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【 夜啼鶯 −ナイチンゲール 】



 まだ寒さの残る梅の枝に、小さな薄緑色の小鳥が一羽。
 小さくチャッチャッホケッ、ホケッキョ、ホーホケ、ケキョと囀っている。
 この山間の小さな町にも、ようやく春の暖かさが訪れようとしていた。梅の花はもう盛りが過ぎ、暖かな風に花びらがひらりひらりと舞うようになっていた。

「まだまだ下手糞だな。あんな鳴き声じゃ、彼女も捉まらんだろう」
「だから練習してるんだろう? ニャンコ先生」

 学校からの帰り道、そんな早春の長閑さを感じながら俺は俺の横を歩くニャンコ先生にそう言う。

「い〜や! 練習したからと、かならず上手くなるもんじゃないからな。お前みたいに彼女の出来ない寂し〜い春を迎えるかもしれん」
「なんでそこで俺が出てくる!?」
「おや? 夏目。お前、私の知らんところで彼女を作っていたのか?」

 ポンと俺の肩に飛び乗り好奇心旺盛な猫の眼で、ニヤニヤと性質の悪い笑いを浮かべて俺の顔面に迫ってくるニャンコ先生。

「あ、いや…。その、いないけど……」
「それみろ、夏目。お前、動物の世界ならば確実に一生独身だぞ。幸い人間の世界は、女の方が積極的な場合があるからどうにかなるかもしれんがな」
「だから、なぜ俺が!?」

 ニャンコ先生は俺に向けていた視線をふいっと外すと、遠くを見るような眼差しで淡々と言葉を吐き出した。

「……お前は、人に馴染むのが下手だからな。見てくれはそう悪くはないと思うが、いかんせん愛想がない。取っ付き難さが致命的だ」
「…………」

 それは自分でも自覚している。
 「ひとでないもの」が「あやかし」が見えるばかりに、「人」と「あやかし」の区別がつかなくて、見えない人達を気味悪がせ、「人」の世界での居場所をなくしていた俺。自分を守る為に「あやかし」にも「人」にも心を閉ざして。
 そんな俺をこの町は、当たり前に受け入れてくれた。帰りたい場所が出来て、俺の事を判ってくれる仲間が出来て、だから俺ももっと ――――

 ホーホケッキョ、ホーホケキョ。

 言い争う声が鶯を驚かしたのか、先程よりずっと澄んだ鳴き声を残して梅の枝から鶯が飛び立っていった。

「……急には変われないけど、でも変われると思っている」

 春の霞んだ空に浮かぶ小さな影を見送りながら、俺は口の中で呟いた。

「ああ、そうだ。変われないものなど、この世には無い。切っ掛けさえあれば、人だろうと妖だろうと変われるものだ」
「ニャンコ先生……」
「人間嫌いで冷血漢、稀代随一の実力を持っていた妖ですら、変わるときは変わった。確かにお前だって、随分柔らかくなったと私は思う。あぁ、変わりすぎるのもアレだがな」

 何か思い出したのか、ニャンコ先生の顔に浮かぶ悪笑み。

「そんな変わりすぎた、妖の間の語り草になっている昔話をしてやろう」

 ニャンコ先生の金の瞳がキラリと、西に傾き始めた春の陽を受けて光っていた。


* * * * * * * * * * * * * * * * * * *


 ホーホケケキョ、ケキョッ ホーホケッ ホーホケギョッギョ

 と、なんとも下手糞なウグイスの囀り。
 その後を追うように、

 〜邪見〜さま、邪見さま。邪見さまは、ど〜して みどりな〜の

 それに合わせてでもいるのかのように、りんの歌が続く。あまり人が立ち入らぬ森の奥、少し開けた木立の下で邪見が人頭杖で熾した焚き火を見ながら、りんは調子外れの歌を歌っている。調子外れなうえ、適当な出鱈目な唱いを繰り返すものだから、邪見はイライラが募ってくるのを覚えていた。

「ええぃ、やかましい!! 少しは静かにしておれ、りん! お休みになられている殺生丸様のご機嫌を損ねたら、ワシが責めを負うのじゃぞっっ!!」
「りんの声、うるさい? 殺生丸様のお邪魔になってる?」

 誰よりも敬愛している殺生丸の名を出され、りんの元気が見る見るしぼむのがその声の調子から伺える。

「ああ、煩い! まったく、なんだってお前のような人間の小娘が殺生丸様のお側におるのやら。ワシの苦労も考えて欲しいものじゃ」
「邪見様、りんの事嫌い?」

 いつもなら、へらっと受け流すりんが、この時に限って声を湿らせ瞳を潤ませた。
 その様子に、邪見は焦る。本当にりんの声が煩くて邪魔ならば、とっくに殺生丸の短い一喝が飛んでいるはず。そうでない以上、りんの声を『煩い』と思っているのは邪見だけと言う事になる。

「あっ、いや…! 嫌いではない、嫌いではないぞっっ!? ただ、ちょっと、な……」

 妖怪と人の子、こうして共にいる事の方こそ、稀有な事。
 ましてや覇道を極めようとすらした軍神の如き己が主の下では、何の力も無い人の子の身を守るのに、どれほどの苦労が付き纏う事か。何よりも、この人の子に何かあれば、主から酷い目に合わされるのはこの邪見。

「じゃ、りんの事、好き?」

 りんの無邪気な問い掛けに潜む罠、邪見は言葉に詰まる。
 「好き」と言ってりんの機嫌を直した方が得策か、そう答えたことによる、主の不興を買うかもしれない愚を怖れるか。
 たらーりたらーりと冷たい脂汗が、邪見の額から流れ落ちる。

( ……煩い )

 あまりの馬鹿馬鹿しさに、殺生丸は胸の中にそう一言吐き捨てる。りんの下手な歌は、早春の雛の鳴き初めのようなもの。上手くは無いがそれを気にするほど狭量でもない。

 いや、むしろ ――――

 何を思ったのか殺生丸は何も言わずに立ち上がると、二人をその場に残し夕暮れの迫る西の空に飛翔した。宵の明星と重なって、消えてゆくその姿にりんが小さく声を零す。

「殺生丸様……」

 その横では、はぁぁと大きな溜息をつく邪見。

「気難しいお方ゆえ、何を考えておられるかワシにはさっぱり判らぬわ。まぁご不興を買って蹴り飛ばされて星にならずにすんだことは、まだマシな方じゃろな」

 それにしてもと、邪見は思う。
 殺生丸の人間嫌いは、誰もが知る所。その理由も、実の父の死に関わりがあり、そのうえで妖怪の間でもっとも忌み嫌われる半妖と血が繋がっている事も拍車をかける。
 そんな殺生丸がどんな経緯からか知らねど、こんな人間の小娘を連れ歩くようになってしまうとは……。

 初めて邪見が見たりんは、狼に噛み殺され襤褸のようになった骸であった。
 痩せこけ薄汚い、こんな娘に何を思ったのか、殺生丸は癒しの天生牙を振るったのだ。殺生丸に癒しの天生牙を振るわせるほどのものを、りんが持っていたというのだろうか?

 連れ歩くというよりも勝手についてきた娘、りん。
 付いてくるのに任せた、殺生丸。

 そのまま時が過ぎ、気付けばりんの無邪気さや賑やかさ、逞しさを含んだ従順さを煩くも快いと感じている邪見がいた。いないと寂しいと思う程に。

 そして、決してそんな言葉などは絶対発しない主ではあるが、自分以上にそう思うともなしに思っているのだろうと、時々理由もなく理不尽に足蹴にされる度に邪見は思うのだった。

「邪見様……」

 りんは邪見に言われたように自分の出鱈目な戯れ歌が、殺生丸の機嫌を損ねたのかと心配気な瞳を邪見に向けた。

「心配するな。何も言われずにどこかに行かれるのもいつもの事。お前のせいなら、まずワシがお叱りを受けるでな」

 そう言って、りんを慰める。

「ありがとう、邪見様、殺生丸様の事が良く判っている邪見様がそう仰るなら大丈夫だね」
「ああ、何も言われぬのは、そこまでお気になされていないと言うことじゃからな」
「……そうだね。殺生丸様、何も仰ってくれないんだよね」

 ぽつりと、力なくそんな言葉がりんの口から零れ出る。

「りん?」
「あ、ううん! 良いんだ、りんのわがままだから」

 そこで邪見は、ふと気付いた。
 りんから殺生丸に、他愛の無い事を語りかけることは良くあっても、その反対の事は無い事に。無表情のまま、聞いているのか聞いていないのか解らぬ態度で、りんの話の途中でも席を立つのも当たり前、時には「煩い」の一言で口を封じてしまう。

( ……はて、良く考えてみれば、りんが殺生丸様の事を慕う理由が見つからぬ。天生牙で蘇えらせてもらった恩人との気持ちからだろうか? それにしても、こんなに素っ気無い態度では、そんな気持ちもいつかは擦り切れてしまうだろう )

 邪見は、殺生丸がりんを蘇らせたあの笑顔を知らない。
 身動きがとれずにいたあの時の、妖の本性を出して警戒していた殺生丸と言葉を声を失っていたりんの、ささやかな魂の触れ合いを。その触れあいで芽生えた感情を、幼いりんは素直な心で育み今に至り、殺生丸の方は同じように大きくなるそれを理解できずに、時折眉を顰め不快に思うこともすらあった。

( 殺生丸様のお気持ちは…、いやいやワシなどが考えたとて到底理解出きるお方ではないな。しかし、そうか。りんの気持ちが擦り切れてしまえば、自然とワシらから離れてゆこうというもの。やはり妖と人の子では、その方が良いのやもしれぬ )

 自分で考え納得したその答えに、邪見はなんとも言えない寂しいものを感じていた。

「まぁ、なんだ。今宵はもう、さっささと寝てしまえ」

 色々と考えてしまい、二人はどちらもしょげた気持ちで夜を迎えた。
 夜の森は、ざわめきだけが大きく響き、二人の不安の心を波立てる。


 * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


 話してやるから七辻屋の饅頭を買えとニャンコ先生にせがまれ、俺はまた財布の中身が軽くなった事に溜息をついた。俺の肩の上で、饅頭をもしゃもしゃと食べながら、ニャンコ先生が俺に聞かせる昔話。

「えっと、その妖は死んだ人間を生き返らせる事が出来るって事か?」
「ああ。そんな事が出来るのは、その妖しかおらぬ。しかも『慈悲』の心を持たねば使えぬ癒しの剣だ」
「慈悲深い妖怪って事…? それじゃ、その妖ってもともと優しい性格の奴だったんじゃ?」
「いやいや、優しいなんて言葉がこれほど似合わん奴もそうおるまい。自分の前にいたというだけで、陣を張っていた大将の首をねじ切り軍勢の兵士どもを皆焼き殺させるほどの冷酷さ。血を分けた異母弟さえ手にかけ、周りの者までその毒爪の餌食にしようとした奴だ」
「へぇ、妖といってもいろんな性格の奴がいるんだな。昔の妖怪って凶暴なんだ」

 俺はそう言ってから、自分の周りにいる心優しい友達を思い浮べた。危険な奴も確かにいる。いつでも俺を喰らおうとして襲ってくる奴もいるから。でも、今話を聞くような、そんなある意味「ヒト的」な思考はないように感じた。

「まぁ、奴の父親は妖にしては陽気な人懐っこい性格の奴で、妖にも人間にもそれなりに慕われていた。だがしかし、こいつはそんな親父を人間に殺された事もあって、大の人間嫌い。加えて、その妖力の程は大妖怪である二親の妖力をそのまま受け継いでいるから、ほんっとに性質が悪かった」
「でも、そんな妖がその女の子と出逢って、変わったって話なんだろう? 聞いてると、ただ放任しているだけのようだけど」

 もしゃもしゃと口の中で咀嚼していた饅頭をごくんと飲み込み、次の一個を頬張りながらニャンコ先生は話を続けた。

「いままで俺様で通してきた冷酷非情な妖だぞ? 下手に構えば人の子なんぞ簡単に死んでしまう。側に置いて、他の者に世話をさせるくらいには気を使っていたと言う事だ」
「……そんなものなのか。それなら生き返らせた後、人が住んでいる所に連れて行ってやればよかったんじゃ……」
「うむ、私もそう思う。だけど、その件(くだん)の妖はそうはしなかったということだな。その人の子が弱点と見抜かれ敵に何度も娘を攫われては、その度に命を賭して助けに行く。その頃から、影ではあやつも人間の女のせいで命を落とした親父と同じ愚か者だと嘲るものもいたそうだ」

 そうしてまたごくんと、饅頭を飲み込む。

「ニャンコ先生、次は?」
「あ、いや、いい。家についてから食べる」

 俺の肩の上で、ニャンコ先生が視線を遠くに泳がせていた。何かあるのかと俺も眸を凝らしてみたが、そこには春の霞んだような空しかない。

「……下手に関わると、厄介な事になると言う見本だな。妖と人の間には、超える事の出来ない壁がある」
「ニャンコ先生!?」

 いつものぐーたらな物言いではなく、なぜか胸に突き刺さるその言葉に、俺は思わず声を大きくした。

「いいか、夏目。私がお前の用心棒しているのは友人帳を狙う他の妖から守るため。言うなればお前はついでだ。その時が来たら、私とてお前を喰らって友人帳を手に入れるつもりなのだからな」
「ニャンコ先生……」
「油断していたら、どんな酷い目にあうか分からんぞ」

 にんやりとした金色の細い猫の眼で、俺の顔を見るニャンコ先生。その横に間延びした顔、ずんぐりむっくりボテ腹に短い手足の招き猫姿で言われても、言えば言うだけ最初の突き刺さる感じが薄くなる。

「ああ、用心するよ。でも俺は、ニャンコ先生の事は信頼してるから」
「お前はそうやってすぐ騙される。簡単に他人を信じるな」

 プンスカと『俺の為に』怒ってくれる、そんなニャンコ先生だから、俺は信じる。
 ふっと、その昔話の中の女の子の気持ちが少し分かったような気がした。きっと、その子もその妖の事を『信じて』いるのだろう。そしてその妖も、ニャンコ先生みたいなのかもしれない。


  * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


 ピーチチチ クルック ピピピピ チィ 

 夜明け前、昨夜沈んだ気持ちのまま寝入ったりんの耳に聞き慣れない、それでもとても美しい鳥の声が聞こえた。

「初めて聞く声だけど、どんな鳥だろう?」

 むくりと起き上がり、声の出所を探してみる。
 昨夜一緒に寝付いた筈の邪見の姿はない。
 夜明け前の月の光を受けて、ぼぅと光る影。
 その影は ――――

( 殺生丸様っっ!! )

 昨日、何も言わずに飛び立った殺生丸が、まるでずっとそこに居たかのように大きな古木の根方に座っていた。あの綺麗な声の出所も。殺生丸の肩の上、雀に良く似た、でもとても鳴き声の美しい小鳥が止まっている。殺生丸は戦国一の大妖怪。その妖気や只ならぬ気にそれなりに実力の有る妖怪ばかりではなく、森に棲む猛獣なども逃げてゆく。
 肩の上の小鳥は、それこそ殺生丸がその爪の先で軽く突くだけで死んでしまいそうにか弱い。それなのに、その小鳥は殺生丸を怖れる事無く肩に止まり、美しい声で囀り、時折小さな嘴で殺生丸の玲瓏な頬に触れる。

 美丈夫な気難しい大妖と、薄茶色の地味でちっぽけな小鳥と。

( あの鳥、りんみたいだ。小さくて地味で弱そうで。でも―――― )

 美しい歌声。
 
( あんな風にりんも歌えたら、殺生丸様のお側に行けるかな )

 美しいものには触れてみたい、それが自分の大好きなものなら、さらにそう思う。今までも、そう思いはしたが、とても恐れ多くてただただ後ろにつき従うだけだった。そんなりんの眼には、自分のような小鳥が殺生丸に触れているのが羨ましく映る。
 りんが見つめている事に気付いたのか、小鳥が殺生丸の肩から下り、りんの方へ飛んできた。寝起きのぼさぼさ頭を小鳥の巣とでも思ったのか、りんの頭にちょこんと止まる。そうして、またもピーチチチと鈴が転がるような綺麗な囀りを響かせた。

「えっ? あれ、あ?」

 りんがきょろっとした間に、殺生丸は姿を消した。
 残されたのは小鳥と人の雛。
 朝日が森の樹木の枝越しに差し込み始めた頃、森の外れから邪見がなにやら手に抱えて戻ってきた。

「どうしたんじゃ? りん」
「殺生丸様が……」
「殺生丸様? 殺生丸様がお戻りになっているのか?」

 きょろきょろと辺りを見回すその様子に、りんは殺生丸が邪見の居ない間に戻ってきて、そしてまたどこかに行ってしまったのだと理解した。

「どこにも居らぬではないか、りん。寝ぼけたのか?」
「えへへへ、そうみたい」

 面倒くさかったので、もうそういう事にする。
 それは、あの不思議と綺麗な情景を、自分ひとりのものにしたい気持ちがあったからだろう。

「なんじゃ、りん! その頭!! 鳥に巣と間違えられたのかっっ!!」

 りんの頭の上にいる小鳥を見て、邪見が笑う。

「笑わないでよ〜、邪見様!!」

 りんの頭の上の小鳥はよほど人慣れしているのか、りんが頭を動かしても大きな声で話しても驚く様子は無い。もっとも、あの殺生丸の肩に止まっていたような鳥だ。見かけによらずっと肝が太いのだろう。

「おや? その鳥は……」
「ご存知なの? 邪見様」
「ああ、確かそれは夜鳴鶯。鳥の鳴かぬ夜半や夜明け前に美しい声で鳴く鳥じゃ。しかし珍しいのぅ、この国にはおらぬはず」
「……いない、鳥?」
「うむ。本来は西域の果ての岩山と砂漠の国よりさらに西に棲むと聞く。そんな鳥が、どうしてここにおるんじゃろう?」

 りんの頭に浮かんだのは、この鳥を殺生丸が連れてきたのではないかという想像。
 あの光景は、そう思わせるのに十分だった。

 ピーチチチ クルック ピピピピ チィ ――――

 りんの頭の上で、綺麗な囀りを響かせる。
 すると、少し離れた藪の中から、

 ホーホーホケキョ ホケキョ ホーホーホー ケキョ

 と、昨日と比べ物にならないほど上手に歌い返す鶯が。

 ピーチチ ピー クルッククルック ピーチチ ――――
 ホケキョ  ホケキョ ホーホケキョ ――――

「ほほぅ。これは良い。上手いお手本が来たので、下手糞だった鶯も上手に囀るようになったわい。なかなか面白いものじゃなぁ、りん」

 頭の上で囀られるのは、りんにとってはちょっと……。

「あちらで朝メシの支度ができとる。お前も早く来い」

 そう言うと、邪見はさっさと森の外れへと歩いて行った。

( もしかしてこの小鳥、りんに歌の練習をさせようと思って殺生丸様が……? )

 りんの頭の上の夜鳴鶯は逃げようとはしない。美しい声で囀るだけ。その声を真似して、りんも小さく声を出してみる。綺麗な声で歌えるようになったなら、殺生丸にも聞いてもらえるかもしれないと思いながら。

 
 それから幾年かの後。
 りんは殺生丸の腕の中で、夜毎艶のある声を響かせる事となる。 


  * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


 夕食を済ませ、風呂にも入り俺が自分の部屋に戻ると、夕食を人の二倍は食べたニャンコ先生が残っていた饅頭をまた食べていた。

「先生、それ以上メタボってしまったら流石にヤバイぞ」
「ふん、このくらいの食べ物がなんだ。本来の姿からすれば微々たるもんじゃないか」

 確かに『斑』の姿であれば、あのくらいの食糧じゃ足りないだろうとは思う。思うが、今は招き猫姿のニャンコ先生。確実にブタっている。

「あ、そう言えばさっきの話の続きだけど」
「うん? なんだ」
「つまり、人間嫌いな妖がある時人間の女の子と出遭って、最後には自分のお嫁さんにしてしまった、って話なんだろ? 半妖が忌み嫌われるって話だから、妖と人間が結婚する事も無い話じゃない訳で、それがどうしてそんなに語り草になるんだ?」

 ニャンコ先生は抱え込んでいた饅頭の包みをずいっと自分の脇に避け、その横に延びた凄んでも和んでしまう大きな顔を俺に近付け、バンバンと畳を叩きながら力説しはじめた。

「夏目、お前は私の話をちゃんと聞いていなかったのかっ!?」
「いや、聞いていたけど……」
「それじゃ人間なんか虫けら同然で、引き裂こうが焼き殺そうが切り捨てようがなんとも思わなかった戦国最強の妖が、たった一人の幼女に骨抜きにされてしまった訳なんだぞ!?」
「えっ? その女の子ってそんなに幼かったのか……。う〜ん、昔の事だから源氏物語のような場合もあるかもしれないけど…、ちょっと引くかも」
「じゃろ? その幼女を助ける為に、妖の身では浄化されかねない聖域に単身で乗り込んでみたり、誰よりも強さを欲し苦労を乗り越えて手に入れたとんでもない力さえ、その幼女の為に投げ捨ててみたり、まったく妖の風上にも置けぬ奴だ」
「その話は聞いてないぞ、先生。……その妖って、そーゆー特殊嗜好の持ち主だった訳か?」

 大妖と幼女の組み合わせで一瞬アレかと思ったが、むしろその女の子がとても大事だからこその行動のようにも思える。自分を捨てて、その子の為に。

「いや、そんな事は無い。私同様、高貴な妖の部類で強く美丈夫でもあったがために、老若男女問わず、言い寄る輩は多かったらしい。それを時には摘む事もあったらしいが、大抵は機嫌を損ねて下手をすると殺される事になるような有様。およそ『情』と言うものを知らぬ妖だった」
「そうか、その妖にとってはその女の子との出会いは、自分を変えるほどの大きな出会いだったんだ」
「らしいな。その娘との出会いで、亡き父の形見の剣を使える様になった。これは死んだものを蘇らせる事の出来る力を持つ。その後、本当にその剣を持つに相応しい『情』を知った時、その妖の本来の力が覚醒し、雷を具現化した剣を持つ者となった」
「へぇ、それは凄いな」

 俺はこの辺りから、昔話に有りがちな誇張された物語の一編を聞いている気分で、ニャンコ先生の話を聞いていた。

「この世のモノではないモノを切り捨てる事も出来る蘇りの剣が、蘇りの力を使えるのは一人に一回。雷の剣は、切り捨てたものが全て爆裂消滅するまでその破壊の力が持続する。そんな二つの力を手にしたこの妖は、紛れもなく戦国一の大妖怪」

 ゲームの事は良く知らない俺だけど、こういうキャラはチートキャラと言うんじゃなかったかとボンヤリ思う。

「敵を叩き伏せ、危険が去った後はその娘を人間の村に預け、自分は着物や何やらもって通うダレっぷり。まったく大妖怪でありながら、情けなさすぎて語り草にもなろうというもの」

 そう言ってニャンコ先生は、わざとらしい大げさな溜息をついて首を横にふるふると振る。でも、人間の女の子を守る大妖怪って、まるで ――――

「……その妖の事、先生詳しいんだな。もしかして、先生の身内?」
「馬鹿を言うな。人間の小娘に血迷った挙句、その娘と共に何処ともなく消えていったようなモノが私の身内である訳がなかろう」
「ふ〜ん、そうかな? なんだか、先生に似ているような気もするんだけど」
「私は、そんなに愚かではない。人間に入れ込み過ぎなどせぬからな」
「愚か?」

 俺は先生の言葉に引っかかりを感じた。

「ああ、愚かだ。いくらその娘を大事に守った所で、共に在れるのは妖にとってはほんの一刹那。入れ込み過ぎては、それからの時が辛くなる」
「ニャンコ先生……」

 そう言ったニャンコ先生の眸には、俺じゃない誰かが映っているような気がした。

 ピーチチチ クルック ピピピピ チィ ――――

 不意に俺の部屋の窓の外から、小鳥の鳴き声が聞こえた。
 夜に鳴く、小鳥の声。

「この声 ―――― 」
「夜鳴鶯だな」
「どこかで飼っていたのが逃げ出したのかな?」
「かもしれんな。今は帰化種が在来種を駆逐する勢いで増えているらしい。雑婚で混血も増える」

 ピーチチチ クルック ピピピピ チィ ――――

 まだ見ぬ相手を夜に想う、夜鳴鶯の歌声。

「なぁ、夏目。お前は自分の持っている妖力がどこから来たか、考えた事があるか?」
「俺の妖力? それはレイコさん譲りの……」
「では、そのレイコはどこからその力を受け継いだのだろうな」
「ニャンコ先生?」

 ニャンコ先生の、謎かけのような言葉。

「……妖と人間の間に生まれた半妖の多くは、およそ人間とはかけ離れた姿になる。だが、ごく稀に、人間に似た姿を常態とする力の強い妖と人間の間に生まれた半妖は、強い妖力を受け継いだまま人間に近い姿になる」
「………………………」
「半妖ゆえに忌み嫌われる事の方が多いが、妖を受け入れる人間がいるように、そんな半妖を受け入れる人間も少なからずいる」

 雑婚で混血も増える ――――

 俺はさっきのニャンコ先生の言葉を、口の中で繰り返した。

「半妖の眸は、人と違い獣のような金色の眸。夏目、お前の眸も金の獣眼だな」

 俺を下から見上げるニャンコ先生の金の眸が妖しく光る。

「まさか、俺……」
「ここに来るまでのお前は、まるでその昔話の半妖のようだ。人の世界にも妖の世界にも居場所の無い、忌み嫌われる存在」

 俺はぐっと拳を握り締める。今でもそう言われれば、辛いのは変わらない。

「……お前は正直だな、夏目。こんな力、無かった方が良かったと言う顔をしている」

 ……良かった言えば、それは今までの、いや『今』の俺を否定する事。面倒な事も、命を狙われる事もあるけど、でもこの力が有るお陰で出逢えたモノもある。

「俺がその二人の子孫かも? と」
「お前がそうかは私には確かめようがないが、それでもどこかでそんな二人の血を継いでいるかもな」
「先生は、その妖の事をどう思う?」
「なぜ、そんな事を聞く?」
「ん〜、やっぱりその妖とニャンコ先生が似ている気がして。それなら俺とニャンコ先生の出逢いも必然だなぁと思って」

 昔々の御伽噺の二人が、急に身近になったような気がした。
 俺の前に母がいて、その前にはレイコさんがいた。
 そして、そのずっと先には ――――

「なぁ、先生。出逢いって、本当に凄いもんだな。いろんな出逢いがあって、今の俺がいるんだ」
「ああ。人に出逢いがあるように、妖にも出逢いはある。人と妖が出会う事も。そこで、どう変わるかが大事なこと」

 その通りだと、俺も思う。
 俺は藤原夫妻に出逢いこの町に住むようになって、ほんの少し変わる事が出来た。そうしたらいつの間にか、自分の周りに人が集まるようになっていた。
 そして、ニャンコ先生と出逢い友人帳を通じてもっと沢山の妖の事を知って、間に立つ者になりたいと想う様になったように。

 昨日より今日、今日より明日。
 明日には、どんな出逢いが待っているのだろう。

 想いを込めて夜の森で歌う、夜鳴鶯。
 その声は、出逢いを求める優しくも情熱的な響きだった。


  * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


 青い月の下、夜半の森の木の枝に止まり夜鳴鶯は、在り得ぬ光景をそのつぶらな瞳に映していた。

 冷酷無慈悲だった大妖と、なんの力もない人の子が寄り添う様を。

 どちらが夜鳴鶯だったのだろう。
 言葉の無い大妖か?
 歌を覚えた人の子か?
 互いの鼓動に癒しを覚え、深い深い森の奥で静かに眠る。

 二人の上に差し込む美しい月の光を、夜鳴鶯の歌声が細く小さく揺らしていた。


【完】
2010.4.26





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= あとがき =

このSSは、七緒さんのサイト「You will see fire but you're cool as ice」のサイト開設2周年をお祝いしてリクエストを貰って書かせたもらったものです。
七緒さんのギャラリーに展示している殺りんイラスト「Kiss」へ送った感想コメントの一言を盛り込んだもの&夏目友人帳クロスオーバー第三者視点でとのリクエスト。
久しぶりの夏目クロスオーバー物だったので、ノリノリで書かせてもらいました。
戦国時点での殺りんの部分だけを繋いでも、1本のSSになるようにしてみましたv
同じSSの中の「部分」ですが、別に読むとまた違うテイストを楽しんでもらえるかなぁと思っています。

七緒様のサイトへはこちらから

殺りん/イラスト
You will see fire but you're cool as ice(正式サイト名)
as ice・七緒様



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