2004年5月23日から29日までフランスのトゥールーズに出張した。今の会社になってから初めての出張が海外とは・・・。
 仕事については、丸秘のため、ここには書けないが、決して遊んでばかりいたわけではないので、念のため。



*出発以前*



 今の会社に4月に着任の時、5月にフランスに研修に行くという話があり、期待半分不安半分でその日の来るのを待っていた。
 2週間ほど前になっても具体的な話がないため、上司に尋ねたところ、5月24日から3日間、予備日一日ですすめているとのことであった。行き先は、トゥールーズのT社、メンバーは、Iさん、Sさん、Yさん、私の4人。旅程の詳細はSさんに任せてあるので、彼に聞いてくれとのことであった。  
 トゥールーズは、フランスの南の方に位置する。私は、ラングドック地方かなと思っていたが、ミディ・ピレネーという地方になるらしい。トゥールーズは、結構大都市なのだが、日本ではあまり有名ではない。また、「トゥーなんとか」という、地名やら、普通名詞が結構多いため、結構皆混乱している。中部の「トゥール」や南仏の「トゥーロン」と間違うのは、まだよいとして、「トゥール・ド・フランス」の開催地とか、「トゥール・ダルジャン」のあるところだと言う人まで出てきて大混乱。


 さて、Sさんに手配状況を聞くと、今、宿は向こう(T社)に頼んであるので、飛行機の方の空席状況を調べてくれとのことであった。
 5月の連休後と夏休みの間は、ヨーロッパは最も爽やかな時期である。しかも日本人観光客が最も少ない時期であるので、座席は非常に取りやすい。料金は別として、JALの成田-パリ-トゥールーズはすぐとれた。
 宿の方はというと、T社の方からなかなか回答がないので、断ったとのこと。こちらで探すので頼むと言われ、ようがすと引き受けた。ヨーロッパは宿が取りやすい。私も新婚旅行のときのドイツ旅行は、航空券とユーレイルパスだけ手配し、当時はインターネットなどという便利なものも普及していなかったため、宿は現地で手配した。途中バス・トイレ共用の安宿もあったが、なんとか確保することができた。
 そんな経験があるため、シーズンオフの田舎都市くらいよりどりみどりさ、とたかをくくっていた。ところが、インターネットで検索してみると、連泊のできるところがない。
 そのことを、Sさんにいうと、じゃ専門家にまかせようということになり、旅行代理店を当たっていただくことになった。しかしながら、結果はどこも空きがなく、またインターネットのお世話になることになった。ちょっと前より確実に状況は悪くなっていた。我々は、同じところに連泊するという条件を緩和して、何とか宿を確保した。しかし、3日目がダブルの部屋に2人ずつ宿泊というおぞましい状況になってしまった。
 さて、どうなりますことやら・・・。



*1日目*



 5月23日当日は、私はいつもより早起きをし成田へと向かった。葛西からは、いつものように東西線を使い、大手町で乗り換え、東京駅からは成田エクスプレスを使った。成田エクスプレスは初めて乗ったが、車両の雰囲気がドイツのICE(Inter City Express)に似ている。
 今回は日にちがなかったため、航空券の受け取りを成田空港で行うこととなったので、一旦全員が成田空港のカウンターに集合することになっていた。聞いた話では、以前の研修の時、寝坊して遅刻した人がいたとか・・・。そんな心配にも関わらず、全員が定刻どおり集まり、一路フランスへと向かった。



 私は生まれながらのデブのため、今回マイレージでアップグレードした。正規より少ないマイレージでアップグレードできるというキャンペーンをやっていたので、申し込んだのである。その一方で、ヨーロッパ線のマイレージが倍になるというダブルマイルキャンペーンもやっていたため、収支はほぼトントンのいなるかなと踏んでいた。
 ところがである。引かれたマイレージを調べてみたら、割引になっていない!よくよく注意事項を見てみると、なんとPEX運賃には適用されないとのことであった。しかも、ダブルマイレージもエグゼクティブ料金以上の客が対象とのことで、大分持ち出しになってしまった。
 せこいぞ、JAL!
 今回、フラットシェルタイプの座席を使用したが、かなり水平に近く寝ることができ、快適、快適。
 そういえば、赴任準備のため初めてデュッセルドルフに行ったのも、今頃の季節だったなぁと思い、パスポートを確認したら、なんと6年前の同日の5月23日であった!しかも、関空発ではなく、成田発のパリ行きである。私は偶然の一致に驚いた。



 今回、われわれの行くトゥールーズは、最近では2階建てのエアバスで有名だが、他に何かで聞いたような・・・。それがなかなか思い出せない。



 パリに無事着き、トゥールーズ行きを待つ間、我々はカフェに入った。メニューでカフェ・オレを探したが、ない。頼んだら持ってきてくれたが、どうやら、カフェ・ア・ラ・クレーム(だったかな?)というのが
それに当たるらしい。これがフランスでのカルチャーギャップの始まりであった。


 トゥールーズには若干遅れたが、ロストバゲッジもなく無事到着した。
 空港からはタクシーでホテルに向かったが、運転手は陽気なおっさんだった。私は、ホテル探しに苦労したこともあり、さっそくその原因を聞いてみようとした。
 「Booking of Hotels was very difficult ・・・・」と言うと、「B、Booking・・?」 どうやら英語が苦手らしい。それならと、フランス語を無理矢理ひねり出して聞いてみた。
 「Reservation d'hotels, c'etait tres tres difficile. Il y a quelque chose comme exsibition a Toulouse?(ホテルの予約がとっても難しかったのだけど、博覧会かなにかあるのですか)」
 ドイツならMesseというところだが、フランス語ではどう言うかわからなかったので、exsibitionという
単語を使ったのだが、彼はこの言葉に異常な反応を示した。
 「Exsibition!」彼はそう叫ぶと、急に目を輝かせて、タクシー無線で仲間と連絡を取った。話の内容はまったくわからなかったがどうもかれは納得しなかったようで、今度は携帯で別の人にも連絡を取っていた。
 Sさんはポツリ「何か勘違いをしているようですね・・・」。
 連絡が終わると、「Exsibition!」「Woman!」「strip!」「butterfly!」がどうのとか言ってきて、誤解は誰の目にも明らかになった。我々は、丁重にお断りしたが、このことがトラウマとなり、なまじっかのフランス語は使うまいと思ってしまった。



 後で辞書をひくと、
exposition 〈女〉
@展覧会, 博覧会; 展示.―〜 (des oeuvres de) Cezanne セザンヌ展.
 〜 internationale [universelle] 万国博覧会.
 salle d'〜 陳列室; ショールーム.
A さらすこと, 露出.―duree d'〜 (写真の)露出時間.
B (家の)向き, 採光.―La maison est dans une agreable 〜. その家は快適な向きだ〔日当りがよい〕.
Corientation.
D (a) 説明; 解説. (b) (劇・音楽の)導入部, 提示部.
(三省堂 『クラウン仏和辞典』)
とあり、向こうの誤解の方が大きいと思うのだが・・・。



 1日目のホテルは、Novotel。外観がちょっと暗いが、中はきれいで快適である。バーの方で日本人の客が話をしているのが聞こえた。 夕食は、周辺を少し探したが、レストランはなく、遅かったのでホテルに戻り、イタリアンで軽く済ませた。もちろん、ワインは食卓にかかせない。われわれは「Grave」を注文した。
 exposition見学はなし。





*2日目* 



 朝は近くを少し散策し、朝食はpatisserie(菓子屋)でサーモンパイを買って部屋で食べた。

 以降、私は今回はずっとホテルの朝食はとらなかった。
 T社までのタクシーの中、昨日のことがトラウマとなっていた私は、運転手とは話をしなかった。ただ、キリストを背負った聖クリストフが描かれたメダルがずっと気になっていた。今日からお世話になる、Cさんも、この聖人の名前を持つのだ。このことは、別の機会にかれに確認することにしよう。



 少し余裕を持って出発したため、早く着きすぎてしまった。我々は外で待つことにしたが、しばらくすると彼が車でやってきた。

 我々は荷物を持って、建物の中に入った。結局、今回は毎日荷物を持ってT社に通うこととなった。
 今日の講師は、件のCさんとBさん、それになんと妙齢の女性も聴講生として参加していた。彼女の名前は、Carineさん、暗号の専門家らしい。
 私の悪い癖で、女性となるとついうれしくなってしまう。昨日のトラウマはどこへやら、私は「Je m'appelle Kazuo Hayashi」とやってしまった。
 きっとこの時、私の顔はだいぶゆるんでいたのに違いない。
フランス語では[h]を発音しないため、フランス人に自己紹介するときは、「Not Ayashi」といつも付け加えている。
 講義中気がついたが、やはり[h]を発音しない。「eye level」だと思ったら、「high level」だったり「アッカー(hacker)」、「アウ(how)」などとどんどん出てくる。ま、慣れればどうってことないのだが。それよりも気になったのが、「Public」を[ピュブリック」と発音することである。どうも「Pubic」に聞こえてしまう・・・。



 昼は近くの「Buffallo grill」というレストランに行った。ここは、アメリカンスタイルのステーキハウスであるが、黒人のウェイトレスが日本語であいさつするのには驚いた。
 メニューは、料理の名前こそ英語風になっているが、結局「Sarade Pacific」とか「Steak Texisas」とかいったたぐいのもので、説明はフランス語である。よくわからない単語が多く、Cさんのおかげで注文することができた。
 驚いたことに、サラダの中のカニカマに「surimi」と説明があった。こんなところにまで日本語が浸透しているのかと感激した。それにしても、フランスに入る日本語は、なぜか「i」で終わる言葉が多いような気がする。たとえば、「kaki」、「harakiri」、「haikai」、「tatami」などである。確かに確率的に、動詞の連用形から派生した名詞が多いためかもしれないが、さらに、そのことから、フランス人は「i」で終わる言葉から日本的なエキゾチシズムを感じているのではないだろうか。
 私は料理は普通のステーキにした。後で確認するとステーキハウスだけあって肉の部位の名前が多かったようである。例えば、entrecoteという単語は (牛の)あばらロース (三省堂 『クラウン仏和辞典』)であった。



 フランス人は、昼食にもワインを飲む。若干抵抗はあったが、郷に入っては郷に従えと、我々も飲むことにした。 ワインは地元のEVOCATION GalliacというA.O.Cのものを飲んだが、軽くて昼食に軽く飲む分にはちょうどよい。おみやげに買っていくことにしようか。 
 いい気分にはなったが午後の部には寝る人もなく、講義を受けたことを申し添えたい。


 2日目のホテルは、「Apart'Valley Toulouse Centre」。長期滞在者用のアパルトマンらしく、キッチンがついている。バスルームもきれいなのだが、ベッドが折りたたみ式のソファベッドというのがいただけない。

 チェックアウトを済ませ、われわれは、市内散策へと出かけた。実は散策の目的はもうひとつあり、次の宿泊先での、条件の交渉である。前にも書いたように、3日目はダブルの部屋2部屋に男が4人泊まるのである。せめて、エクストラベッドを入れるか、ツインにしてもらうかしてもらわないと・・・。
 ホテルのレセプションに話すと、一応話はわかった、トライしようと言ってくれたが、まだ確定ではない・・・。



 さて、交渉が済むと、あとは食事。われわれは中心部へと向かい、適当な場所を探した。けっこうな数のレストランがあり、テラスも出ていたが、地下鉄工事のような大規模な工事をやっており、景観はいまひとつであった。
 われわれは、今日はピッツァリアのテラスでピッツァを食べることにした。
 今回のトゥールーズは天候にめぐまれ、快晴の日が続いた。温度も日中は33℃という暑さである。われわれは今日はとにかくビールをという気分であった。
 ビールはフランス語で「biere」([ビエール])というので、「Quatre Bieres, S'il vous pret!」と言うと、
「*#$%&・・、プロション?」という返事が返ってきた。何かよくわからないが、「Oui, oui」というと、きちんとジョッキに入ったビールが出てきた。
 後で調べると、「プロション」と聞こえたのは「pression」で、


pression 〈女〉
@ 押すこと.―〜 de la main 手の押す力. faire 〜 sur qn [qch] (人)〔何〕を押す.
A 圧力.―〜 atmospherique 気圧. a haute [basse] 〜 高圧〔低圧〕の. 〜 des pneus タイヤ圧. 〜 arterielle 血圧
〜 electrique 電圧.
B 生ビール (=biere (a la) 〜).―boire un demi 〜 生ビールをグラス1杯飲む.
C <服飾> スナップ, ボタン(押してはめる) (=bouton-〜, bouton a 〜) 《この意ではときに〈男〉: un 〜》.
D (精神的な)圧力, 圧迫.―exercer une [faire 〜] 〜 sur qn (人)に圧力をかける. sous la 〜 de の圧力で, おされて. groupe de 〜 プレッシャー・グループ, 圧力団体.
◎sous pression (1) 圧力を上げた, 与圧した. cabine sous pression 与圧室. (2) 力がみなぎっている, びりびり〔うずうず〕した.
(三省堂 『クラウン仏和辞典』)

 であった。以降われわれの旅ではこの言葉をレストランで頻発することになる。
 

 ホテルへ帰って夜景を眺めたが、なかなかきれいである。



*3日目*


 3日目もさわやかな朝である。
 私は、Yさんと、ホテルの近くのboulangerieで朝食をとった。カフェオレにクロワッサンやバゲットなどは、いかにもおフランスおフランスしていてよい。
 運河に面した東向きのテラスは朝日がまぶしい。今日も暑くなりそうだ。

 午前中はしっかり、講義を受け、昼食は近くのシーフードレストランへ行った。
 T社から歩いていけるレストランは2軒しかなく、1軒は昨日の「Buffallo Grillで、もう1軒がここである。名前は 「Marins de l'eau douce n'aiment pas que l'eau plat」とおそろしく長く、直訳すると「淡水の船乗りは平坦な水しか好まない」と いうよくわからない名前だ。内装が、また凝っていて、船の羅針盤などの大型装備が置かれている。
 ここでは、私はイカ料理を食べた。ワインは地元の白を頼んだのだが、PICPOUL DE PINETという酸味のしっかりした、セックなワインであった。 う〜ん、これもお土産に持って帰りたい・・・。
 残念ながらこの昼食もカメラを忘れて写真なし。


 午後の講義も終わってタクシーを呼んだ。ヨーロッパの夏は高緯度とサマータイムのため、昼が長い。6時半過ぎだというのにまだ昼間のように日は高いし、暑い。来たタクシーの運転手は、おばちゃんというより、おばあちゃんに近い女性で、重い荷物を持たせるのも痛々しく、われわれが手を貸して積み込んだ。
  このおばちゃんはよくしゃべってくれるので、インフォーマントとしては最適だ。聞いているとなんとなく、この地方の言葉の特徴がわかってくる。全体的に開放的なイメージの響きで、ぼそぼそっとしたパリの発音とは対照的だ。慣れるとかえってわかりやすいのかもしれない。「A demain!」(また明日!)が[アドゥマン]ではなく、[アドゥメン]というのも特徴的だ。こんなところは、昔行ったプロヴァンスなまりに似ている。
 「今日は暑いわね。今は28度だけど、昼過ぎは33度もあったわ・・・。今日はすいてるわ。えっ、ここはちょっと混んでるけど、ここを抜けたら、車は減るわ・・・。」
 よくしゃべってくれていいおばちゃんなのだが、運転しながら、無線でしゃべりながら、ノートの予約を確認するのはやめて!!!
 今日の宿は今回の旅の山場。そう、男2人がダブルのベッドで泊まるかどうかが決まるのである。そのRaymond IVは昔の伯爵領主の名を冠した高級ホテル(三ツ星)である。ロビーには伯爵のオブジェも置いてある。


 ホテルの受付で、名を告げ、話をすると、いったん出した鍵を引っ込め、パソコンをたたき出した。おいおい、昨日あれだけ言ったじゃないか、と思いながら辛抱強く待つと、ツインの部屋だといって、鍵を渡してくれた。何とか危機は脱したようだ・・・。
 由緒正しいホテルなのはよいが、設備が古い。エレベータは荷物を載せると2人でもきつい。バスルームも広いが老朽化している。
 われわれはまた、市内探検とレストラン探しに出かけた。
 ここにはなぜかジャンヌダルクの銅像があった。ジャンヌダルクといえばオルレアンだが、トゥールーズとの関係は聞きそびれてしまった。

 われわれは、市内の中心部へと向かっていった。中心近くになるとさすがに立派な建物が増えてきた。

 街の中心はCAPITOLUMといわれる市庁舎である。大きな広場があり、その周辺にはカフェのテラスが並んでいる。

 われわれは、市庁舎からちょっと離れた、鴨で有名なレストランへ入ることにした。
 ここは、Iさんが前回来た、「Le bon vivre」というところである。今日も30℃を越える暑さ。まず頼んだのは、もちろん「Pression!」。
 食事は私はトルネードステーキを頼んだが、周りは脂で巻いてあった。ベーコンで巻くのはファミレス だけなのだろうか??。ワインは例のGaillacを頼んだ。 

 Sさんは、昨日の巨大ピザにこりて、前菜のハムだけを頼んだのだが、今回は前菜そのままの量だったため、ちょっともの足りない様子であった。
 あとで聞くと、ハムはフランス語で「jambon」というのだが、ついjumbo級を想像してしまったとのこと。なるほど・・・。


*4日目*


 今日もさわやかな朝。ツインとはいえ、一緒の部屋に泊まってしまった私とYさんは、また近所のboulangerieに行った。カフェオレとサンドイッチを頼んだのだが、カフェオレはまずミルクを半分入れて、電子レンジで暖めたあと、エスプレッソマシンのようなものでコーヒーを入れる。これをお姉さん一人で何もかもやるので、時間がかかり、われわれの後ろは長蛇の列ができてしまった。
 

 今日もタクシーでT社に向かい、金を払おうとした。いくらかとたずねると、[ヴェン・ディス]だという。「ヴェン」が「vingt(20)」だということは、昨日のおばちゃんから学習済みである。[ディス]は「10」なので、「20+10」で「30」かなと思ったのだが、ふつうこういう言い方はしない。困って、紙に書いてもらうと、なんと「26(vingt-six)」であった。このあたりでは、標準語の[シス]というのが濁って[ズィス]と発音されるらしい。さらに、それが私には[ディス]と聞こえてしまったのだ。
 私は、このことをさっそくカリーヌさんに告げた。
 「この辺では、[ヴァン・スィス]を[ヴェン・ディス]と発音するんですね。」と言ったが、彼女は「ふぅん」といった風で、あまり興味を示さなかった。」
 ネイティブにとって、この違いはあまり気にならないのかもしれない。われわれ日本人も、外人から、 「『本が(ほんが)』の『ん』と『本も(ほんも)』の『ん』の発音が違っている」と指摘されても、理解できるひとはあまり多くないだろう。カリーヌさんには 別の事例ができたら再度聞いてみよう・・・。

 
 昼は今日は、車で5分ほどのショッピングセンターへ連れて行ってもらうことになった。ここには、あの、Carrefoureもある。Cさんに、「Carrefoureはほんとはスーパーマーケットではないんですよね。」というと、彼は一瞬考えてから、にやりと笑い、「Yes、Hyper Market」。実は、スーパーマーケットのことはフランス語で「supermarche」というが、売場面積2500m2以上のものを「hypermarche」という。英語にも「hypermarket」という単語はあるが、これは売場面積の定義はないらしい。
 ここの「Bistro Romain」というところで昼食をとった。CさんとBさんはカルパッチョを頼んだのだが、平皿に薄い肉片が12枚ほど乗っているものだった。彼らにしては小食だなと思っていると、食べ終わったら、次の皿が出てきた。これは食べ放題なのだそうである。  私は、食後にカプチーノを頼んだのだが、写真のようなものが出てきた。これはどうみても、ウィンナコーヒーだよなぁ・・・。これはこの店のオーダー違いではなく、どこへ行ってもこれが出てくるのだそうだ・・・。


 


  午後の講義のときに、CさんはCarrefoureで買ったクッキーを出してくれた。その缶には、フランスでは有名な漫画である「TIN TIN」が 書かれていた。私は、カリーヌさんに、「これはなんと発音するの?」と聞くと、トゥール生まれの彼女は「タンタン」と言った。今度は Cさんに聞くと、彼は「テンテン」としかも後ろの音節を強く発音した。「ねっ、違うでしょ。」と私が言うと、カリーヌさんは 初めて「うふっ」と笑った。どうやら、私の壮大な(?)フィールドワークを理解してくれたようである。


さて、午後の講義も無事終わり、今日の夕食はCさんたちが連れて行ってくれることになった。実は初日から、ここへ行けと勧められた店があったのだが、どこのホテルでも、名前は知っているが場所は知らないとのことであった。そのなぞのレストランは、「Le coup de torchon」。「torchon」とは何かと聞くと、いろいろ拭いたりする布だという。たぶん、雑巾のことだろうと思ったが、フランス語で雑巾というのは、「chifon」という言葉がある。「torchon」と「chifon」とはどう違うのかとさらに聞くと、「torchon」が古くなると「chifon」になるのだという答えが返ってきた。なるほど、「torchon」はどうやら「ふきん」のことらしい。ということは、「Le coup de torchon」というのは、直訳すると、「ふきんの一撃」、なんじゃこりゃ。あの「淡水の船乗り・・・」といい、おかしな名前が多い。



 今日はタクシーは呼ばず、CさんとBさんの車に乗せてもらった。私はCさんの車に乗せてもらったのだが、いろいろと説明をしてくれるのでありがたい。
 「トゥールーズは、フランスで始めて飛行機が飛んだところで、サンテグジュペリもここで飛行士をやっていたんですよ。」とかれが言った。そうか!トゥールーズにははなにかあったなと思いながら思い出せなかった謎がやっと解けた。サンテグジュペリの働いていたところだったのである。彼の生まれたところは、リヨン郊外ーこれは去年リヨン空港へ行き、その空港に彼の名前が冠されているのを知り感激した。また、行方不明になったのはトゥーロン沖。ここまではしっかり覚えていたのだが、なぜか働いていた場所だけは記憶から欠落していたのだった。5フラン札に描かれていた彼の肖像もユーロとともになくなってしまった。
 私は、もうひとつの疑問であった、タクシーの運転席のChristophのメダルについて聞いてみた。キリストを背負ったChristophは、旅人の守護聖人で、交通安全のお守りのようなもののようである。なるほど。

 そうこうしていると市内についた。件の「Le coup de torchon」は以外にもホテルから近い。それに、Yさんだけ別のホテルになってしまったが、そのホテルも近い。よかった、よかった。

 「Le coup de torchon」はチーズの専門店である、壁側にはチーズやハムなどが所狭しと置かれている。

   

 まず、飲み物をということで、われわれ日本人の頼んだものはもちろん「Pression!」。CさんとBさんは、リキュールを頼んだ。
 私が好奇心丸出しの顔をしていたのだろう、「ちょっと飲むか」と勧めてくれた。一口飲むと、その昔プロヴァンスで飲んだ「パスティス」に似ている。「パスティスみたいだ!」というと、「そう、ほとんど同じようなものだ」。なんでも、プロヴァンスとトゥールーズに経営者が同じ酒工場があって、同じものをつくっているが、一方では「パスティス」といって売っていて、一方では「リキュール」といって売っているのだそうだ・・・?
 料理の方は、チーズとハムの盛り合わせを頼んだ。前菜のようだが、量が多く、メインディッシュである。

 チーズといえば、ワイン。われわれはここで、 2本のワインを飲んだ。まず、CorbieresのCOTE125というのを飲んだが、やや軽めだったので、2本目はしっかりしたものをと いうことでMedocにした。このワインのエチケット(ラベル)にはなんと"MISE EN BOUTEILLE〜"と書いてあった。私は、以前だいぶ 悩んだことがあったため、Cさんに確認した。「以前、ワインは男性名詞なのに、なぜ"e"がつくのか悩みましたよ。」 すると、Cさんは、「ワインは男性名詞だが、operationは女性名詞だ」と明快な回答であった。さらに、「こういう文法問題は フランス人でも悩むんだ」と言ってくれた。私は、以前の疑問が実際に確認でき、満足であった。

 食事もすんで満腹になった。Cさんは、近所に古い教会があるので見に行こうと連れて行ってくれた。

 教会はサンテチエンヌ。古い建物がライトアップされていて美しい。トゥールーズは夜歩いても安全なのがうれしい。
 「もう、一時間もあれば中心部を見て回れますよ。」とさんは言ってくれたが、もう11時、明日もあるのでと、お断りした。


*5日目*


 この日は本来予備日であったが、中身の濃い研修のため、この日も打ち合わせを行うこととなった。
 無事、打ち合わせを終了し、最後の午餐は初日の「Buffallo Grill」。食事をすませて、タクシーで空港へと向かった。
 ありがとう、Cさんたち。さようならToulouse。


            ***
 
 パリの空も晴れ渡っていた。シャルルドゴール空港へ降り立ったが、なぜか感じが違う。よく考えてみたら、私はこの空港は何度も来ているが、いつもトランジットで、ここで降りたことがなかったのだ!われわれは、おのぼりさんよろしく、タクシー乗り場を探した。
 たどり着いたタクシー乗り場は、なにか無秩序状態。さすがにドイツとは違うなと思いながら、乗ろうとしたら、出てきたのはバカでかい黒人の運転手であった。
 「ブーウー?」彼がブードゥーの呪文としか思えない言葉をかけてきた。「へ?」と立ちすくす私に、今度は私を指差し、「ブー」、それから「ウー?」。そうか「Vous ou?」つまり「あんた、どこ?」と言っていたのだ・・・。「Mercure Champs Elysee!」私はシャンゼリゼに力を込めて答えた。


 ホテルに着き、荷物を置いてロビーに集まっていると、「コンニチワ、オゲンキデスカ?」と話しかける人がいた。外国で日本語で話しかけて来る外人はたいていは物売りと相場が決まっているので、われわれに一瞬緊張が走った。「ワタシワ、コノほてるノこんしえるじゅデス。」確かにこの暑いのにきちんとした格好をしている。マリオという、親切そうなこのおじさんに、よいレストランを紹介してもらい、われわれは、街へと出かけた。偉そうなことを言ってはいるが、実は私はパリは2度しか来たことがない。しかもそのうちの1度はディズニーランドなので、パリと言えるかどうか・・・。そんなわけであまり土地勘がない。Iさんは何度かいらしているので、われわれは彼のリードでコンコルド広場へと向かった。6時近くだと言うのに、まだ太陽はじりじりと照りつけていて暑い。トゥールーズよりも心持ち湿気が多いようで、日陰でも涼しくならない。
 コンコルド広場はさすがに観光客と車がいっぱいだ。オベリスクにはエジプトの象形文字が彫られていた。ここで、あのマリーアントワネットが、処刑されたのかと思うと、なにか感じるものがある。

 夕食は、とりあえずマリオさんの教えてくれた店をのぞいてみようということになった。最初の店は人通りの多いところにあり、混んでいた。値段もちょっと高かったので、もうひとつの店に行った。
 「La Taverne Suiss」というその店は、人通りの少ないところにあり、客が入っていない。値段も安いようなので、ここにした。中に入ると、いろいろなものが飾ってある。
 もちろん、とりあえず「Pression!」。ここでは、ビンのハイネケンが出てきた。生以外のビールのことも言うのだろうか・・・?




 *6日目*
 


 この日は暑さと工事の騒音で目が覚めた。時計を見ると7時である。ヨーロッパでは朝早くから働く人が多い。ドイツにいたときも8時前にガスの点検が来たことがある。早いのはいいが、客商売なんだから、少しは考えてほしいなぁ・・・。

 今日は、各自自由行動。集合は2時半と決めている。私は、特に何も決めていなかったので、ロビーで地図をながめ、行くところを考えた。時間もあまりないので、メトロである程度行って散歩しようか。まずはバスチーユに行って、ポンピドゥーセンターに行こうか・・・。
 メトロの切符の買い方はなれないとちょっと戸惑う。液晶表示画面でカーソルを合わせて画面を変えるのだが、「ローラー」を使ってカーソルを合わせろとある。「ローラー」って・・・?あった、あった。と、こんな感じでなんとか買えた。
 バスチーユは、ご存知フランス革命の発端となった場所。今は記念塔と新しいオペラ座がある。オペラ座は、近代的な建物だが、やっぱり、古いほうが趣があっていいなぁ。

 バスチーユからポンピドゥーセンターへ歩いて行く途中、スペイン人らしい一団がいて、横道の方に入っていった。別に急ぐことはないしついて行こうか・・・。
 地図を見てみると、ビクトル・ユーゴーの家とある。早速入ってみた。入場料は無料。

 中には初演当時の「レ・ミゼラブル」や「ノートルダム・ド・パリ」のポスターがあって興味深い。

 胸像や肖像画などもあったが、私はこの中のアデルの肖像画に目を奪われた。あの「アデルの恋の物語」の、ユーゴーの娘である。イザベルアジャーニもよかったが、本物もなかなかの美人である。

 ユーゴーの家を出てポンピドゥーセンターへ向かおうとすると、「ピカソ美術館」の看板を見つけた。さすがは、パリ。いたるところに観光スポットがある。

 中に入るとそこはピカソのオンパレード。これでもかというほどピカソがある。もう終わりかと思うと、地下室もあり、そこもピカソ、ピカソ・・・。むろん、これがピカソのすべてではないし、よく一生の間にこれだけ作品を作れたものだと関心してしまう。
 若干ピカソに食傷気味になった私は中庭に出た。中庭はきれいに、幾何学的に刈り込まれていた。暑い中、ペリエを飲んだがそのうまかったこと。ぺリエは日本で飲んでもあまりおいしいと感じたことがないが、ヨーロッパで飲むとなぜかおいしい。きっと、湿度のせいだと思っているのだが・・・。
 

 ピカソ美術館を出て、こんどこそ本当にポンピドゥーセンターへと向かった。裏手からいくかたちとなったため、ふつうの建物の間から、配管や足場のある異様な建造物が現れたときは、とても驚いた。ふだん、広場のある正面の写真しか見たことがなかったため、建物が広い敷地内にあるような思い込みをしていたためである。実際は、広場があるのは正面だけで、側面と後ろ側は道一本隔てて普通の建物が建っている。広場には人々が思い思いの格好で楽しんでいる。その中で、およそパリらしくない音楽が聞こえていた。モンゴルから来たと思われる「ホーミー」の演奏である。ヨーロッパでは定番(?)の銅像のパフォーマンスも見られた。

 朝からぺリエしか飲んでいなかった私は、ツナサンドを買って食べたが、これはトゥールーズの方がおいしかった。
 ポンピドゥーセンターの中には入ってみたが、時間もなかったため、展示は見ずにすぐに出た。

 
 しばらく、歩くとセーヌ川にぶつかった。河畔には古本屋が出ている。

  歩いていくと「ポンヌフ」が見えた。今は工事中のようで、ところどころシートが貼られていた。
 「ポン・ヌフ」というのはパリの一番古い石橋で、「新しい橋」という意味である。この名前の橋はトゥールーズにもあった。きっとどこにでもある名前なのだろう。そういえば、JR新橋駅の駅前に「ポン・ヌッフ」という喫茶店がある。昔、映画でも「ポン・ヌフの恋人たち」というのがあったなぁ。私は、その映画のパロディで「スワサント・ヌフの恋人たち」という題名を考えたのだが、多分18才未満禁止となるだろう・・・。

 セーヌ川づたいに歩いていくと、ご存知ルーブル美術館がある。もちろん時間がないので、今日は外から眺めるだけ。しかし、建物だけでも立派だ。
 時刻も2時頃となり、集合時間まであと30分。私はルーブルからまたメトロにのり、ホテルに戻った。
 ホテルでみんな集合し、タクシーを頼んで、シャルルドゴール空港へと向かった。
 いろいろ収穫の大きかった出張もこれで完了。ハプニングはあったけれど、事故もなく無事でなりより。われわれはいろいろな思いを胸に機上の人となった。
 さようなら、トゥールーズ、さようならパリ。もちろん、このさようならは「Adieu!」ではなく、 「Au revoir!」(また会おう)なのだ。


*蛇足*


 帰りは、またアップグレードのビジネス。いつか見たことのあるスチュワーデスさんがいるな、と思っていたら、私の座席まで やってきて、「林様、毎度ご搭乗ありがとうございます。前回もヨーロッパご旅行のときご一緒させていただきました。」 う〜ん、JALもいいのぅ・・・。でもアップグレードの割引はなんとかしてね!
<完>