sai再び

 〜5〜


『クラッシャー・エリザベス』は地獄を制圧した。

獄卒どもは今やすべて彼女の下僕である。

ヨーダ長官を退けたエリザベスの噂は、すでにあの世中に広まっていた。

生身で現世の女子プロレス界を制するはずだった女は、あの世で地獄を制したのだ。

ここにはもう彼女を阻む者は誰もいなかった。

それなにの、この頃エリザベスは機嫌が悪かった。

今日も一人、獄卒がゴツイ顔に足あとをつけて涙をこらえている。

エリザベスは地獄に建てさせた宮殿の玉座に座っていた。「いつまで地べたに寝かす気だ?」と言ったら、鬼が総出でわずか一昼夜で作ってくれたのだ。

彼女は自分の三白眼がどれほど恐ろしいか、いまひとつ自覚がなかった。

地獄に来たばかりの頃は、充実していて楽しかった…とエリザベスは思い出す。

ここでは女も男もなく、獄卒はみな本気で彼女を倒そうとした。

1年前、デビュー戦を圧勝したエリザベスを書きたてたマスコミの記事は、そのほとんどが彼女の容姿に関することだった。対戦の内容など、ほとんど載ってい
ない。

元々、女性の身体は筋肉がつきにくい。

それを男と対等にしているのは、彼女の想像を絶する筋トレと、技を磨いて弛まぬ努力の賜物なのだ。―女子プロレスなのだから別に対等でなくてもいいはずな
のだが、エリザベスは何故かそう思っていなかった。

「女子プロレスなんて水着ショーみたいなもんなんだから、キミは得だねえ〜。ほんとにおきれいだ」

そう抜かした記者の顔は今も忘れていない。

いったい女子プロレスの高みを知っているのか!?

忍耐・努力・辛酸・苦渋、果ては絶望まで乗り越えてなお、その高みに届かなかった女子プロもいるのだ!

記者には顔面パンチをめり込ませてやったが、それ以来、エリザベスは軟弱な男が大嫌いだ。

極端に丈の短いボディコンで街を歩けばそういう男は大漁・地引網だった。

寄ってきた男に腕試しを申し込む。

「逃げるなよ、今からやろう!」

そう言えば何をカン違いするのか、大抵の男はエリザベスを暗がりに連れていった。

世間では私がやつらを騙して暗がりに連れ込んでいるように言われているらしいが、そんなことは一度だってない。…とエリザベスは思っている。セリフが間違
っているとは思わないのが彼女なのだ。

そこでエリザベスは堂々とタイマンで勝負した。もちろん全戦全勝だ。

同じ女性と子供にはとても優しいエリザベスが、何故これほど軟弱男を目の仇にするのか知らないマネージャーなどは、彼女の事を性格破綻者だと思っているフ
シがある。

(アイツも死ぬ前に一度シメておくべきだった)

仏鳥シノブとの試合を取材にくる記者が、あの記者だと知ったエリザベスが、

「どうせ”水着ショー”だ。もっとハデな衣装で戦ってやろうじゃないか」とコスチュームに注文つけた時、マネージャーに”イカレポンチ”と言われた事を、
エリザベスはよ〜く覚えていた。

佐為が”いかれぽんち”を覚えてしまったのは、マネージャーのしわざだと知ったら、ヒカルもきっと彼をシメてやりたいと思うはずだった。

男性ファンに冷たいエリザベスの熱烈なファンは、だからほとんどが女性と子供だ。彼女の美貌に目の眩んだ男性ファンもたくさんいるのだが、そういうのはエ
リザベスの中では無視されている。

(そういえば男性ファンの中に、私に1年に370通も手紙をくれた男の子がいたっけ?)

彼の手紙の内容はとても真剣で、彼女の試合を熱く褒め称える内容が多かった。他のファンレターとは明らかに違う、自分とひどく共通する情熱。

その男の子にだけは、きれいだと言われても怒りはわかなかったものだ。―彼の名前は、えーと…たしか、

(アキラくん。塔矢アキラくん!)

(一度会いたかったな…) そこで気付く。会いにいけばいいじゃん。

自分はもう魂だけの存在なのだから、どこにいくにもひとっ飛び。自由なハズだ。

エリザベスは立ち上がると獄卒たちに言った。据わった三白眼で睨みながら、

「私は地上に行く。帰りはいつになるか分からん。しかし、お前たち。地獄にやってきた人間にあこぎなことしたら、私がどこからでもかけつけて思い知らせて
やるから、よく覚えておけよ」

エリザベスの去ったあと地獄では3日3晩、宴会が開かれた。

本当は地獄の住人が地上に行くことは逃亡になるのだが、獄卒たちはそんな事ちっとも気にしなかった。

彼らは全員で揉み手をしながら彼女を見送った。




ピンポーン。

ヒカルの部屋のドアチャイムが鳴った。

「あれ?誰だろ?佐為、ちょっと待ってて」

「ハイ」

ヒカルは碁を打つ手を休めて玄関へ向かうべく立ち上がる。

その時、ドアの向こうから凄まじい悲鳴がきこえた。

ヒカルはその声に聞き覚えがあった。

(塔矢!?)

佐為も悲鳴に驚いて出てきた。二人してそっと扉をすかせてみる。

そこにはまぎれもなく塔矢アキラがいた。

そして、もう一人『クラッシャー・エリザベス』が―。

「エ、エリザベス…?む、向こうが透けてるけど大丈夫?」

アキラは錯乱気味だ。洗濯石鹸をしっかり抱えて固まっていた。

ヒカルにはすぐわかった。透けているのは幽霊だからだ。佐為も昔そうだった。

廊下で騒ぎはマズイのでヒカルは急いでアキラをひっぱりこんだ。

当然、と言うようにエリザベスもついてくる。

ヒカルの部屋の中、4人は対峙していた。

「エリザベスが二人…!」佐為を見てアキラが驚く。リングネームを口にした時点で、女子プロレスおたくが秘密であることなどどこかにいっていた。

「見てわからんかね?私は魂だけの存在、つまり幽霊だよ」

「ゆ、幽霊!?で、でもあなたはこうして生きているじゃありませんか?」と、佐為を指差す。

「tutuiとkagaの言ってた、碁石より重い物を持った事がないという囲碁おばけはお前だな、”藤原佐為”?」エリザベスは軟弱男がキライなので佐為に容赦な
い。

「し、失礼な!もっと重いものだって持てますよ!」

そう言って佐為はあたりを見回す。

どうやら持ち上げるものを探しているのだと気がついてヒカルが佐為を止めた。

「オマエ、プロレスじゃなくて囲碁のプロの頂点を極める事に方針変更したって聞いたけど、身体は鍛えとけよ!それ、私のなんだから」

エリザベスはそう言って佐為の腕をぐいっと掴むと筋肉の具合を確かめた。

「あ〜ああ。こりゃ随分サボってるなあー。ちゃんとやってるのか?筋トレ!」

ヒカルは呆然とした。佐為も同じだった。(触れる…!)

「ど、どうして、幽霊なのに触れるんだよ?」

佐為は幽霊だった頃なにひとつ触れなかった。碁石がもてず幾度、涙したことか。

「どうしてって…。気合の問題じゃないの?藤原佐為、オマエ何が何でも触ってやるって根性こめたことあったか?」

「イエ…最初にダメだったので、それっきり―」

「だからだろうよ。弛まぬ努力と不屈の精神、これが女子プロレスの基本だ。私を見習え!」

「はい…っ!」その会話に恍惚とした返事が返った。―塔矢アキラである。

「やはりあなたはボクの思っていた通りの人です。幽霊がなんだというんです!…でもあなたが幽霊ならあっちのあなたはいったいどなた?」

至極、もっともな質問だった。

「私…」佐為が答える。「私、saiです。身体はそちらの方のものですけど、中身は以前あなたとねっとで対局したsaiなんです…。覚えてますか?」

「サイ…sai!?あなたが!?え〜〜〜!!進藤っ!!」

いつか話すと言われ、それっきりになっていた謎が今、解けた。

saiは幽霊だったのだ。進藤は独り言が多いのと何もない空間を振り向くので有名だった。そこに幽霊のsaiがいたとしたら、すべて納得できる。

ヒカルに掴みかかったアキラにエリザベスが声をかけた。

「アキラくん、お取り込み中ちょっといいかな?」

「はいっ!もちろんですともっ」ヒカルの前髪を掴んだまま、アキラは満面の笑顔で即答した。

「私を君の意識の片隅に住まわせてもらえないかな〜?なんて思ってるんだけど、どうかな?」

「 ? 」(ああ、憑依ってことね)アキラは察しがいい。

「今更、あっちの身体に戻るわけにもいかないし、私、君とは気が合うと思うんだ」

ヒカルと佐為はこの成り行きを目をてんにして見守っていた。

「私、君に会いたくて現世に戻ってきたんだよ」…あくまで優しくエリザベスは言う。彼女は子供には優しい。アキラは彼女にとってはまだそういう年齢だっ
た。

「!!!本当ですか!?で、でも何故ボクのこと名前まで知ってるんですか?」

「手紙をくれたじゃないか。370通も。君の手紙は私の心のオアシスだったんだよ」

アキラは感動していた。ひたすら書いては送り続けてよかった!

(370通!?うわ〜さすが塔矢アキラ。なんだかこえ〜)ヒカルはちょっと引いていた。

(コイツって女子プロレスオタクだったんだ。そんで『クラッシャー・エリザベス』の熱烈ファンで…。でも今のコイツの目、かなりイッちゃってないか?ただ
のファンってカオじゃねえよ、これ)

(はっ…もしかしてコイツ、エリザベスのことが好きなのか?れ、恋愛対象として…)

(で、でも佐為はダメだからな!エリザベスの身体はもう佐為のもの、ひいてはオレのものなんだから!)

佐為がもうヒカルの心の声を聞けない事はある意味、佐為にとって幸せといえた。

しかし、ヒカルの心配は無用のようだった。

アキラと『クラッシャー・エリザベス』は仲むつまじくプロレスの話題で盛り上がっている。

「えー、そんなあー。じゃあ、お言葉に甘えてコブラツイストをかけてもらおうっかなー」

「いいとも(にっこり)。オチる寸前までシメてあげるよ」

それを見て猛烈にヒカルはアキラが羨ましくなった。

この幽霊は実体があるのと変わらないのだ。しかも顔は佐為そっくり。

(オ、オレも佐為に寝技ならかけてもらいたいかも…コイツ胸はなさそうだけど美人だし)

アキラは佐為に未練がないわけではなかったが彼の心はすでに決まっていた。

さっきの話だと生身のエリザベス(sai)は、碁打ちであってプロレスは素人のようだ。

(だったらボクが愛するのは、こっちのエリザベスのみだ!!しかもボクに憑りついてくれるという事は、これからは24時間いっしょなんだね、ハニー。ボク
はなんて幸せものなんだっ!)

アキラの頭の中は愛の妄想劇場がフルスクリーンで上映中だった。

エリザベスはまだアキラの意識に入ってないのでそれは見れないが、見たときには手遅れだろう。もっとも二人は相性良さそうなので、問題ないかも知れない。

「じゃあ、ボクたち帰るから…。あ、これ引越しの挨拶」そう言って洗濯石鹸をヒカルに渡す。

その時まで何故アキラが洗濯石鹸などを握りしめていたのか分からなかったヒカルは驚いた。

「ボクの部屋、隣だからよろしく、進藤」

そしてアキラは頬を染めながら、エリザベスと二人で引き上げていった。

佐為はずっと黙って今のやりとりを見守っていたが、やがて申し訳なさそうに

「私も引っ越してきていいですか?ヒカル。私…一人じゃ生活の仕方もわかりません…」そう言った。


「も、もちろんだよ!」(いいぞっ!願ったりの展開だぜっ)

「でも、まだ部屋空いてますかね…?」

「オレんとこに来ればいいじゃないか!またいっしょに碁を打とう!」(寝技もなっ!)



ヒカルのヨコシマな思いを知ってか知らずか…いや佐為はぜったい知らない…、

後日。



あの世の働きかけのおかげで、マネージャーからも、試合からも自由になれた佐為が、ヒカルのマンションに引っ越してきた。部屋はやはりもう空きがなかった
ので、ヒカルの部屋だ。

いま佐為は女だし、ヒカルはまだ18なので、バレたらかなりやばいのだが、塔矢アキラがいるので大丈夫だろう。

自分にも女子プロレスオタクの上、その最強レスラーと同棲…あれはぜったい同棲だとヒカルは思う…しているという秘密があるので気味が悪いくらい協力的
だ。

佐為はもうすぐ棋士採用試験が始まるが、それについては全く心配していない。

戻ってきた佐為にヒカルはやっぱり一度も勝てない。ネットでも同じ、全戦全勝のままである。

(コイツ、また強くなってるんじゃないか?)

それはヒカルだけじゃなく塔矢アキラも認めた強さだったので、ヨーダ長官との”囲碁界の頂点を極める”という約束は予定通り3年で果たせそうだ。

もしかして佐為は、今度こそ神の一手を極めるかもしれない。


外見でいえば、佐為は髪を黒くしてしまった。長さはヒカルのたっての願いで元のままだ。

しかし服を全部、男物に変えてしまったのでヒカルはがっかりしてしまった。

(これじゃ、以前の狩衣の男佐為だよ)

あのボディコンはさすがに短すぎるが、部屋の中でヒカルにだけ見せるなら大いにけっこうだったのに…そう言うと

「私、身体は女性でも心は男ですからねっ!ヒカル、ヘンなこと考えてませんか!?」

そう、顔を真っ赤にして怒られた。コイツを自分に振り向かせる。これは時間がかかりそうだ…。

エリザベスの姿はアキラの他にヒカルと佐為にも見えるし、もちろん声も聞こえる。

相変わらずアキラと一心同体で、隣の部屋からは夜中によく、

「あああ〜!!エリザベスっ!ギブギブっ!ぎゃあぁぁぁぁぁ〜〜〜っ」

などと塔矢アキラの悲鳴が聞こえる。それもなんだか嬉しそうな悲鳴だ。

ヒカルはやっぱり羨ましくて仕方ない。



今回のことでいちばん貧乏くじを引いたのはもしかして、自分ではないのか?

ヒカルはそう思ってため息をついた。





―おわり―

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