QLOOKアクセス解析

       交 差 点

                 


【 Petshop 3 】



「お待たせいたしました。どうぞ、こちらです」

 約束の三日後、ペットショップ『伯爵D』を訪れた殺生丸達は、客当りの良さそうな笑顔を浮かべた伯爵に迎えられた。にこやかな笑顔の伯爵を見て、ほっとりんが小さな胸をなでおろす。その傍らで警戒心も露わな殺生丸の発する気に、邪見ばかりではなく店の動物達も震え上がっている。

「……今日はペット屋らしく見えるな」
「はい。お嬢様方もご一緒ならば大丈夫かと存じまして、うちの子たちも店に出していたのですが……。ああ、でもやはり大事は取っていたほうが良かったかもしれません」
「…………」
「慣れとは恐ろしいものでございますね。決して影響が無い訳ではありませんでしょうに」
「何が言いたい」

 奥歯に物が挟まったような言葉に、苛立たしいものを殺生丸は感じた。

「それも承知の上での話であれば、私如きが口を差し挟むことではありませんね。さぁ、では奥へ」

 突き刺すような冷たい視線と妖艶な笑みを口元に浮かべ伯爵は奥へ続く扉を指し示し、殺生丸達の目の前で扉を開き先に立って長い廊下を案内する。ペットショップの扉の奥には、この伯爵に選ばれた客だけが通される秘密の部屋がある。長い廊下と幾つもの階段を上り下りし、不意に現れるエキセントリックな部屋を通り過ぎる。
 部屋のそれぞれには趣の異なるモノたちが、興味深げに伯爵のお客を眺めている。とても商業ビルの一フロアとは思えないほどの空間の広がり。りんや邪見を見て、そこの住人がクスクス笑う声が聞こえる。時代がかった豪華な衣装を纏った美女がいれば、肌も露わな美少年もいる。あるいは愛くるしい幼子がじゃれあっているような部屋や精悍な顔つき体格の青年ばかりの部屋も。

「ねぇ、邪見様。ここにいる人たちもお店の人なのかしら?」
「そんな訳はなかろう! どーみても怪しげな奴らばかりじゃないかっ!! これは、もしかして……」

 邪見の頭に浮かぶのは、繁華街で流れる黒い噂。
 あの後、邪見も邪見なりにこの店の事を調べてみたのだ。すると好意的な反応と同じくらい出てきたのが、裏の稼業での悪行三昧な噂。人身売買や麻薬の売人説やいかがわしい風俗営業などなど……。

( やばい、やばい、やばすぎますぞ! りんはまだ子どもじゃが、最近の風潮では十分その手の価値はあるらしい。飛び切りの美少女と言う訳ではないが、殺生丸様が執着されるほどだからのぅ。ましてや殺生丸様と来た日には、そこいらの美女が束になっても敵わんわ。やはり、この主人は……! )

 危ない予想に、邪見の挙動が不審になる。きょろきょろと落ち着かぬ気に先を行く伯爵の後姿を見、自分達の後ろを歩く殺生丸を振り返る。りんの歩みを止めようと、りんの袖口を引く。

「どうしたの? 邪見様」
「どうしたも、こうしたもお前、この状況をおかしいと思わんのか?」
「えっ? 確かに変ってるなぁとは思うけど、でも恐い感じや悪い感じはしないよ?」
「お前はまだ子どもだからっ! 絶対これはヤバイぞ!!」

 伯爵は背後の小声での会話を耳に挟みつつ、仏像の如きアルカイックスマイルを浮かべている。

「大丈夫だよ。伯爵は悪い人じゃないし、殺生丸様も一緒なんだよ?」
「じゃが! この状況は普通ではあるまいっっ!!」
「うん。普通じゃない事が起こるから、阿吽にも逢えそうな気がするんだけどな。りんは」

 伯爵はこの小さな二人組みの会話に、思わず声を出して笑いそうになる。そして、ああなるほどこんな二人なら、いつまでも手元に置きたいと思うかもしれないと。ただの普通の人間の少女と思っていたが、何が本当かを見抜く眼力の確かさと伸びやかな心の在り様が伯爵には好ましかった。

( ……そう言えば、このお嬢様はあの言葉を無くしていた少年を思い出させますね。ヒトと動物との違いは、『嘘』を口にするかしないかの違いかもしれません )

 遠い目で、あの抜けるような青い空を頂く繁雑で活気あふれる街の事を思い出す。あの少年も今では立派な大人になっているだろう。

「殺生丸様っっ!!」

 りんに話していては埒が空かないと、最後の切り札、己が主の名を口にした。

「……邪見、お前の眼は節穴か」

 返ってきた言葉はその一言。邪見達の目に何が映ったかは察している。殺生丸の金色の獣眼には左に人型、右に獣や鳥の姿のそれらのモノが映っていた。

「さすが慧眼でいらっしゃる。さぁ、着きました。どうぞ、皆様方の目でお確かめ下さい」

 長らく歩いた後、うやうやしくそう口上を述べ伯爵はその扉を開いた。


  * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


 その部屋は壁の四方に扉があり、扉を挟んで大きな柱が立っている部屋だった。広さはそんなにはなく、部屋の中央に古めかしい細工の椅子が一脚置かれていた。その側に立つ二人の人影。年恰好は殺生丸よりも幾分か若く、控え目な感じの誠実そうな良く似た顔立ちの男女だった。初めて見る人物なのに、りんは懐かしさに胸が一杯になる。瞳に涙が溢れ、唇は嬉しそうな笑みを浮かべる。すっと、殺生丸が一歩前に出た。 
 
「阿吽……」

 その呼びかけに、邪見は目を白黒させた。

「もう一度お側に仕えさせてください、殺生丸様」

 呼びかけに対し二人は声を合わせ、深々と殺生丸に頭を下げる。殺生丸の顔に複雑な色が一瞬浮かんでは消えた。

「お前を求めたのは、りんだ。りんに聞いてみろ」
「りん、今度はりんが私のご主人様になってくれますか?」

 顔を上げ微笑むような懐かしむような表情を浮かべ、その二人はりんに願う。その瞳はいつもりんの側にあって、殺生丸が居ないとその身を盾にしても守ってくれたあの優しい竜の眸。ああ、やっぱりとりんは思う。阿吽なんだ、この二人は阿吽なんだと。

「りん、難しい事はよく分からないから…。だから、昔みたいにまた皆と一緒に暮らせればそれだけでいいんだ」
「はぁ、りん。お前にはこの二人が阿吽に見えるのか?」

 まだ状況がよく飲み込めていない邪見が、目を皿のようにしてこの二人の男女を見つめている。

「やっぱり節穴か」
「まぁまぁ、そう仰らずに。この店ではよくある事です。どうですか? 店先に戻ってお茶でも。お嬢様方はまだ動きそうにありませんから」
「……あの迷路をあれ達だけで?」
「大丈夫です。阿吽がおります」

 今の阿吽を受け入れたりんと、疑わしげな視線でジロジロ見ている邪見の間に挟まり、困ったような表情を浮かべている阿吽。もう一度、殺生丸は先程よりは柔らかな表情を浮かべ、先に立ってその迷路を戻っていった。殺生丸の背後から、伯爵のひそやかな足音が続く。後ろを振り返りもせず殺生丸が伯爵に言葉をかけた。

「……よく見つけてきたものだな」
「はい、それが私の生業ですから」

 ふっと、鼻であざ笑いながら次の言葉を投げかける。

「これだけの事をやりながら、それでも人間の顔をして街に棲むのか」
「人間の顔……。本当にヒトでないものなら、もっと楽かもしれないといつも思います」
「………………」
「いろんな命に溢れるこの惑星(ほし)が愛しいだけです。どんなに嫌おうと憎もうと『人間』もこの惑星に棲むモノだという事なのでしょうか。ええ、人間は嫌いです。でも、守りたいモノもあるのです」
「人間嫌い、か。お前なら、必要であれば顔色一つ変えず邪魔者を血祭りに上げそうだな」
「いえいえ殺生丸様ほどではありません。交わした約束を守って頂けない場合の不幸な事故の責任は、負いかねると言うだけです」

 淡々とそんな会話を交わしながら、迷路の入り口の扉から二人は出て行った。出て行った先には、饕餮のテッちゃんを始め、ポンちゃんや他の店の子達が心配そうに、あるいは警戒心丸出しで主人の帰りを待っていた。

「……その目付きの悪い奴はもっと厳しく躾けた方が良い」
「あの子も貴方同様、幻獣妖獣の種ですから同属嫌悪な感もあるのでしょう。ちょっと乱暴で血の気の多い子ですが、悪い子ではないですよ」
「昔から乱暴で血の気の多いものとは合わぬ」

 殺生丸の高飛車な態度に、さらに低く喉声で唸る饕餮。

「テッちゃん、殺生丸様はお客様です。失礼はなりません」

 珍しく厳しく言いつけられ、テッちゃんは少しむくれ気味。そんなテッちゃんの眼に、部屋の隅のカーテンの陰から天ちゃんの子狐の手がおいでおいでと誘っている。居心地の悪いこの場から、テッちゃんは天ちゃんの部屋に避難する事にした。
 手馴れた、そして流れるような優雅な仕草でお茶の支度をする伯爵。殺生丸の白銀の毛並みを讃えてか、差し出された茶器は一切の装飾を排除した、その器本来の材質の良さと技術の高さの結晶のような最高最上級のボーンチャイナ。滑らかな磁器肌、透明感のある白色、薄手硬質な繊細な造形。注ぐお茶も水色が美しい金色、雲南の「てんこうおう」。
 薀蓄語りをする事無く、自分に対しての「もてなし」の心遣いを十分に感じた殺生丸は珍しく、その茶器を手にした。香りの良さを利き、水色の色を楽しむ同じ金色の眸。口に含めば爽やかな口当たりと、癖のない柔らかさ。気に入ったらしい様子に満足し、伯爵は自分の分のお茶を器に注いだ。時間差で煎れることで、このお茶はまた異なる風味を醸し出す。水色は金色から鮮やかな紅色に変わり、口当たりもとろりと甘みも増す。

 穏やかさと奇妙な緊張感が縄のようなに糾われた空間。茶器を両手に抱えたまま、殺生丸を凝視する伯爵の金と薄墨の眸に気付く。

「……お前のその目、まるで半妖のようだな。金と黒い眸を持っていたあいつのようだ」
「半妖…? ああ、妖とヒトとの異種間での愛の結晶のことですね」

 甘みを増した雲南紅茶をこくりと一口飲み下す。

「だから、お前は気に入らぬ」
「それは残念です。私はこんなにも殺生丸様に魅かれておりますのに。本当、出来る事でしたらすぐにでも手に入れたいと熱く渇望しています」
「……モノ扱いするな。私は私のやりたいようにやるだけだ。お前だからと、私と邪魔をすればこの爪にかけるまで」

 茶器をテーブルに置き、軽く溜息をつく。

「ええ、判っておりますよ。貴方を必要としているあの方々がいらっしゃる以上、私の出番はありません。それに……」

 と、言葉を途切らせる。人らしくない妖美な瞳に薄く影が浮かぶ。

「長い孤独の果てに出会った大切な方々なのでしょう? 羨ましいですね、貴方を置いて逝ってしまったのに、その深い想い故に再びこうして集えるなんて……」
「お前は……」
「……私は、置いてゆかれるだけの身です。それを望むと望まないでも」

 そして、もう一口紅茶を。

「あの竜、阿吽は殺生丸様やお嬢様方と共にとても満ち足りた時をすごされたのでしょうね。もう一度、お側に付きたいと思うほどに。竜神の公主様よりお聞きした話です。あの種は自分の終焉を迎える時にのみ、繁殖行動を取る種だそうです。つまり、『もう一度生きたい!』と思う気持ちがないと、卵を産まない。悲惨な境遇や不慮の死など、『負』の要素が多いと自ら繁殖する事をやめてしまう種だとか」
「それが、なんだ」
「あの阿吽は、殺生丸様方と旅をしていた阿吽の、その子どもになるのです。親の記憶も思いもそっくり受け継いで」
「阿吽が……」

 そろそろ頃合かと、奥の扉へ視線を走らせる。

「貴方は阿吽やあのお嬢様方にとって絶対のご主人様なのですね。ですが ―――― 」

 くすりと、意味深な笑みを浮かべる。

「貴方にとっては、あのお嬢様こそが『特別な存在』。犬は人に懐くものだと、良く言ったものです。なにがそこまでの献身欲をかき立てさせるのか、興味深いところですね」

 その一言が殺生丸の悋気に触れたのか、獣眼に殺気が篭っていた。 


  * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


「本当にお前は、あの阿吽なのか?」

 その部屋に残されたりんと邪見と阿吽。疑わしさ満開で、邪見が下から上から『阿吽』だという二人組をジロジロ眺めている。現代の街中に連れ出しても違和感のない、現代風の二人組。

「ねぇ、阿吽。昔はそんな風に人の姿になる事はなかったよね? こんな風に話をする事も出来なかったし、どうして?」

 りんが戦国時代で留守番をさせられる時のお供は阿吽である事が多かった。あの頃、こんな風に話す事ができれば、殺生丸や邪見の帰りを待つ間の無聊さを随分と紛らわす事ができたのに。りんの問い掛けに、阿吽が困ったような表情を浮かべる。

「……多分、私がこのペットショップの商品として入ったからだと思います。この店の動物達は、伯爵に選ばれた人間の前では、その人間の『望んだ』姿で見えるものだそうです。だから、私の本当の姿は ――― 」

 二人の男女は顔を見合わせ、念じるように下ろした手を握り合った。ゆらっと空間がぶれたように動き、目の前の人影が崩れたと思った次の瞬間には、見慣れたあの双頭の飛竜姿の阿吽が立っていた。

「おおっっ!! 阿吽じゃ! 本当に阿吽じゃったのじゃな!!」

 一転して邪見の驚き喜びに満ちた声が響く。

「だから言ったのにね。阿吽だって」

 りんがにこにこしながら、阿吽の鬣を撫でる。阿吽は言葉の代わりにりんの頬にその鼻面を寄せた。

「阿吽?」

 ぶるるるると、唸る声の強弱大小で何をか伝えようとしている。

「……ああ、そうか。その姿になっちゃうと人の言葉が話せなくなるんだね」
「そりゃ、そうじゃろう。あの殺生丸様だとて本性である妖犬姿になられた時は、人語は話されなかったぞ」
「あれ? そうだったっけ? まぁ、滅多にそのお姿になられる事はなかったけどね」
「うんうん、一見あのお姿は凄いのじゃが、どうにも殺生丸様の戦術には不向きなようでのぅ。こう、どーにも人型の時よりも弱っちくなるというか、犬だから抜けて見えるとか ―――― 」

 そう邪見がうっかり昔の事を口にした瞬間、物凄い殺気が邪見の体に突き刺さり、まるで石の様にカチンコチンに固まった。

「邪見様? どうしたの、邪見様っ!?」

 びっくりしたのはりん。阿吽は何か思い至るところがあったのか、器用に固まった邪見の体を自分の背中に乗せ、迷宮の廊下を出口に向かって歩きだした。


 殺生丸の殺気の篭った視線は伯爵の脇を掠めて、その後ろの扉の奥へと突き刺さった。軽く冷や汗を流しながら伯爵が扉の奥を見守っていると、カツカツと蹄の音がして獣姿の阿吽が背にあの老執事を乗せて出てきた。

「阿吽……」

 あの日のままの姿で阿吽は、背中の邪見をゴロンと殺生丸の足元に転がした。

「……まるでメドゥーサの眼光に当ったかのようですね。どうしたのです? りんお嬢様」
「あのね、邪見様が昔話を少しね。弱っちくなるとか、犬だからなんだかとかで……」
「なるほど、耳もとてもよろしいのですね。それはそれは ――― 」
「うん、まぁ、いつもの事なんだけど」

 こっそりと、耳打ちするようにりんが伯爵の耳に囁く。その様子も気に入らないのか殺生丸は、足元の邪見をいつものように蹴り飛ばした。

「起きろ、邪見! 帰るぞ!!」

 その低く怒気の篭った声に、びくんっと邪見が飛び起きた。

「あっっ、も、申し訳ありません!! 殺生丸様! 決して悪口のつもりで言った訳ではっっ!!」
「邪見様、殺生丸様がもうお帰りになるよ。あたし達も阿吽を連れて帰ろう」

 阿吽の首筋に手を添えながら、りんはあの頃の調子でそう言った。前世は河童とカエルの合いの子のような小妖怪であった邪見だが、人間に転生してから早ん十年。りんや殺生丸よりも『人間の常識』と言うものが判っている。そう、このまま阿吽を人目に晒しては、マズイという事に。

「いや、りん。その、阿吽を連れて帰るのはちょっとどうかと ―――― 」

常識的に考えて、ここならば上手く隠してくれるのではないだろうかと邪見は思う。

「えっ、どうして? せっかくこうして逢えたのに!」
「この姿を世間に晒してみろ! ワシ等は良いとしても殺生丸様の正体がバレるきっかけになるやもしれん。それは拙かろう?」

 りんが抗議するのも当然で、だからと言ってここに阿吽を預からせ、りんを通わせるのは殺生丸が許さない。

「……大丈夫ですよ。りんお嬢様、執事様も。この姿も、あなた方が見たいと望んだ姿。妖力こそは今も変わりませんが、実体はこうですから」

 いつの間にか阿吽の姿は消え、伯爵の両手の中がなにやら光っていた。不思議そうにりんと邪見が覗き込むと、そこには頭が二つある体長二十センチくらいのトカゲがいた。

「えっ、これが阿吽?」
「な、なんでこんなに小っこいんじゃ!?」

 ここは何が起こるか判らない、摩訶不思議なペットショップ。何が起きても不思議じゃない。

「阿吽は先代が産んだ卵から孵化した後、ずっと私が迎えに行くまで眠っていたのですよ。いつか殺生丸様が迎えに来てくださる事を信じ、自分の時を止めて」
「時を止めて――?」
「はい。ですからまだ阿吽は幼体なのです。あの姿に育つまでまぁ軽く見積もっても二〜三百年はかかるでしょう。珍種のトカゲとしてお屋敷で飼うには十分な時間があると思いますよ」

 にっこり笑いながら店の入り口の扉を開く。嬉しそうにちびっ子阿吽を抱いて外に出てゆくりん、その後ろに邪見が続く。最後に殺生丸が店の外に出ようとした時、聞こえた伯爵の言葉。

「当店はアフターケアも万全で御座います。お買い上げ頂いたペットの成長後、持て余すのは良くある話。今生で想いを果たし、未練なくお二方が妖の世界に戻られるのならばそれも良し。尚も人間の世界に留まるために不具合が生じますのなら、どうぞ私を、この店の事を思い出してくださいませ」
「お前……」
「いつでも、いつまでもお待ちいたしております、殺生丸様」

 そしてまたあの笑みと視線。
 伯爵の、その言葉の意味は ―――― 


  * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


 どこかで来店中のお客の情報が入ったのか、慌てて太子が駆けつけてきた。上手く殺生丸にコネを付けようとの腹だろうが、帰り間際にかけられた伯爵の言葉にとても近づける雰囲気の殺生丸ではなかった。声をかけそびれ、見送ってしまった悔しさか、これまたいつものように伯爵に突っかかってくる。

「どうしたんだ!? 物凄く機嫌が悪かったじゃないか! ここの支配人として、お客に不適切な対応するようなテナントにはそれなりのペナルティーも考えるぞ!!」
「……多分、今のお客様はいつもがあの調子だと思いますよ? にっこり笑うようなお姿はとても想像出来ませんし」

 と、自分はわざとらしくに〜っこりと微笑んで見せる。

「うっ、く……。で、あいつには何を売り付けたんだ? お前のところのペットは時々とんでもないモノが混じっているからな」
「お嬢様のご希望で、少し変ったトカゲを一匹。ええ、とてもご満足いただけた様で、用意したこちらも嬉しゅうございます」
「ふ…ん、ならいいがな。と、そうだ! お前、この前俺に押し付けたあのカエル、あれ毒ガエルじゃないかっっ!!」
「はい、そうですよ。ですから、取り扱いにはご注意をと申し上げたはず。なに、エサさえ気をつければ大丈夫ですから」

 どうにも掴みどころがなく、胡散臭い。へらへらとあの微笑でかわされ続け、この新宿で新たな勢力を築こうとしている太子にとっては、妙に目の上のたんこぶの様な存在だ。

「ふむ、まぁ狛小路家の人間がお前の店の客になったのなら、またこのビルに足を運ぶこともあるな。その時にでもご機嫌伺いでもするか。あの位の年頃の娘なら綺麗な花か、ちょっと洒落たアクセサリーでもプレゼントでもして印象つけて」

 あくまでビジネスとして人との繋がりを見る。その危険性に、そっと伯爵は溜息をついた。

「なんだ、その溜息は」
「いえ、随分と命知らずな事をと思いまして」
「命知らず? そんなにあの娘のガードは硬いのか? そー言えばあの娘、狛小路家当主の歳の離れた妹かと思っていたが、まさか実の娘だとか?」

 それならそれで近付き方を考えねば、確かに危ない。
 そんな事を思っている太子を、伯爵は半分面白にそして半分呆れたような目付きで見ていた。そのくせ、その事実を述べた時、太子とここには居ない殺生丸の表情を思い浮かべると悪戯心のようなものが疼いて仕方がない。

「……あのお嬢様は将来、狛小路様の奥方になられるお嬢様ですよ」
「はぁぁぁ!? 奥方にって…、あの娘、まだ十二・三歳だろうっっ!! それって、あいつがロリコ…っっ」

 皆まで言わせず、慌てて太子の口を塞ぐ。

「この国では千年もの昔からある伝統的な恋愛パターンの一つでしょう。幼き時に見初めて手元に引き取り、自分の好みの女性に育て上げ、妻とする。現在でも相手の女性が十六歳を過ぎていて保護者と男女双方の同意があれば、犯罪にもなりません」
「いや、まぁ、それは確かにそうだが……」

 そういいつつも、絶対理解できないと太子は思う。成熟してこそ女の魅力だと思っている太子には、それ以前にその対象として年端もゆかない娘の成長を待つ酔狂さは、あまりにもクレージー。

「さぁさ、もうご用がないのでしたらとっとと引き上げてくださいまし! 強面の太子が店の前に陣取っていては営業妨害です!!」

 ほとんど蹴りだしそうな勢いで、太子を追い返す。営業妨害と言いはしたものの、今日はもう店は閉めるつもりでいた。あんな殺生丸のような大物が来店した後では、店の子達を休ませないと体が持たない。人型の時には自分自身で障壁を作り、妖気や毒気を封じ込めているようだが、気が昂ぶるとその障壁に綻びが生じる。そこから漏れ出る妖気の類が周りに少なからず良くはない影響を与えているのだ。

 店の表にClosedの札をかけ、ほっと息をつく。それから店内の子達の様子に視線を走らせた。

「大丈夫ですか、皆さん? 今日はもう店を閉めましたので、奥の部屋でゆっくり休んでくださいね。すぐ養老の水で育てたエサとルルドと同じ効能の飲み水を用意しますから」

 バタバタとその準備で忙しそうな伯爵に、声をかける一つの人影。

「大変そうじゃのぅ。何か手伝う事はないか?」

 見た目は二十歳前、秋の実りの稲穂を思わせる豊かな金色の皮衣を纏い、空の高さ思わせる青い眸が印象的。長い髪も太陽の光のような金色に輝いている。そんな青年の姿には、どこかやんちゃな子どもの面影が残っている。

「怖れおおう御座います。一位様のお手を煩わせては、天ちゃんにも申し訳ないですし」
「いやいや、あいつらを知らぬ訳ではなし。これも奇縁じゃ」

 ぴた、と伯爵の手が止まる。

「えっ? あの方々をご存知なので?」
「うむ。もうはるか昔の話じゃがな。それにしても、今生でもあやつらはつるんでおるのか。それは…、ちょっと羨ましいぞ」
「一位様……」

 もともと陽気な性格の一位の言葉に、らしくもない寂しげな響きを聞く。

「でも頑張って時を渡ってゆけば、あやつのようにまた巡り会えぬ訳でもないと証明されたからな。希望は、ある」
「一位様にも、お会いした方々がおられると」
「ああ、あやつと知り合う少し前に出会った仲間達にな」

 奥からバタバタとテッちゃんと天ちゃんが駈けてくる。

「伯爵〜、今 面白い話を聞いたぜ!」
「人間に歴史あり、妖もしかりだなぁ〜って」

 口々にそう言いながら。

「面白い話? 歴史って…、もしかして殺生丸様の事で?」
「伯爵も興味があるのか?」
「ええ、まぁ… あれほどのお方であれば、ですね」
「それじゃ一位様、いや七宝に話してもらったらいい。いいよな、七宝!」

 七宝と呼ばれた一位様が、くるりとトンボを切るとぱっと子狐の姿に変る。

「あ〜、やっぱりオラにはこの姿の方が楽でいい。なんじゃ、伯爵も聞きたいのか?」
「そうですね、もし一位様さえ良ければ……」
「オラは構わぬが」

 いつもは妖しくシニカルに笑う伯爵の表情が、この時ばかりはにまっと色んなモノを滲ませた笑顔になった。

「では! お疲れのお嬢様方にお休みいただいたら、すぐにお茶の用意をしましょう。お茶受けにそのお話、お伺いしてもよろしいですか?」
「ああ、あんな話やこんな話が山ほどあるからな。かなり長い話になるが、それは構わぬのか?」
「ええ、それはもう! これから長いお付き合いをさせていただく、大事なお客様の事ですから」
「話のネタには尽きぬぞ。あの時のあやつの豹変振りは、出会った頃を思えば天と地ほどの違いがあるし、何より自分が投げつけた言葉が後に自分の身に降りかかってきて、周りを呆気に取らせる事も数多じゃ」

 ワクワクが止まらない。
 自分のこの瞳で過去世を読んでも、それはその魂に刻まれた主観的な想いだけ。客観的な情報と照らし合わせてこそ、正確な人物像を掴めるというもの。

「さて、どこから話始めたものか。やはり、あの古の巫女が生み出した四魂の玉の話から話したほうがいいじゃろうな」


 その夜、歌舞伎町にある風変わりなペットショップの灯かりは、夜遅くまで消える事はなかった。



 交わる事のない二つの世界の似た者同士がほんの一瞬交わった
 これはそんなお話の一ページ ――――


【 完 】
2008.9.20
作品目次   TOP




誤字などの報告や拍手の代りにv 励みになります(^^♪

Powered by FormMailer.