別大間の海辺&田ノ浦人工ビーチの状況(追跡調査)
      年  月   日              田ノ浦人工ビーチの状況等
09.01.31(土) 餅ヶ浜は三工区(南、中央、北)に分けて養浜を実施。養浜砂量は8×3工区(施工会社)=24万立方メートルという莫大な量。国交省は、砂の色合、粒径を指定するのみで、後は施工会社任せで、採取元は知らぬ存ぜず。そんないい加減な事で良いのか? しかし、国交省別府港湾・空港整備事務所HPのQ&Aを閲覧して妙に納得。これがこの国の情けなく素晴らしい所です。2/19施工会社あおみ建設、東京地裁に会社更生法の適用を申請。天罰が下ったか!この日、北西の風強し、湾内に白波多数。
田ノ浦人工海浜
益々、侵食・堆積傾向が顕著になる。左侵食、右堆積 南蛮船付近も侵食進み砂崖発生、右下は露出した護岸
別府港海岸整備事業
(餅ヶ浜)
南、中央工区は養浜完了。北西風には余り影響を受けず 壱岐沖採取の海底砂を養浜。きめ細かな綺麗な砂
2008.12.20(土) 田ノ浦人工海浜……新設突堤の西側が侵食、東側が堆積傾向にある。レストランからトイレ付近まで護岸前に"石ころ"を設置。離岸堤間には元々潜堤はなし。さらに、南蛮船付近も侵食による砂崖が発生。
餅ヶ浜人工砂浜……中央突堤から南側で養浜始まる。二区画に分け「東洋建設」、「あおみ建設」が施工中。下砂は蒲江沖で採取。きめ細かな上砂は壱岐沖で採取したものを「博多海砂採取協業組合」から購入。東洋建設購入(養浜)分の上砂は約8万立方メートルという。福岡県の海底環境を破壊し、環境にやさしいという人工海浜が埋立て造成される・・・こういう神をも畏れぬ行為が許されるのか?、別府市民は判っているのか?
田ノ浦人工海浜
侵食、堆積の傾向が顕著となる ここも侵食傾向で砂崖発生
別府港海岸整備事業
(餅ヶ浜)
前方は高崎山。山神、海神も怒っている。 積み上げられた砂はブルで均される。
2008.10.11(土) 別府港海岸整備事業(餅ヶ浜)にて養浜開始。海上部は既に下層砂投入済。16日から海上部、陸上部に上層砂投入(覆砂)予定。採取元の蒲江沖の海底環境破壊を別府市民は、どう考えているのか、問いたい。また、採取元は海砂採取禁止の瀬戸内海エリアからわずかに外れる蒲江沖。採取を許可する県河川課の姑息さが分かる。下層砂は蒲江、綺麗な上層砂はどこから採取するのか? 肝心な採取元、砂質、粒径を明かさず。市民に緑化をどうしたら良いか伺いをたてる。行政も行政、アホな市民も市民。人工海浜の失敗は田ノ浦を見れば判るのに…。
田ノ浦人工海浜
(潮位約1M)
左は侵食、右は堆積傾向 突堤新設のため汀線凹部にあたる波
別府港海岸整備事業
(餅ヶ浜)
石組み護岸の上に上層砂を養浜する 陸揚げされる養浜砂。採取先は蒲江沖
2008.08.27(水) 別大国道の拡幅工事(6車線化)が11年度に完成すると云う。壮大な埋立造成工事であるが、環境アセスメント調査は実施されたのか? 即ち埋立に伴う他所への影響調査は? 拡幅、拡幅と喜んで良いものか。ツケは孫子の代に必ずくる。
田ノ浦人工海浜
突堤左は侵食、右は堆積傾向あり(前回調査とは逆) 突堤右側の砂堆積部。凹状になるため50M先は侵食が進む
2008.08.01(金) 2、3日程前は別府湾に赤潮発生。田ノ浦も遊泳禁止措置。今日は12時現在(潮位25cm)、顕著な赤潮は見られず。しかし、赤潮の臭いによる苦情対応のため調査中の市環境対策課職員に遭遇。突堤新設により、益々水の循環が悪くなるのだが…。
田ノ浦人工海浜
砂堆積具合。突堤西(左)側13複歩、東(右)側10複歩 突堤の新設(環境変化)により、この部分の侵食激化を予測する。即ち凹部現象が顕著になるはず、これは海岸工学、海洋学の常識である。
田ノ浦人工海浜
突堤東側の砂堆積増加に注目。この反作用で手前の海岸(写真右下)の侵食が激化すると予測できます。 南蛮船西側の新たな陥没箇所
2008.06.29(日) 砂流失防止のために東海岸に石組み突堤を新設。新設にあたり充分な事前調査、検討がなされたのか疑問?流出防止の抜本的対策にはならない。県のその場しのぎの付け焼刃的対策であり、税金の無駄遣い。
田ノ浦人工海浜
長さ10M程の突堤。 この突堤が、他所に与える影響は考慮したのか?
ついに養浜を諦め、石ころを敷き詰める 別大国道竜神祠。竜宮穴はシートパイルで完全に塞がれる。竜神様の祟りを危惧します。
2008.04.25(金) 別府湾岸がガタガタにされていく有り様を見て愕然とする。市民、住民は誰も変だと思わないのか?鎌崎ではU建設、関ノ江ではH土木の若い監督に聞く。両名とも工事の効果、その意義に疑問を持つ(私と同じ)。この日、水は綺麗。
基礎石の露出更に進行 矢板打込約2M/日の進捗。難工事、こうまでして拡幅したいのか?人間の欲望には際限がない。竜神祠に幣帛あり、さすがに祟りを恐れたか。 国体用に新設される北浜ヨットハーバの突堤
西海岸の侵食進行 八郎鼻、カラオケBOX建物取壊し整地。海上に海藻採取の漁船 関ノ江海岸、次に綺麗な砂を石組み護岸前に養浜。潜堤なし
2008.02.09(土) 潮位約2M(午前10時30分頃)。これくらの潮位でコンクリ護岸に波があたることが分かる。隙間穴は結構大きい、幼児が穴に足を取られなければ良いが…。
護岸にある隙間穴(靴と比較) 昨年まで砂で覆われていた石組が露出(水面下) この上を覆っていた莫大な養浜砂はどこへ消えた?
2007.12.22(土) 上段写真は、新たに石組みが露出し始めた箇所(レストラン下)。将来的には、下段左写真のような無惨な形状になるのであろうか。下段右写真は、これまた新たに侵食の兆候が現れ始めた箇所(東海岸トイレ下)。
2007.11.20(火) 護岸下にさらに石組が露出、この部分する侵食が最も激しい。(真中写真) 砂に覆われていた護岸が露出し始める。(右写真)
植栽部の半分が消失 海底部からの石組高さ0.8M 東側海岸ではこの部分の侵食が激し
2007.10.06(土) 新たに中央橋脚基部下にも陥没穴が発生。こんなに陥没、護岸露出が発生し、行政はどうするのであろうか。
波にえぐられた基部護岸 カラーコーン付近に陥没穴二箇所
2007.09.15(土) 別大国道竜宮穴(祠)付近の埋立拡張工事の施工業者は未定(近隣区の作業者から聞き取り)。謂われを知らない県外業者に受注させるのであろうか。国交省のやり方はうまい。
陥没穴が別場所でも発生 ワシントニアパーム下を石で固め防護 住吉泊地でコンクリ打設後(フレア護岸)
2007.08.12(日) 台風で益々砂が侵食され流失する。ワシントニアパームは倒壊寸前。今年度は、海開きの前に補修工事なし、いつ工事を何と云う名目で実施するのか?
再び露出したブロック 根元が露出したワシントニアパーム 新たにブロック露出、その延長線上で砂浜陥没
2007.07.07(土) 海開き後も、砂崖、植栽部の破損は放置のまま。海水浴を人工海浜の中央部に指定、規制する看板あり。別大国道埋立拡幅工事に設置されるフレア護岸(5号地あり)。
海水浴可は人工島の背後だけに限定。 コンクリ打設後では、内部は見えないが、中は鋼鉄製…正直驚きました
2007.06.10(日) 例年ならこの時期、海開きに備えて体裁を整えるため砂崖をナダラカにする工事が実施されるのですがが、立入禁止の看板も残ったまま越年です。もう復旧工事という支出(費用)の名目がたたないのでしょうね。この時期にしては、海水の透明度は高い(別府地震の影響か)。カニ穴散見される。
ブロックを越えてさらに砂侵食が進む。 今後どうするのか?
2007.05.05(土) この日も潮位低し。
この部分の侵食激しい。いずれ侵食が樹木根元部にまで迫り、石で補強することになるのか。
2007.03.23(金) この日、潮位50センチ(15時)、田ノ浦一部赤潮発生。
祠下工事は梅林建設との事 侵食激し、干潮のため海底土が露出。 関ノ江、横砂州が露出、人工海岸が阻害。廃BOXから撮影
2007.02.10(土) 侵食益々進む。来年度には、また災害復旧工事か施設整備工事を適用し、海水浴場オープンに備えて、砂崖を滑らかにするのであろう。高崎山下鎌崎の埋立拡幅工事も始まる
砂崖高さ1.5M この部分は人工海浜の中でも、侵食が激しい 竜神祠の先に、埋め立て基礎部が見える
2007.01.13(土) 消失した砂は、どこへいったのか? 反省もせず、また別府関ノ江(県事業)、餅ヶ浜(国直轄事業)に人工海浜を造成するのか? 養浜砂はどこの海底環境を破壊して運搬してくるのか? この日は携帯電話カメラのため画質が劣る。
ワシントニアパームまで進む波浪による侵食、砂崖高さも1M強 護岸下基礎石露出激しい、護岸高さ1M強
2006.11.10(土) レストラン前の砂浜の幅、は益々細る。砂崖を杭で囲むが危険。この日「第17、18回大分県事業評価監視委員会議事録」、「新聞記事」を見る。別府関ノ江海岸整備事業のやりとりは面白いが、委員は質問をしているのか、単に感想をのべているだけなのか不明。どうして侵食を受けるようになったのだろうか?、地元住民の要望とは?、他所への影響は?
この場所は、人工海浜の中でも侵食が顕著 7月7日の写真と比較し、侵食が進む。
2006.10.07(土) 台風13号(9/17)による田ノ浦人工海浜の被害の大きさに驚いた。@東海岸は益々砂浜がさらに侵食され後退する。A西海岸(南蛮船の場所)にも砂崖が発生。B砂流失防止のため実験的に設けられた植え込みも崩壊。
レストラン前の崖の高さ約1.5m 植え込み崩壊。護岸前に敷石露出。
2006.07.07(金) ワシントニアパーム樹木の手前部分で侵食が進み、砂の流失が続いている。特にこの部分は、最近侵食の進行が激しい。この時期、海水透明度は悪し。高崎山鎌崎付近の拡幅工事の工法(より波返し機能を備えたフレア護岸)が決定。
緑地部(右側)と砂崖の間の幅が狭まりつつある事に注目 東浜に見られたカニ穴、東浜の方が西浜より、カニ穴多し
2006.05.05(金) 田ノ浦人工海浜…東浜、ワシントニアパームを保護する(砂の流失を防ぐ)ため砂崖の上に石を敷き詰める。また、実験事業として砂上に植栽しているが、暴風時には洗い流されるであろう。何をやっても環境の厳しい当地では駄目である。
別府餅ヶ浜人工海浜の基礎 ワシントニアパームを防護する石 災害復旧工事(覆砂)は、とりあえず終了か。植栽の実験
2006.03.04(土) 田ノ浦人工海浜……東浜益々侵食が進み、覆砂下のブロックが東方向へ延長露出。露出ブロック数、柵から24個。7月の海水浴場オープン前に「災害復旧工事」で「ミテクレ」、「体裁」だけ手直しをするのであろう。西浜も露出ブロック数が多くなる。
徳山市から山土を積載してきた台船が直接降ろす。( 両郡橋付近) 汀線が凹凸状になる。離岸堤の後背地では、凸状になり砂が堆積しつつある。自然の力は恐ろしい。 凹部では益々侵食が進む。砂崖も高1.2M程度。
2005.11.26(土) 田ノ浦人工海浜・・・・・・砂浜の侵食激しい、護岸を覆っていた砂が波浪でさらに流失。今回は、如何なる工事名で修復養浜工事を実施するのか。もう「・・・・・・災害復旧工事」名は使えないであろう。海水は透き通っていて綺麗だが、赤潮が発生、11月末にしては非常に珍しい。11月27日「別府湾岸を考えるシンポジウム」あり、所詮土建屋、開発系行政(港湾系)のためのものである。
この時期には珍しい赤潮 東海岸露出ブロック 83復歩 西海岸露出ブロック 43復歩
2005.10.29(土) 田ノ浦人工海浜、西浜も台風による波浪で、護岸が露出する。去年の露出部と同じ場所。東浜も護岸露出のママ。市公園緑地課も県土木に抜本的改善を要求しているが、「ノレンに腕押し」状態である。
幅5M、長さ25M程、ここは杭無し 別大国道拡幅現場、S社施工、再度龍宮祠の由緒を説くが、現場代理人は解せず。前方は鎌崎。
2005.09.17(土) 田ノ浦人工海浜・・・7月上旬、海開きのために露出護岸を砂で覆う工事を実施したが、台風14号(9/6)の激浪で、また砂が流失しコンクリートブロックが露わになる。「ミテクレ」、「体裁」だけを幾ら整えても、自然の力には勝てない。もう、自然に逆らうのはやめよう。露出ブロックは放置のままで、覆砂復旧工事は来年度実施であろう。台風の風向きのためか、別府スパビーチのような大量のゴミ打ち上げはなし。
丁度K造園関係者が立入禁止柵を工事中。県や市からの指示か 国道拡幅のため海面埋立中のS社の工事関係者に、高崎山麓下龍宮祠の由緒を説明するが、理解不可。翌々日、作業船がボートと衝突する事故発生。龍宮様の神罰によるか。写真はU社の現場。
2005.06.10(金) 田ノ浦人工海浜、海開き(7/1)に備え修復工事始まる。汀線凸部に堆積した砂を採り、露出護岸を覆うものである。「ミテクレ」だけの改善工事、侵食傾向の強い海岸では、抜本的解決策なし。東海岸は「海岸災害復旧工事」(国)、西海岸は「河川改良工事?」(県)。自然の力には逆らえないのである。
東海岸、K精華園施工。工期3.30〜7.15 西海岸、YR建設施工。工期3.30〜6.24
2005.04.29(金) 高崎山下、両郡橋(大分市側)付近で「別大国道拡幅埋立工事」が始まる。干潮時に現れた、自然な磯、岩場を埋め立てにより消失させていいのだろうか。別府北浜埋立地先に人工磯の造成を要求し、ここでは自然な磯が消失するのに何も異を唱えない「町づくり団体」。何とも矛盾した話である。鎌崎JRの線路付近に猿遊ぶ。本日は、大潮か。
猿も埋め立てに怒るか! 海たまごから鎌崎を見る。既に重機配備済み 両郡橋付近。大分市側から工事開始か。自然な磯が消失
2005.03.19(土) 田ノ浦人工海浜。東の浜(レストラン下)は養浜砂が黒ずむ。砂、そのものが変質又は入れ替わるか。黒ずむ原因は何か? この時期、海水は透明度が高く、キレイ。西の浜は、キレイな養浜砂のまま、変質なし。
水に覆われる砂(黒ずむ)と綺麗な養浜砂 砂崖と黒ずむ砂
2005.02.12(土) 田ノ浦人工海浜、未修復。東側にブロック露出して伸びる計83個、その先に砂崖が新たに発生。砂崖の下層部に汚い砂が露出。造成時にここまで侵食を受けるとは、考えなかったのであろう。別府関ノ江海岸、埋立地からクレーン船で南突堤新設中(弥永海事、ダイバー潜水中)。近々、養浜が行われるか。
ブロックの東側に生じた砂崖 砂崖の表層はキレイだが、下層部は汚い
2005.01.09(日) 田ノ浦人工海浜・・・無残な形のまま、修復なし。砂浜に杭設置。ブロック最大高さ80センチ。この日風強く、大いに寒し、人は皆無。
砂浜に打込まれた木杭。修復工事のためか? 海底面からのブロック高さ80センチ
2004.11.20(土) 田ノ浦人工海浜・・・10月22日のままで未修復。
台風のため、このような無残な形になったのは、7月10日(写真有り)海開きに備えて、砂崖を滑らかにしたことによる。復旧関係予算がつくまで、このままか。
2004.10.22(金) 台風23号の被害調査(15時頃)
田ノ浦人工海浜・・・台風23号にて砂が流失。東海岸で養浜下の石組護岸が露出(長さ150M)。西海岸でも同様に露出(20M)。ワシントニアパームから砂崖まで50センチ。このまま推移すれば倒壊する。
ゴミ除けネットは全て破断 東海岸の石組み露出(7.10の写真と比較)
2004.09.19(土) 台風16、18号の被害調査
田ノ浦人工海浜・・・・南向きの風のためあまり影響を受けず。ゴミの打ち上げも少ない。(市嘱託の話) しかし、ワシントニアパーム樹木付近(東岸)で砂崖が発生し、侵食が再び始まる。ワシントニアパームから砂崖まで1復歩強。
住吉浜リゾートパーク・・・・護岸道路陥没、園内の道路に砂が打ちあがる。被害総額数千万円。自然の猛威は恐ろしい。また、守江湾内(八坂川河口)にカブトガニ産卵のために造成した人工砂浜の砂が消失。 
田ノ浦人工海浜、南向きの風のためレストランは被害無 住吉浜、左側の護岸下は海。即ち人工海岸
2004.07.11(日) 大入島シンポに参加。「清家婆ちゃん頑張れ」、「石間浦の女をなめたらイカンでよ」
環境に対する県民の良識が問われている(徳田弁護士)。「佐伯の自然を守る会」事務局長Sさんと知り合う。もう埋め立ては、止めよう・・・・大分「脱埋立宣言」。
2004.07.10(土) 田ノ浦人工砂浜、砂崖が滑らかになっている。「海開き」(7/1)と「別大国道を活かした女性シンポ」(7/4 レストランにて開催)のため、砂浜侵食を見せないように体裁、見てくれを整えたのであろう。砂崖を滑らかにしても、9月頃には自然(波浪)の力で、また元に戻る。毎年、補修(滑らかにする)の繰り返し、費用は幾ら掛かるのか? 公園緑地課は県に、もっと怒れ。砂浜にはカニ穴あり、従前より大きくなっている。
ワシントニアパームの前(左の建物がレストラン) 旧一個看板付近
2004.06.13(日) 田ノ浦人工砂浜、潜水の練習をしている人の話では、離岸堤間に潜堤はないという。
別府港海岸整備事業(餅ヶ浜に人工海浜)の起工式がある。162億円の壮大な無駄事業はじまる。
2004.05.06(木) 田ノ浦人工砂浜、離岸堤間に潜堤布設せず(県大分土木)。大潮の干潮時のため汀線かなり下がる。東海岸の海底砂を20センチ程度掘るが、真っ黒である(白砂が黒に変色)。
旧マリーンパレス南西隅にあった改良記念碑(大理石)は山側に移転する。「国道改良記念碑」(昭和14年11月7日)、裏の銘文に、県知事纐纈弥三、その他技師の名前あり。
白木と「かんたん」間の拡幅された新護岸に「これより東、大分港湾区域」の石碑あり。
2004.04.17(土) かんたん、 昭和7年の「拡幅記念石碑(内務省)」、6車線化でいったん撤去されたが、海側に移転する。
田ノ浦人工砂浜、潮位54センチで、離岸堤間に潜堤らしきもの確認できず。公園東端の丘陵上にレストラン?建設中(注文者フォーシーズン 施工佐伯建設 店名?エシェル・ドゥ・アンジェ) 別府湾の景観、眺望悪くなる。別大国道から海側に建造物は不要。マリーンパレス西端の仏像解体?
2004.03.10(土) 田ノ浦人工ビーチ:離岸堤(東側)と人工島間の背後地で侵食進み、砂崖発生。全体的に砂浜の凹凸が顕著になる。新たな侵食測定基準を南蛮船イカリからとする。イカリから砂崖まで9.5復歩。
離岸堤(東側)と人工島間の背後地の砂崖    砂崖高さ約50センチ
2004.02.14(土) 別大国道、春一番で風強し。高崎、田ノ浦沖は、白波が激しい。田ノ浦人工海浜、鯨見物客多し。砂浜侵食状況、1個看板から4復歩、ワシントニアパームから2.5復歩。砂浜(東側)は、砂鉄で黒ずむ。砂浜(西側)は、養浜時に埋めた石が侵食で露出し、石ころ海岸化(特に南蛮船付近)する。ゴミ除けネット(東側)を正規に取りつけ。今日は、ゴミ少なし。排水溝を写真に撮る。
東突堤後背地でレストラン?の敷地造成工事開始。工事名「田ノ浦公園敷地造成工事」、請負者「後藤組」、請負金額「2800万円」、工期「12.25から2.20」、発注者「市都市計画部公園緑地課」、なお、建屋は別業者が施工予定。鯨崎からの眺望が台無し。
国道沿いの「阿部忠商店」の若主人語る。@石ころは従前からあったもので、その上に養浜した。海浜公園としてオープンする以前は、砂礫(石ころ)の自然海岸であった。A離岸堤間に砂止め(流失防止用)の潜堤は未設置。B店内、室内は砂で、常にザラザラしている。
別府関係、餅ヶ浜人工砂浜工事未着工。スパビーチ、人気なし。
排水溝 侵食される養浜下に元からあった石 レストラン敷地造成中。後方は仏崎
2004.01.14(水) 「別大国道を語る座談会」利用者代表「宮崎女史」さん、道路を自慢するより、環境破壊を訴えて下さい。
2003.12.28(日) 田ノ浦人工ビーチ侵食状況 一個看板から4.5複歩、ワシントニアパームから3複歩。西側は、石ころ海岸化する。田ノ浦は元々石ころの自然海岸であった。養浜時にそのまま埋め込んだ石が、砂浜流失で露出しはじめている。冬期は透明度が高く、水はキレイ。
2003.12 別大国道の6車線化、生石〜田ノ浦間(3.9K)来年1月末完成予定。田ノ浦〜高崎山間(約1.4K)は04年度末完成予定。東別府〜高崎山間(約1.7K)のうち、東別府寄り0.7Kは07年度完成予定。残り約1Kは海岸部が急峻で深く、工法検討中で完成時期は未定。6車線化は92年度に着手、総事業費は約500億円。
2003.11.15(土) 田ノ浦人工ビーチ 一個看板から4.5復歩 ワシントニアパームから3.0復歩強 侵食益々進む。ゴミ多し。
2003.10.11(土) 田ノ浦人工ビーチ 一個看板から4.5復歩弱 ワシントニアパームから4復歩(満潮時に近く、潮位約230センチ)。ゴミ多し。
海岸のゴミは週一回(ただし、7、8月は毎日)漁協関係者(市から委託?)が清掃、回収。以上、ビーチ管理人(田ノ浦在住)の話。管理人は2名で、他1名は大分市のOB。
マリーンパレスから鎌崎までの護岸に海岸へ下りる仮はしご設置(数ヶ所)。国道拡幅の調査用か?
一個看板から砂崖まで ワシントニアパーム(左側)から砂崖まで
  2003.8.15(金) 田ノ浦人工ビーチ 一個看板から5復歩弱 ワシントニアパームから4.5復歩 侵食益々進む。
  2003.7.19(土) 田ノ浦人工ビーチ 海水浴シーズンのため砂崖をなだらかにしている。水質改善装置二基確認。干潮時のため浜脇海岸の砂採取。
  2003.6.20(金) 田ノ浦海岸 新一個看板から砂崖まで6.5復歩、ワシントニアパームから5復歩。水門から5復歩。
台風通過後だがゴミ少ない。西突堤後浜にカニ穴あり。西突堤際のワシントニアパームに満潮時、波が当たっている形跡がある。
波が根元を洗った形跡のワシントニアパーム 西突堤背後の補強工事跡。このまま?
       5月11日(日) 私事ですが、4月1日付けで、北九州小倉に転勤となる。この日法事で大分に帰省。田ノ浦海岸、ワシントニアパーム(樹木)から5復歩(従前5.5復歩)、新一個看板から7復歩。砂浜の侵食進み、砂崖益々高くなる。カニ穴見当たらず。
       3月23日(日) 鳴川口から高崎山頂を目指し再挑戦するが道不明。川沿いに電気柵を工事中(木杭NO43まで)、「工事名 高崎山電気牧柵設置工事 東洋建設」とある。銭瓶峠まで設置するのであろうか?道沿いに赤土あり、赤野の地名に由来するか?
       3月21日(金) 仏崎(山頂)へ石材店横の道から登る。最後の民家前から山道になり、登りつめると雑草に被われた平地で、平地横の竹薮をかき分け頂上へ着く。頂上は戦前、仏崎公園として桜の名所であったが、現在は大竹に被われている。人工の石垣あり、また礎石らしきものもあり。電車埋没事故の犠牲者供養碑、公園の石碑は確認できず。眺望は竹が支障となりあまりよくない。標高10M程度。
   鎌崎と田ノ浦ビーチ     田ノ浦ビーチ   人工の石垣
       2月23日(日) 田ノ浦人工ビーチ
西突堤後背地、修繕工事終了(砂埋戻し)。一個看板(目印)撤去、この付近で砂堀起し作業中東突堤後背地、修繕工事開始。 3月2日、埋め戻し工事完了。別大国道、旧護岸(昭和初年建設)の破壊、撤去工事中。
       2月16日(日) 田ノ浦人工ビーチ  (1)両突堤背後の陥没防止対策の修繕工事開始。修繕費約2500万円(砂崖段差を滑らかにする工事費の比ではない。責任は?税金の無駄遣いでは?)砂浜の侵食益々進行、一個看板から5複歩、ワシントニアパームから5.5複歩。この場所では、公園と人工ビーチの両立は不可能。
(2)別大国道拡幅完了のため旧護岸(昭和8年建設)撤去工事開始(生石側にて)。このため歩道がなくなる。自転車通勤、通学者のための迂回路は?(門扉閉鎖)行政のやりそうなことだ。
       2月09日(日) 由原神社へ「一の坂」、「二の鳥居」、「五の鳥居」を経て参詣。「三の鳥居」、「四の鳥居」は現在ない。神社楼門を写真に撮る。「ニの鳥居」付近から別府湾、大分市街の眺望良し、小六の頃遠足で「二の鳥居」付近で悪童連中と写真に収まった記憶が蘇る。伊能測量ルート。
       1月19日(日) 高崎山(城)へ鳴川口(両郡橋)から目指す。鳴川沿いに舗装道を登り鉄柵の入口を過ぎ山道に入る。浜脇、田ノ浦両村入会の秣場(銭瓶石騒動)を経て頂上を目指すが、道が荒れていて分からなくなり途中から引き返す。山道に沿って、上部を黄に塗った木杭(NO記す)あり。木杭NO22(右手下に民家が見える)の所で引き返す。木杭は何のため? 再挑戦!!
2003年 1月05(日) 田ノ浦ビーチ西入り江にワシントニアパームの植樹を確認。この付近の砂浜の後退、侵食はヒドイ。最も潮位が高くなる9月の大潮の満潮時には、根元が波に洗われるだろう。
     12月15日(日) 公園職員の案内で、万寿寺別院の旧観音堂(円通閣)を訪ねる。隠寮裏を登っていった所にある。田ノ浦ビーチ、陥没防止用の土嚢に詰められた砂は養浜砂と同種。美しくて綺麗だか、高価?)
     12月01日(日) 20時、真っ暗な中高崎山万寿寺別院の猿寄場に行く。地上に降りている猿は皆無。隠寮の後方の森で猿の鳴き声(フザケ合う声か?)するのみ。しばらく居たが何となく不気味で怖い。猿を見張る犬がいなくてよかった。やはり、猿は樹上で眠るようだ。
     11月23日(土) @木杭なし、撤去か? A陸地側石垣と砂(養浜)の境目に陥没発生(何故か?) B浜に数多く打ち上げられている小ペットボトルは某焼酎メーカのもの(釣り人が海に捨てるか?) C一個看板から砂崖まで5復歩(侵食進む)
     11月10日(日) 万寿寺高崎山別院を訪問。禅堂、侍者寮、隠寮、仮本堂の四建物。@隠寮脇に見事な庭園跡 A立派な造りの石組、石垣(仮本堂にいた古老の話では、「筑豊の某炭坑王が出資、近郷の田ノ浦住民が工事に協力」と Bすばらしい別府湾の眺め、 人に慣れすぎた猿(見世物、本当に野生、自然動物園?)も可哀想! 本堂建設を中止せざるを得ない寺も無念? 最後に待者寮で殉職された第一高女の先生方のご冥福を祈り下山。
     11月04日(月) ビーチの汀線付近に100M間隔位で木杭(赤テープ付)あり。対抗する陸地側にも木杭あり。砂浜の侵食状況を追跡調査するためか? カニ穴見当たらず。
     10月14日(月) 鎌崎から両郡橋間の別大国道際で子供猿が遊んでいるのを発見。車で通行している時は、中々気がつかなかった。
      9月29日(日) 市教委の先生の「猿の寝床発言」を確認するため、真っ暗な中高崎山頂に一人で留まる。猿の気配まったくなし。嘘つき。
      9月23日(月) 再び、砂浜で小カニ発見。コメツキガニか? この浜の後背地の丘陵際に、レストラン誘致の計画があるという。(新聞記事あり) カニにとっては迷惑、人があまり来ないほうがよいのだが、、、。 大分市の関係者は、生息するようになったことを認識しているのかな? また、我々市民もビーチ内で飲食ができる場所を等と要望すべきではない。自然に戻ろう!!
      9月16日(月) 砂浜の、後退、侵食の進行状況。@東突堤際ワシントニアパームから砂崖まで6.5復歩(5/19  7.5復歩) A水門前から砂崖まで7復歩(5/12  8復歩) B1個看板から砂崖まで5.5復歩(5/6  8復歩)1復歩は約1.5M。
  この日はカニ見えず。日中は日が照るためか? 両突堤際の陥没した場所の補強工事を実施中。
      9月08日(日) 東突堤そばの砂浜の小穴から出て、徘徊する小カニを発見。海水浴をする人等があまり行かない場所である。養浜から10年間でやっと生物が生息するようになった。この日は大潮で干満の潮位の差が大きい。
      9月01日(日) 台風通過後であるが、ゴミの打ち上げは少ない。南東からの風であったからか?砂崖が生じはじめる。一個看板(目印)から砂崖まで6複歩(従前は8複歩) 砂浜が約3M後退、消失した。
      8月15日(木) 東西突堤際の砂浜に直径1センチ程度の穴、多数あり。穴入口周囲に無数の砂粒(数ミリ)あり。生物が生息するようになったか?
昼間は確認できず。夜9時、懐中電灯をつけて見に行くが、生物は確認できず。
      7月14日(日) 赤潮なし。斎戒沐浴
      6月23日(日) 赤潮なし
臼石鼻越しに山口県の陸地も見える。(湾南岸から見たのは初めて)
      6月15日(土) 赤潮なし
別大国道拡幅(昭和8年)の記念碑発見(かんたん入口)
      6月09日(日) 赤潮なし。田ノ浦海岸をデジタルカメラで撮影
      6月02日(日) 東西の浜崖を滑らかにする工事完了
赤潮はないが、海水がにごり茶褐色。こんな所で皆よく泳ぐなあ!!
      5月26日(日) 浜崖をユンボで滑らかにしている。海開きに備えてか?
赤潮発生。ゴミ打ち上げひどし。
神戸の女児死亡。
      5月19日(日) 赤潮発生。東突堤背後に植樹3本(ワシントニアパーム)
      5月06日(日) 赤潮発生なし。
二個看板倒壊。 一個看板(新たな目印)から砂崖まで八復歩。
      4月14日(日) 赤潮発生なし。看板まだ倒壊せず。
      4月07日(日) 二個看板倒壊寸前。(一週間で水平侵食距離40センチ)
海草が西地区離岸堤内に繁茂。(東地区にはなし)
      3月30日(土) 砂浜の侵食、益々進行。砂崖から二個看板(目印)までの距離30から40センチ。3月17日の状態から急激に侵食を受ける。
      3月17日(日) 赤潮発生(汀線部が30分程で)。しかし、ビーチ内石ころ海岸では現れず
      2月12日(火) 合同新聞に「田ノ浦陥没」記事(ようやく)
      2月11日(月) 白木海岸(埋立て前)、田ノ浦ビーチ養浜砂を採取
養浜砂は、福岡県博多沖から採取約23万立方メートル(新聞記事あり)
2002年1月05日(土) 砂浜陥没修復。さすが事故が起きてからの行政の対応は早い。
(12月31日 神戸大蔵海岸で陥没事故 女児重体のち死亡)
    12月16日(日) 汀線沿いに木杭新設(砂浜の侵食状況を調査するためか?)
海福寺灘地蔵を尋ねる。神ア小の西裏に古びた地蔵堂あり、これか?
    12月01日(土) 高2時以来の高崎山登山。頂上からの眺望悪し。僅かに田ノ浦人工ビーチの砂浜が見える。
経路は伊能測量の逆ルート「東別府→赤野→赤松→銭瓶峠→登山口広場→山頂→同広場→石碑(府中より弐里)→城の腰→由原神社北側→一の坂→火王宮」
    12月 別府港海岸保全整備事業」01年度に予算化。03年度着工。総事業費162億円。田ノ浦人工ビーチ砂浜侵食の「二の舞」?
    11月06日(火) 中央の橋脚下にも陥没が生じる。(この部分は、波浪の影響はないが)
    11月04日(日) 緩斜面の砂浜ではゴミが多数打ち上げられている。
急斜面の砂崖部分ではゴミ少ない。砂崖は直立護岸と同じ
    11月03日(土) 東突堤のゴミ除けネット外す。(理由不明)
    10月07日(日) ビーチ内 雑木、ゴミ打ち上げ多し
     9月17日(月) 14日 由原神社お下りを見学 17日 放生会見学後、田ノ浦海岸へ。この日、潮位最大(275センチ)新湊道路部にも波が上がる。
大分合同新聞社に問題点を指摘し、奮起の手紙をだす。(何も返信なし)
     9月11日(火) ビーチ東西突堤の後背地、砂浜陥没。(初見)以後、その場しのぎの修理、修復。遊具施設(南蛮船)建設中。いづれは海没するであろう。
海水の透明度高い(台風で湾内の水がかき回されたためか)
     8月22日(水) 台風通過後、ビーチ砂浜にゴミ打上げられる。(新聞記事、当然の結果)
     8月05日(日) 18時 赤潮なし
     7月29日(日) 19時 西電北裏にて斎戒沐浴。(新聞記事 別府湾内に多量の木屑浮遊)
     7月14日(土) 17時赤潮なし。監視員の青年の話「今年はオープン以来赤潮発生なし」
     7月08日(日) 18時 赤潮なし
     6月16日(土) 16時30分 赤潮なし
     6月09日(土) ビーチ内赤潮発生。真っ赤で粘り気があり、異様な臭いもする。仏アから鯨アまでの海岸護岸下にも赤潮。ただし、自然砂浜を有する白木海岸には赤潮なし。
     6月03日(日) 18時頃 ビーチ内赤潮発生
地元住民の話では、「水温が高く、雨が降らないとヒドイ」、「7、8月の海水浴シーズンには例年発生しない」との事。
白木海岸(自然)にはあまり発生していない。
     5月31日 水質検査 「COD」はB(可)
     5月20日(日) 18時30分 満潮19時 赤潮なし。
高崎山下「ウトの浜」砂浜、岩場海没。満潮時には自然海岸は見えず。
マリーンパレス前に国道拡幅、改修の記念碑あり。
2001年5月13日(日) 18時 ビーチ内赤潮発生
2001年2月 砂浜、波浪の影響を受け侵食される。砂崖発生。新聞記事あり。
2000年7月 田ノ浦人工ビーチオープン
1999年度 田ノ浦人工ビーチの維持管理を県から市に引き継ぐ。この時点で既に、砂浜侵食の兆候あり。
1998年1月 人工島の護岸完成。砂浜整備中。
1991年5月22日(合同新聞) 自然の砂浜が300M程残る海岸だが、侵食進む。
大分市が4月、消滅する約18万平方Mの漁業補償費として、白木、西部、大分、三佐の四漁協に計四億五千万円を支払う。

     (別大国道埋立拡幅)