仏アと高崎に囲まれたこの場所(入り江)は、従前自然の砂浜(厳密には、石ころの砂礫海岸)があって、天然の海水浴場があった。私も大分市浜町から自転車に乗り、高校生の頃まで、ここで高崎山を見上げながら泳いだ。しかし、1960年代後半から海岸が侵食され消失していき、海水浴場としての用をなさなくなった。この年代は、新産業都市の指定を受け、工業用地造成のために別府湾南岸が次々に埋立てられた時期とほぼ一致する。私は、「この埋め立てにより漂砂を運ぶ沿岸流(潮流)の流れが変わったのではないか」と推測する。(自然、半自然、人工海岸とは?)
1990年頃までは、砂浜は徐々に消失していった。しかし、1992年「高崎山海岸線整備事業」による道路拡幅の一環として、田ノ浦の海岸線(鯨アから高崎まで)が埋め立てられてしまった。さらに、現在生石から鯨崎まで埋立。自然海岸を破壊した事を、後悔したのか、あるいは県民を騙すためか、田ノ浦に人工箱庭ビーチを計画、2000年7月にオープンした。護岸工事、人工海浜の整備(養浜工事)などは、県が「田ノ浦海岸整備事業(事業費51億円)」として実施、人工ビーチの維持管理は大分市が引き継いでいるが、次のような問題がある。維持費(即ち我々の税金より充当)も相当掛かるため、大分市もいい迷惑ではないか?
(1)養浜した砂浜が侵食を受け、消失するとともに砂崖、陥没穴が発生。
砂浜の侵食、消失は特に離岸堤間の後背地がヒドイ。県大分土木事務所の設計/施工ミス? 海洋学では当然の結果で、自然には所詮勝てない。毎年、海水浴オープン前に砂崖を滑らかにする等、手直ししても、台風通過後や9月の大潮の満潮後にはこの有り様になる。近くの商店主の話では、離岸堤間に砂止め(砂流出防止用)の潜堤は未設置という。
新聞記事 「また今年も砂浜が消えた」(合同 2003年2月12日)
「田ノ浦でも砂浜陥没」 (合同 2002年2月12日)
「砂浜ピンチ 田ノ浦ビーチ」(合同 2001年2月21日)
1個看板(目印)から浜崖まで6複歩(約9M)2002.9.8 | 崖の高さ約1.2M |
大潮の干潮のため大きく潮が引く | 背後の小丘陵際にレストラン等の建設計画あり |
陥没穴(2002.10 土嚢により仮修復) | 陥没穴 |
2003年1月、両突堤背後の陥没防止の本修繕工事開始。工期03.1.16〜03.3.25 修繕費約2500万円。森崎建設工業施工。
侵食されている状況(一復歩=125センチ)
(2)底生動物が皆無(貝類、ゴカイなどが生息不可)
博多沖の玄海灘で採取した砂(約23万立方メートル)という。砂があまりにも綺麗なため、底生動物等が中々生息できない。しかし、最近やっと「小カニ」が生息するようになる。「水辺で生き物と遊ぶ」等の唄い文句は夢の又夢か。
左から順に田ノ浦ビーチ、白木海岸、西電北裏の砂 |
カニ穴と周囲の小粒な砂(2002.9.8 撮影) | カニ穴の大きさ |
汀線上には、多くの小さな貝のカケラが見うけられる。玄海灘で採取した海底砂に、元々含まれていたものか?
(3)赤潮が発生しやすい
突堤、離岸堤、人工島に囲まれた閉鎖的水域のため、海水の交換効率が悪く、汚水(赤潮など)が北西風に打ち寄せられ滞留しやすい。3から6月にかけて必ず赤潮が発生する。海水浴場がオープンになる前に、水質検査が行われるが、この時期は、何故か赤潮が発生していない。意図的か、偶然の結果か?
なお、田ノ浦集落からの生活排水が、人工ビーチに直接流入しないように、西側突堤下部に排水溝を設置し外海に排出する等、一応の浄化対策はとられている。
粘り気のある赤潮 | 見る間に汀線が赤く染まる |
(4) ゴミが打ちあがり易い。
砂浜海岸の宿命で、当然の結果。メディアが騒ぎ立てることはない。ただし、南からの風の時は、ゴミはあまり打ちあがらない。(当然)
砂浜には、某ワインメーカの焼酎ペットボトル瓶がやたらに多い。釣り人が海に捨てるのか?
新聞記事 「今週末まで遊泳禁止」(合同 2001年8月22日)
赤潮とゴミ | 砂浜に打ち上げられたゴミ |
(5) 砂ボコリがヒドイ
強風時は、砂が風で飛ばされ、近隣の家屋内へ砂がはいりこむ。このため、室内は常に細かな砂でザラザラしている。
最後に
公園緑地課の参事さんは、今でも雑誌「海岸」投稿レポートのように思っているのだろうか?