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(11)雀戯 2


(四)

 「馮君」
 かう呼びかけた劉の顔には、もう微笑さへ浮かんで面上の暗影は消へ、はればれと輝いていた。何の策もない田舎者の馮の一徹な善良さと友情が劉の心を俄に明るくした。

 「勝っても惱みがあるといへば君たちには變に聞へるか知らんが、當人の僕としては變でも何でもないんだ。なぜかといへば、僕が勝てば對手が死なゝきゃならないだらう。僕の勝利は對手の死だ。僕の勝つ事は人を殺すといふことになるんだ」

 「だってそりゃ、あいつからの申し込みぢゃないか。向ふから賣ってきた喧嘩だ。返り討ちは自業自得だから何も心配してやるこたァ要らないぢゃないか」

 「さういへばそれまでだが、たかゞ雀 戯くらいで人の命を奪って平氣でゐられると思ふかい。僕の勝利は、對手にとっては死刑の宣告だ。自分も命が惜いやうに敵だって惜いに相違いない。その命をもぎとるかと思ふと、勝っても平氣ぢゃゐられない」

 「それがだ、實をいへばこれは元より北王の腹の中から出た事だ。君も知ってる通り、同じ王でも北王は東王の節制を受けてその指揮命令に従はねばならない身の上だ。同僚であった揚秀清が東王になったといふので、急にその命令通り動かねばならないのが北王たる韋晶輝にとっては癪の種だ」

「天國の實權を一人で掌握する東王の日に月に隆々たる勢力の蔭にくすぼって、自分の存在すら十分に認められないとあっては、同じように兵火の間を駆馳した北王たるものが、不平を抱くのも無理はなからう。さういふ政治的不遇から北王は常に東王に慊らず思ってゐるんだ」

 「それにもうひとつの不和の原因は性格の相違だ。東王は磊落寛容で酒色に戯れ、萬人を愛するといふ陽氣な風格の人だが、北王は温厚謹厳で交友の少ない寂しさを僅かに讀書に消すという陰氣な性質な方だ」

「この氷炭相容れざる性格が、二人の感情をすっかり悪くしてしまったのだ。あれやこれで北王が十分癪に障ってるところへ、東軍の麻雀の勝ち祝ひだ。夜を徹して騒ぐのはまだしも、街に出て人の妻君といはず娘といはず、とっ捕まえて横暴を働くのが北王には大變な憤懣だ」

 「今度の申し込みは、かさなる多年のこれらの鬱憤をはらすためだ。僕の命を取って東王にほへづらかゝしてやらうといふ魂膽だと、僕は讀んでいる。いはゞ二人の意地づくの喧嘩だ。僕は東王のためにも、自分のためにも是非勝たねばならないんだが、一面からいへば、敵を殺すことが情において忍びないんだ。事實、僕はあの杜には何の恨みもないんだからね」

 「成程、さういふ譯か。聞いて見りゃ理窟のある話だ。しかしそんな風に取り越し苦労した日にゃ、自分の身が持てなくなるよ。かうした定命だと思って、一ト思ひにやっつけちまうんだね」

 「それにもう一つ不可解な事がある。僕はさっき王様に呼ばれてその勝負をやれと命ぜられたんだが、その時王様は『お前が勝ったら北王の娘をやる』と仰有ったよ」
 「ほう、あの聖姫さんをかい」
 「僕が勝って、どうして敵將の娘さんを僕にくれるのか、そのわけが分からない」
 「何だっていゝぢゃないか。呉れさへすれば結構だ。お前はまったく仕合わせ者だよ。あんな美人を占領するなんて・・・。要らなきゃ俺の方へ廻してくれてもいゝぜ」

 「君も僕を仕合わせ者と思ってるんだね」
 「さうさ、あんな美人が並大抵のことで手に入るもんかい。それがお前、麻雀位で自分のものになりゃ、ありがたいもんだ。奢れよ」
 「敵の娘が僕の手に落ちるといふ筋道が解せないんだよ」

 「智恵の多い王様の事だ。そこには何かからくりがあるだらうから、一切王様にお任せしておきゃいゝんだ」
 「よしんばだ、聖姫さんを僕にくれったってだ、その女が朝も晩もぷりぷりしてゐたら、僕はいったいどうなるんだ」
 「どうなるもんか、お前の嬶ァだ。いや奥様だ」

 「ものも言はないで、笑顔も見せないで、怒ってばかしゐたら」
 「そんなことがあるもんか、お前の嬶ァだもの」
 「おい、かたきの娘だぜ」
 「かたきの娘だって、嬶ァは嬶 ァだ」
 「僕を嫌ったらどうする」
 「馬鹿いふもんぢゃない。嬶ァが亭主を嫌ってどうする」
 「・・・・・」

 「お前は取り越し苦労が多過ぎるよ。何でもないことを、無理にひがんで考へるからだめだ。勝って聖姫さんを貰へばそれでおしまひだ。寝ないで考へるほうがよっぽど苦しいよ。それより早く寝ろ。寝が足りないと負けるぞ」
 「・・・うむ、僕はやっぱり仕合わせ者かな」
 「さうとも、だから早く寝て、あしたしっかりやるんだ。いゝか」
(五)

 それと同じ刻限に、杜安仁と聖姫は北軍の聖姫の室で相對してゐた。
 「勝負は時の運といひますが、私には必勝の確信があるんです。萬が一、目が出ないで不利な形勢に陥りました時は奥の手を出すまでゞす・・・・。これはこゝぎりの話ですが、お嬢さんは奥の手ってご存じですか」
 「存じません」

 「さうですか、いやさうでしょう。その奥の手といふやつが中々大変なんで、そこらの若僧共にできる術ではありません。この術にかゝっちゃ、いかな劉浩も青菜に塩で」

 「その奥の手と申しますのは・・・・本當に内證にしておいて下さらないと困りますよ・・・・。敗を転じて勝ちとする最後の手段で、その一例を申さうなら・・・・。秘密ですよ・・・・。まず第一、牌を並べる時、中・發・白・自家風のうち、どれか二枚をそっと自分の前の列の左端に並べておくんです。よろしいか。そして順々に取る時、自分は右の手で井圏から二枚を取ると同時に左の手でその左端の二枚を萬引して合わせて四つとするんです。一口にかういってしまへば何でもないやうですが、さてこれを人から見つからないように手際よくやるには、半年や一年の修業で出来るものではないのです。そこへゆくと、不肖、この杜安仁は天才の誉れを有するものでありまして、かういふ風にトントンとやる手練の早業は、實際お嬢様にお目にかけたいくらゐです。ハッといふまもない、電光石火の放れ業です」

 男らしくもないごまかしの上手なことをベラベラ饒舌るのが、聖姫には自分の方が却って恥ずかしくなった。
 「で私に御用と仰有いますのは?」
 「そこでゞす。それが第一の方法で、それでもいけない時は更に第二の法で攻めるんですが、これに至りますと、また一段とむつかしいのです」
 「どうぞ、あの御用の方を仰有ってくださいませ」

 「はい、まア、さういった具合で、そんな奥の手がざっと十ばかりございますから、あの手でいかなきゃこの手、この手でいかなきゃあの手と、もうちゃんと献立ができているんですから。劉の奴、どんなにじたばたしたって袋の中の鼠です。憫然ではありますがこれも運命。おかげ様であなたのお父様、私達には王様の御無念もこれで晴れようと思ふんです」

 「あの、妾に御用事と仰有るのは、どんな事なんですの」
 「だからです。私が勝つのは既定の事實といってもよろしいんです。勝ちますれば、その、何です、あなたは・・・・。いや、これからさき、二人はどうすれば一番樂しい生活を送れるか、二人の家庭生活の形式及び内容を、今から考へておく必要があると思ひますので、はい」
(六)

 「あなたは何を仰有ってゐらしゃいますの」
 「いや、實はその。勿體ないいひ分ですが、二人はもう夫婦も同然なので。夫は明日、命がけの競技に出征する、その前夜、妻はこれを送るためにできるだけの愛情をそゝいでその奮闘を祈ると、まァかういったやうな譯でー。もう二人の間には、決して憚ることはないんですから」

 「何ですって?」
 「さういつまでも御羞かしがりなさるもんぢゃありません。御父上から御聞きになって、ちゃんと御存知の筈ぢゃありませんか。『今度の麻雀に勝ったら、わしの娘をお前にやる。その代わり、負けたら命がないぞ』って」
 「父があなたとそんなことをお約束しましたか」

 「『お約束しましたか』は可哀相ですよ。どうせ私達は命でも放り出してかゝらねば叶わぬ戀です。一かばちか、命を賭けて決戰するのも、つまりは戀のためです。もし負けたら、このまゝお目にかゝれません。今夜はその最後のお別れです。御嬢さん、或ひはこれが一生のお別れとなるかも知れません。たゞだ一言、夫婦の、いや妻の情をもってあなたに送って頂かないと私は死んでも死に切れません。尤も勝つことは大丈夫ですがね」

 聖姫はこの男からもう何も聞きたくはなかった。顔を見るのもいやだった。かうして向かひ合っているだけでも苦しくなった。
 「お父上のためには復讐、そして私達のためには縁結びの戰ひです。勇ましい門出です。千萬人の應援より、たった一人のあなたの微笑がどんなに私を力強くすることでせう。お嬢さん、犠牲になる私、そして二人の為に命がけの勝負をする私を憐れんで下さい」

 一足づゝ近寄ってくる杜の目は執拗にいやらしく光り、手先が心持ちふるへている。鳥刺しに睨まれた小雀は、まだ生へ揃わない初毛を逆立ててわなわなと慄えた。
 「嫌ッ、嫌です。早く歸って下さい」
 裂帛の聲が慌しく響いた。聖姫は桃色の柔かい大きな外套を胸で抑へ、美しい眉間に皺を寄せて、せはしく息をしている。恐怖に昂奮した姿がすごいほど美しい。
「お嫌ですか。お嫌でも競技に勝てば否應なしですよ」

 杜は冷然といひ放った。
 「何でもいゝから出て行って下さい。早く歸って下さい」
 「私はあなたのため、命を捨てに行く身です」
 「それはあなたの勝手です。私の知ったことではありません。早くお歸りなさい」

 「歸れと仰有っれば歸ります。あなたをどうしようといふんぢゃありませんから、そう昂奮なさらなくてもいゝでせう。どうも聞き分けのないお嬢さんだ。少しは人の心持ちも察してみるがいゝ。誰だって死にたくかアないや。命がけの勝負に行くのはよくよくのことだ。ではお嬢さん、歸ります。どうも夜中に上がりましてお邪魔致しました」

 杜はわざとていねいに頭を下げ戸口を出ようとしたが、振り返って、
 「運悪く負けたら、これがお別れです。ではごきげんよう。だがね、勝ったら否應はいはせませんから覚へていらっしゃい」といって、闇の中に姿を消した。

 聖姫はがっかりして悲しくなって床の上に突っ伏してしまった。生まれて初めて受けた絶大の侮辱である。くやしさに涙がとめどなく流れた。

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