1.所在地 2.宗派 3.草創・開基 4.その後の変遷 5.特記事項
6.現在の境内 7.南朝 御在所 魔尼院 8.北朝 御在所 観蔵院 9.古寺巡訪MENU
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創建は鎌倉時代。後村上天皇が正平9年(1354)-同14年(1359)まで正殿として執務した。
多宝塔
↑光厳天皇 北朝の初代天皇である。1352年2月、足利氏の内紛によって勢力を盛り返した南朝軍の京都奪回の時に、光明・崇光両上皇とともに拉致され、この天野山金剛寺で南朝方の軟禁下に置かれた。1357年2月に、帰京されたが禅宗に深く帰依され、世俗を断って、常照皇寺(京都府京都市右京区京北井戸町)で禅僧とし精進され、1364年7月、同地で崩御された。そして遺命に依って遺髪が当寺院に送られ、この陵が建立された。 ←多宝塔 創建年代は不詳。しかし鎌倉幕府が開かれる前年の建久2年(1191)に修理を計画した記録が残り、この頃には既に建てられていたと考えられている。 慶長10年(1605)に豊臣秀頼の命により、大規模な修理が行われている。(重要文化財)
足利氏の内紛よって勢力を盛り返した南朝の後村上天皇は、1354年10月、当寺院子院魔尼院を御在所とされ来山された。以降、この魔尼院は、長慶・後亀山天皇と続く、約30年の間、南朝方の行宮となった。