことが自然的のあきらめであるとも考へられて情けない気もした。そしてともかく、これを機会にと末を楽しむ心で、やがて主従三人は奥庭を出て劉浩に見送られ東王の邸を辞した。

 帰途の輿の中で聖姫の眼には涙がいっぱい溜まった。邸へ帰ってからの彼女はそれでも大変機嫌が良くて、外の侍女達に可隆節の有様を何かと話して聞かせてゐた。

 その翌日、東王は気軽に劉浩の室をたつねた。入ってくるなり、「おい」と笑ひながら呼びかけた。
 「お前は仕合わせものだ」
 又例の癖からか、王に甘えきってゐる劉浩は、少しからかってみたくなった。
 「又命がけの麻雀ですか」
 「北王の娘は俺がいった通り、お前のものだ・・・・」
 「ありがとうございます」
 「いや、本統だよ。全くだよ。しかし俺の見込みとは違った筋書きでお前の手に入るんだ」
 「私は仕合わせものです」

 「はヽヽヽヽ、今度は先手を打ったな。全くお前は仕合わせ者だ。実はだ、俺がなぜあの時、北王の娘をお前にくれてやると言ったかと言へばだ、北王はあれでなかなか負けん気の頑張り屋だ。一旦思ひたったことは是が非でもやり通すという流儀の御仁だ。麻雀に命を懸けたのは杜の考へではなく実は北王の腹から出た筋書きで、その実は俺の鼻をあかして一泡吹かせてやらうという魂胆だったのだ」

 「勿論、杜といふ選手には勝てば娘をやる位の懸賞があったことは、北王の平生の性格から推して想像が出来る。俺はお前が勝つことを信じてゐた。杜が負ければ北王はこんどは娘にやらせるから出てこい位のことはきっと言ふんだ。実際あの娘は北軍中にも及ぶもののないといふほどの実力を持ってゐるさうだ」

 「あれにもお前が勝つとすると、あの娘は東軍に引き取り、お前に呉れやう、と、かういふ筋書きに運ぶだらうと睨んでゐたんだが、杜の命を許してやったばかりに、さすがの北王も恥じたものとみえ、麻雀競技のことはそれっきり言はなくなったので、俺は内心アテが外れ、お前に言葉もなく困っていた矢先・・・・、筋書きは違っても結果は同じだ。あの娘は矢張りお前のもの」

「どうしてです?」
「喜べ、あいつはお前に惚れてゐるぞ」
「えっ?」
「俺の目に狂ひはない、お前も好ひてをるか。向ふはだいぶ熱が高い」
「ご冗談でせう」
「お前がいやなら止せ。しかしあの娘が欲しいなら俺が知恵を貸してやる」
「・・・・・」
「まぁなんでもいい、俺に任せておけ」
「でも」
「はヽヽヽ、嬉しそうな顔をしてやがる。お前は仕合わせものだ」「あははヽヽヽヽヽ」
「ははヽヽヽヽヽ」

(十六)

 二度と逢ふ機会もあるまいと思ってゐた劉浩に偶然逢って、僅かの間ではあったが並んで歩ひたり向き合って話すことが出来たのは聖姫を明るひ希望に燃え立たせたのであった。沈みがちだった彼女は、面白い夢でも見るやうによく微笑み、そして誰にも親切になって喜びが生々と表情に動き出した。あの日の劉の一挙手一投足が目をつぶると瞬々に展開され、覗き込むやうなものの言ひ振り、飛び込むやうな鋭い目付きなど、すべてが自分一人にだけ好意をよせてゐるやうに考へられた。それを思ふと嬉しさで胸がわくわくする。

 が、将来を考へるとさびしかった。敵も同様な東王と来た王の間柄である。二人の関係が切迫してきても、所詮は縁のない恋愛ではあるまいか。東王はあのやうなおおらかなお方であるから、真情をうち明けたら許さないこともあるまいが、父王は東王を怨的のやうに憎しみ、殊に当の劉さんは杜を破って北軍に恥をかかせたその本人ではないか、父王が自分の恋を許すはずがない。

 敵の選手に恋する自分はなんといふ因果な生まれであらう。この恋を叶ふためには、父王の恨みがとけるか、二人が逃げ出すかするより他に途がない。頑固一徹の父王が自分たちの心持を察して、一緒にしてくれることは絶対に望まれないから、残る途は逃亡である。自分は父を捨てて逃げ出すべきであらうか、それとも父のためにこの恋を捨てねばならないのであらうか。
 途は二つに分かれる。分かれ道に立って、弱い1人ぼっちの聖姫は声を上げて泣き出したくなった。
「お嬢様、近頃はたいそうお塞ぎのようでございますが、何かお気にかヽることでもございましたら、ご遠慮なく仰言って下さいませ。折角北王様からいひつかってゐますこの婆のお役目が勤まりませんから」
 なるだけ機嫌のいい時を見計らって老女が かうたずねた。
「何でもないの」
「何でもないのに、どうしてさう毎日溜息を吐いたり、お泣きになったりなさいますか」
「気分が悪いのよ」
「どうして又、毎日気分がお悪いのでございませう。わけもなしには」
「だって悪いんだもの」
「お嬢様、お隠し遊ばしますと却ってお気
分が悪くなります。どうぞ仰って下さいませ」
「何だっていいぢゃないの」
「さういふ訳にはまゐりません」「うるさい婆やね」
悶々の日がつヾく。聖姫の不機嫌は誰が取り入っても直らない。そんなに父上が恋しひのかなと、何も知らぬ人のいい侍従たちは私語きあった。東王邸につひて行った紅玉だけは、もしやと疑ってはゐたが、コレといふ確かな証拠はなかった。
 十日ほど過ぎて東王から手紙が来た。それには、かう書いてあった。

  明後十五日は仲秋の満月ゆ  え、王族御婦人の舟遊覧を莫愁湖で催しますから是非ご来駕下さひませ。これは同族の親和を計るためでございまして、例の観劇会を本年は趣向を代へたのです。お待ちしています。

  聖姫様     東王 揚秀清


(十七)

 聖姫は留守の父には済まぬと思ひながらとてもそれを斷わる勇気はなかった。招待者は東王であるし、名義は立派だ。側近の者だって疑ふたり苦情を言ふたりするはずはない。案内状を受け取って、聖姫の機嫌がまた少しよくなった。侍女達は見当がつかなくなった。

 当日、聖姫はいつもより念入りにお化粧した。衣装も自分で選んで、大きい花模様のある薄物の緞子の上着を着、髪は鬘を作って両鬢に下げ、うすく口紅をさし、ダイヤ入りの耳環をちらと垂らし、ひすゐのついた水色の裙子をはいた。

 夕方になって東王から迎ひの車が来た。聖姫はそれに乗り、二名の侍女を連れ、護衛兵に前後を守られ、清涼山の麓をめぐって莫愁湖に向かった。
 莫愁湖に着くと、そこには東軍の接待役が続々と乗り込んでくる各王の妻女や娘達を迎へ、何かと忙しさうに世話をしてゐた。聖姫は目礼しながら、隅の卓子についた。

 「よくいらしゃいました」
 聞き覚えのある太い声が近く耳に入って、顔をあげてみると、それは東王である。聖姫は軽く会釈した。
 「先日はお邪魔いたしまして」 やっとそれだけいった。
 「いや、何の風情もありませんで。却ってご迷惑でした。けふは又、遠手のところをよくいらっしゃいましたね。どうぞごゆっくりして行ってください。何ですか、お嬢様は莫愁湖の月は初めてですか」

 「何処にも出ませんものですから」
 「さうですか。そりゃいい按梅でした。わしの方ではご招待の仕甲斐があるといふものですよ。幸ひ天気もいいやうですし、もうそろそろ月も出るでせう。まあ一ト休みしてくださいまし」

 これでいくらか気が樂になってそれとなく見廻すと、顔見知りの婦人が多い。一々目礼して茶など飲んでいると、きらびやかな服装をした人が続々入ってきては東王と挨拶を交わす。

 不図、表の方でポンポンと爆竹が鳴り出した。豆を煎るやうな音に交じって大きな紙炮が空中で炸裂する。暫くはその響きで話声もよく聞き取れなかった。さうかうしているうちに西の空に残った白い光が薄れ、闇が大空から地上に這い降り遠山の姿を包み、柳の林をも隠してとっぷりと暮れた。水明かりが時々白々と闇の中に跳ね返る。聖姫の心はさっきからその闇のやうに寂しがってゐる。

 用意が出来たので、一同はぞろぞろと晝舫に乗り移った。聖姫が立ち上がったところへ、「先日は失礼いたしました」
といって劉が飛び込んできた。聖姫の胸は急に暖かく流れ出した。劉は「どうぞ、こちらへ」と先に立って奥へ案内した。聖姫はその後に続いた。

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